わたしの業務改善ストーリー
すでに7点も記事を公開しておいて今さらですが、初回の「業務改善noteはじめます!」で私自身についてあまり書いていなかったので、自己紹介がてらこの記事を書きました。私がこれまで広告宣伝・マーケティング業務を担当する中で、どのような業務改善をしてきたのかという経験を中心にまとめてみました。当時の悩み・苦労にも触れたら長くなってしまったので、目次で気になった箇所だけ拾い読みしていただければと思います。
1社目:引継書作成の大変さと価値を知る
新卒で入社した会社では、広告宣伝部門に配属されました。TVCMやイベント協賛、集客キャンペーンの進行管理などを、部長・課長が仕切る下で、クリエイティブの修正依頼を取りまとめて広告代理店に伝えたり、進行スケジュール管理や会議調整をしたり、各種資料作成をしたり、細かいことを”きっちり”やる系のタスクが多かったです。あとは、次に上司が必要とするだろう情報を予測して書類に整理して持ち歩き、出先で取り出して渡すといった秘書に近い動き方もしていました。年次が浅く、できることが少ないからこそ、記録・保管・整理で役に立とうとしていました。
この頃はまだ「業務改善や業務の標準化をしよう!」という意識はしていなかったのですが、退職時には同僚に迷惑がかからないようにと、テンプレート作成したExcel・Wordファイルや、誰にでも手順がわかるようにまとめた引継書をチームに託しました。見本になるものがなく、自己流で試行錯誤しながら作ったため、作成にはかなりの時間がかかったと記憶しています。朝早く出社したり残業したりして、なんとか形にしました。その甲斐あって、退職後しばらく経ってから(私と在籍期間が被っていない)その会社の新人さんに会ったときに「今でもその引継書が受け継がれています!」と教えてもらい、驚くとともに嬉しかったのを覚えています。当時は引継書を作成したつもりでいましたが、今思えば、マニュアルといえる粒度まで手順を細かく、かつ、構造的にまとめた内容になっていたからこそ、時間を経ても使い続けてもらえたのだと思います。
”引継書作成は大変だけど、相応の価値がある(=組織の役に立てる)”と、社会人生活の早い段階で実感できたことが、その後マニュアル作成好きの私をつくることに繋がったのかもしれません。
2社目:業務改善を実践しはじめる
Webの仕組みがわからない中で挑戦したチェックリスト作成
2社目では、ECサイトの特集やキャンペーンLPを担当するディレクターに着任しました。私を含めディレクター陣はWebの仕組みに詳しいとはいえず、デザインチェックはできても挙動のチェックが不十分で、ページを公開してから挙動の不具合が発覚することが度々ありました。公開後の不具合は何よりユーザーにご迷惑がかかるので、最優先で対応する必要があり、上司や関係者の業務にも影響が出てしまいます。不具合が出たら直すというその場しのぎの対応ではなく、公開前に不具合を見つけられる仕組みを作る必要があると考えました。そこで私がとった対策はチェックリストの作成です。なんともシンプルですが、問題は私がWebの仕組みをわかっていないため、効力のあるチェックリストが作れないことでした。JS(JavaScript), JSON, API, UA(User Agent)など、それぞれの役割はわかっていても、それらが裏側でどうなっていると表側に不具合として現れるのかがわからず、チェックリストも作れませんでした。そこで、エンジニアに協力を仰ぎ、それぞれの機能に応じたチェック方法を一緒に考えてもらって、チェックリストを作成しました。教えてもらったことをリスト化し、MECEにまとめ、新人ディレクターにもわかる補足説明を盛り込んだチェックリストにしたことで、不具合の件数を大幅に減らすことができました。
チェックリストのほかにも、業務効率化のために、各種制作物のテンプレートを用意したり、業務分掌を決めたり、業務工数を見直したりと、”業務改善”を意識し始めた時期でした。
”問題解決スキル”を学んだ経営企画時代
ディレクターの次は、経営企画部に配属されました。施策を通すためには役員会の承認を得なくてはならないので、役員会資料の作成を通じて、業務改善にも役立つ”問題解決スキル”を学びました。まずは現状を可視化して把握したうえで、あるべき姿を描き、そのギャップを埋めていくというビジネスの基本アプローチを身に着けられたことが、その後の業務改善にも役立ちました。
マニュアル作成と並行しての業務フロー改善
経営企画部の後は元の部署に戻り、クライアント発行のメールマガジン運用を担当しました。自社にとって重要クライアント、かつ、遂行難易度も高めの案件だったのですが、私の退職時に引継げる同輩がおらず、新卒2年目の後輩に引継ぐことになってしまいました。申し訳ない気持ちでいっぱいだったので、せめて私がいなくなっても後輩が困らないように、自分のベストを尽くして後輩の助けになるマニュアルを作成しよう!と意気込み、プロジェクト概要・体制図から始まり、ミス・トラブル対応履歴に至るまで、PowerPointで合計80ページ超のマニュアルを作成しました。
※この時は見やすさを重視して、PowerPointで作成したのですが、引継いだ後の更新作業を考慮すると、PowerPointはいまいちだったと今は思います。マニュアルの作成ツール選定については「業務マニュアルのつくり方【前半】」をご参照ください。
このとき、マニュアルを書き始めてから、業務フロー自体の複雑さや、判断基準が標準化されていない部分に気づいたため、マニュアル化と並行して業務の整理をしました。複雑な業務フローをシンプルにするためクライアントに交渉したり、業務効率化を図るため雛型作成を協業先にお願いしたり、社外関係者も巻き込んで業務改善を進めたことで、協力を得るための説得材料づくりや交渉スキルなどの経験を積むことができました。
余談ですが、この頃初めて業務フローチャートを書きました。書き出したら楽しすぎて4時間没頭して書き続け、危うく会議をすっぽかすところでした・・・!ジグソーパズルに熱中しているときの感覚に近い気がします。
3社目:業務改善を強みと自覚し、強化する
ここでは、自社サービスのSNS運用を担当しました。これまで前任者によって5年ほど運用されてきたSNSを(前任者が退職するため)一式受け継ぐところからスタートしたのですが、すべて口頭での引継ぎだったので、引継ぎの説明を聞きながら自分で業務をマニュアル化していきました。このときは会社で契約があったConfluence上で作成しました。※Confluenceについては前述の「業務マニュアルのつくり方【前半】」をご参照ください。
これまでマニュアルを書くときは、業務の全体像を描いた後に詳細を書いていく(=目次から書き始める)流れで書いていたのですが、このときは自分自身が業務を知っていく途中段階だったため、作業の部分部分をまずマニュアル化し、全体像が見えてきたら、構造的に整理していくという逆のステップを踏みました。自分ですべて把握し終わってから、一気にマニュアルに落とし込んでいく方が、トータルでかかる時間は短いと思うのですが、日々の業務に追われている中で、マニュアル作成のまとまった時間を確保することが難しい場合、このように部分部分でちょこちょこ書き出しておいて、最後に再編成して完成させる流れの方が取り組みやすいと思います。このマニュアルは、その後自分の担当以外の業務も書き加え、SNS運用業務全体のマニュアルに進化させました。
SNS運用に関しては、その後以下の業務改善を推進しました。
SmartSheet(プロジェクト管理ツール)を使用することで、タスク遅延をすぐに発見・リカバリーできるようにした
チェックリスト確認を徹底して配信ミス・トラブルを0にした
JIRA(タスク管理ツール)の利用を業務フローに組み込んだことで、作業の大部分をアウトソースできた
さらに、この過程での気づきや成果を業務改善Tipsとして組織MTGで共有しているうちに、”業務改善”が得意な人として周囲から認識してもらえるようになり、業務設計担当者としてプロジェクトにアサインしてもらえたり、他のチームの業務マニュアル作成を任されたりと、さらに”業務改善”スキルを強化する機会に恵まれました。
4社目:業務改善を布教する
4社目には、新規事業プロジェクトのマーケティング担当者として入社しました。(PDCAの)DDDDといった感じで進むプロジェクトで、P(計画)がなく全タスクが「なるはやで」というオーダーになってしまっており、メンバーが疲弊しているように感じました。新規事業なので朝令暮改も仕方ないとは思うものの、基準がないことが問題だと考え、あらゆる施策のモデルスケジュールを作成することから始めました。そうすると急ぎ対応しなくてはいけない場合も、前提となる基準が共通認識としてあるので「本来はこのスケジュール感で進めるべきですが、優先度が高いので今回はここを巻いて、その代わり他のタスクを調整しましょう」という秩序が生まれます。
このときには”業務改善”を強みとして自覚していたので、「この組織にも業務改善を布教して、働く仲間たちを救いたい」というモチベーションで取り組んでいました。このほかにも、毎度のことですがマニュアル作成したり、お客様からの問い合わせメール返信をテンプレート化したり、といった取り組みをしました。
現在:業務改善のプロをめざして
このように過去どのポジションにおいても業務改善に取り組み、やればやるほどに業務改善が好きになりました。次第に"業務改善"を自分の強み・特長として掲げていきたいと思うようになり、このnoteでの発信を始めました。強みの明確化・強化のために、今後も業務改善にまつわる考え、経験や学びをここで発信していきたいと考えています。
おわりに:とどのつまりは思いやり
当然のごとく新卒の頃から記憶を遡って、この記事を書き出しましたが、ふと、人生初の引継書は、高校時代部活を引退するときに作っていたことを思い出しました。私は中高一貫校で部員が140名ほどいる弦楽器のオーケストラ部の副部長をしていたのですが(部長は対外的な業務が多かったので)代わりに副部長が定期コンサートの進行表を作ったり、リハーサルを仕切ったり、全部員の出席率を管理したりと、プロジェクトマネージャーのような働きをしていました。なかなか大変な業務だったので、次の代に引き継ぐときには、後輩が困らないようにとA5サイズで100ページ近い引継書を作りました。少し前に、当時のWordデータを見返したのですが、17歳ながらなかなかのクオリティで書けていたと思います。結局、良い引継書やマニュアルを作るために一番大切なのは、後任が苦労しないようにしてあげたいという思いやりの心なのではないかなと、振り返りながらそんなことを思いました。
ここまで私の身の上話にお付き合いいただき、ありがとうございました。