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亡くなった祖父に謝りたい

こんにちは。明日から仕事が始まります。
長い長い休みを経ての再開、もう無理だ…

そんな最中、祖父が亡くなりました。
仕事の再開はひとまず延びました。でもぜんぜんうれしくないや。
今日は気持ちの整理のために、noteをつかいます。


わたしの祖父は、事故で首から下が麻痺してしまい、あれよあれよと人工呼吸器、ペースメーカー、胃ろうを余儀なくされました。
事故の原因は仕事中のものでした。身内が関わっていました。
祖父は、その身内を一言も責めず、「お前は悪くない」といって手術室へ向かったと聞いています。

当時はコロナ渦真っ只中で、面会も週一。オンライン。
対面になっても平日のお昼だけ。
教員をしているわたしは、ほとんど会いに行けませんでした。
時折祖父を思っては、罪悪感にさいなまれ、母に話すと
「大丈夫。分かってくれてるよ。」と言ってくれました。
忙しさを理由にして、面会に行くことはほとんどありませんでした。

コロナが落ち着いてきたころ、月~土まで面会がOKになりました。
母と一緒に行くと、嬉しそうにしていたじいちゃん。
他愛もない話をすると、声は出ないけれど、口を動かしたり、眉毛を動かしたり。反応してくれるのがうれしかった。
最初の方は、テレビも見ていたみたいです。あと、声帯を失った方用の機械をのどにあてて、話す練習もしてたな。

次第に、やっぱり弱っていきました。
気持ち的なものが大きいと思うと、毎日面会に足を運んでいた母は言っていました。母も衰弱してた。
どんな気持ちだったんだろう。身体動かせないから、ずっと天井を見ていて。
自分が眠れないとき、YouTubeをみたり、友達に電話をかけたりして気を紛らわしてる。そんな時、決まってじいちゃんのことを思い出す。じいちゃんは眠れているかな。今何を考えているかな。幸せなのかな。
お酒を飲むことがだいすきだったじいちゃん。もう2年も焼酎飲めてないね。そんな状態で、しあわせなのかな
母には絶対に言えないけど、そんなことを思ってしまっていました。


入籍後、旦那さんに「いっしょに面会に行って結婚の報告をさせてほしい」「ただ、状態が状態なだけに、びっくりさせちゃうかも。」とお願いをすると、快諾をしてくれました。仕事でそういう方をたくさん見てるから、そこは気にしないでと言ってくれました。
旦那さんを連れて行くと、祖父はすごく嬉しそうにしてくれていました。
なんて言っているかわかってあげられないけど、気持ちは伝わったの。
母からその後聞きました 「おめでとう の練習をしてるのよ。」って。


夏になり、長い休みがあるからじいちゃんのところに顔出さなきゃなって、少し義務的に感じてしまっているところがありました。
母から「あなたの話をすると、じいちゃんの意識がハッとする。孫の力ってすごいね。」と言われて、どこかで正直重荷に感じてしまっていたのかもしれません。

8月の初旬、3回面会へ向かいました。
そんなに話すことはないけれど、たった15分。ずっと声を掛けた。
でも、たぶんどこかで、疲れたなぁって気持ちがあって、それを感じることすらも罪悪感で。ちょっと行くのやめようって考えました。
あんなにも行けてないことを悪いと思っていたのに、今度は疲れたって思うなんて、今思えばなんて身勝手なんだろうって思う。


先週の水曜日、仕事中に母から連絡が来ました。「会いたい人には会わせておいた方がいいといわれた」と。
祖父のところへ向かうと、意識はあるし、目も合うんだけれど、なんだか焦点が合わない感じで、胸がざわざわした。泣いちゃダメってわかってたけど、涙が止まらなかった。だいすきだよって伝えた。この日は15分の縛りはなかった。
次の日もお休みをいただき、面会へ。すこしきつそうだった。なぜか15分が復活していてすぐに帰宅。
金曜日も向かおうとしたけれど、今足を怪我しているのもあって、母に「今日は自分のために時間を使って」と言ってもらって、向かわなかった。
土曜日。旦那さんが「家族になったから俺も(行く)。」と言ってくれて、一緒に面会へ向かった。15分話をした。目を開いて旦那さんを見てくれた。
またね、と言って帰っている途中、病院から血圧が下がっていると電話があり、すぐにとんぼ返りした。
見たことのない数値と赤い点滅ランプで、涙があふれて止まらなかった。
声を掛けた。ありがとうって伝えた。
血圧の薬が効き始めた。「家族の力だと思います」と医師は言った。

でも、どこかでほっとしている自分もいた。
ようやく楽になれるね、じいちゃん。
ようやくお母さんも、面会行かなくてよくなるね。
仕事、休んでしまってて申し訳なかったし、嘘って思われてそうだったけれど、ほんとのことってわかってもらえそう。

この汚い汚い最低な感情が、言葉になって出てしまった。
「さいごまでがんばっててすごいね、じいちゃん」って。

なんてこと言ってしまったんだろうって、瞬時に思って、訂正した。
まだがんばってるじゃん。血圧もどってんじゃん。
なにさいごとか言っちゃってんの?
でも、寝たきりだけど、頭はしっかりと動いているから
きっとじいちゃんにも伝わってしまった。

ごめんって言いたくて、苦し紛れに「また来るからね!」と言って離れた。
血圧は90くらいだった。危篤を脱して、私たちは帰ることになった。


危ない状況だとわかっていたから、昨日も面会へ向かう予定だった。
危険な状態だから、面会時間は24時間OKになっていた。
病院側からの、これまでがんばってきた祖父の最期が一人ということにならないようにという配慮だった。
けれど、どうしても疲れが取れなくて、午後から向かうと母に伝えた。
母は、また同じように、「自分のことを今日は大切にして」と言った。
わたしは、それを免罪符にしていかなかった。

昨日、祖父はなくなった。
わたしは立ち会えなかった。
泣きながら電話をかけてきた母の声を聴いた瞬間に、おわったって思った。
今も悔やんでいる。
またねっていったのに。あやまりたかったのに。
今まで全然あえてなかったのに。
いつまでもいつまでも、自己中心的で、幼稚で、保身に走って、最低な自分がとことん嫌だ

苦しい
自分のせいで死んじゃったのかなっておもう
さいごっていうなら、もうさいごなんだろうなって思わせちゃったかな
ごめんねじいちゃん ろくに会いにもいかなかったのに、こんな最低な孫でごめん
人の目ばっかり気にして、全然じいちゃんのこと思えてなくてごめん
ほんとうにほんとうにごめんなさい


何度も話したけど、じいちゃんがずっと頭を気にしてだっこしてくれたおかげでこのまんまるな後頭部になりました
帰るたびに、仕事のことを気にかけては、立派やねって褒めてくれたね
いつも言葉数が少ないのに酔っぱらってたから、正直関わり方むず!って思ってた
けど、仕事し始めてから、じいちゃんからの愛を感じて、気付くことがいっっぱいあったよ
それなのに、なのに恩を仇で返すようなことしてごめんね
本当にごめんね

こうやってnoteに書くことも、承認欲求なのかな
じいちゃんをダシにしているのだろうか
もう情けない


「言葉を大切にしましょう」
学校でも子どもに良く伝えられるこの言葉。
ブーメランだったな。
一生後悔して生きていきます。
じいちゃん、ほんとうにごめんね。

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