対話の必要性
本日、プリズンサークルという映画を観ました。刑務所で、自分と向き合う対話プログラムをテーマにしたものです。
決して他人事ではなく、自分の過去の色んなことを思い起こす話でした。
アメリカでは主流な更生プログラムですが、日本で対話プログラム(TC)が実践されているのは、1箇所だけで40名のみの参加だそうです。場所は、官民連携で運営する島根あさひ社会復帰促進センターです。監督の前作品(アメリカ刑務所の話)に感化された方がTCを取り入れられる施設を作りたい!とのことで造られました。
私は、NetflixでOrange is new blackというアメリカの刑務所ドラマを観ているからか、対話プログラムがあるのは当たり前だと思ってたのですが、日本ではどうやら違うみたいです。他にも色々なプログラムはあるのかもですが、人と対話しながら考えていくことってとても納得感を得られることだからきっといいんだろうなぁと思います。
映画でピックアップされている方は、殺人、窃盗、詐欺、暴行などの罪で服役しています。TCでは、なぜ自分は犯行を犯したのか、なぜ自分は犯行を起こしてしまうほど追い詰められていたのか、なぜ自分はそのような発想になってしまったのか、被害者や遺族、家族はどのように考えると思われるのか、自分は幸せになりたいと願ってはいけないのだろうか…と自分を問いただします。
自分の話だけではなく、人の話を聴くことで実感するものもあるとのことです。自分の事件の話では、被害者や遺族のことは考えられないけども、他の人の話では想像がつくとか。自分の場合は、親との関係において○○なことがそういえばあったことを思い出したとか。
受刑者は、過去にあった嫌な経験を自分の心に仕舞い込んでいたということがあります(誰もがあるかもですが)。反抗を犯す前に、その仕舞い込んでいた心と向き合える機会があったら良かった…という声もありました。
私も最近はどうやって普段の生活にダイアログを落とし込めるのか、悩んでいます。特に職場。ダイアログをするような安心安全の場は、自ら生み出せると信じています。
私の過去
刑務所ドラマを観たことがあるからか、過去に色々な黒歴史があるからか、私が刑務所に入らないという可能性はゼロではないよな…という感覚で観ていました。
ということから、映画で受刑者が自分の過去を振り返る話を聴くと、私も自分の過去を考えました。
親に毎日ピアノの練習で怒られ続けていたこと、自分は色々なことが”できない子”として言われ続けていたこと、これは明らかに自分に自信がないことに繋がるなぁと思います。何事にも許可が欲しくなるのもそこから来ます。
そろそろその自分と向き合わないとな…と思ったりするのです。
安心安全の場
受刑者はふだん番号で呼ばれます。何事にも許可が必要で24時間監視されています。そんなにストレスをかけて、更生するのだろうか?と疑問です。単純に「あそこの生活には戻りたくない」と思うだけで終わる気がします。
受刑者の1人は、普段の刑務所では、せめて怒られないように生活することで頭がいっぱいで、自分の事件を振り返る余裕はないと言ってました。そらそうだろうなぁと思いますし、怒られないようにしなきゃなど萎縮した状況にずっとおかれるってそれが償いなのか?と思いました。
刑務所の在り方って難しいですね。罪を償うってどういうことなのだろうか。許しをもらうでもなく、線香をあげるでもなく、犯行を犯した自分を再び起こさないように自分を律する場なのだと思いますが…。
TCプログラムでの対話が有効なものになるには、そこの場所が安全安心である必要があります。受刑者はかなりオープンに自分の話をしていると思いました。それだけプログラムホストが信頼獲得にものすごく力を入れていることがわかるし、受刑者も変わりたいと必死なのだろうなと思います。
「こんな話をしたら引かれるかもだけど…」という前置きで話し始める人が何人かいました。昔イジメられていたと話す人や、昔イジメていたと話す人もいます。人を殺めているけども、死ぬ時は幸福感を持って死にたいと思っている自分がいて怖いが、罪悪感を抱えたまま生活するのもまた再犯しそうな予感もあってそれも怖い、と話す人もいます。
受刑者は、このプログラムをもって、仲間を感じます。この仲間を大切にしたいと。TCプログラムホストが集まる機会を設けて、服役後も対話の場をつくることもあります。
この対話、普段からできる環境があるといいな。
安心安全の場をつくれるようになれたらいいな。
そんな事を思うばかり。
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