冬至もおしまい〜2024年を振り返る
やっと自分の軸が整っていきたような気がする、そんな今日です。
ちなみにこの投稿のサムネは、12月22日冬至明けの朝7時40分の最寄駅前の様子。夜ですか?って感じだよね…これがドイツの冬だ!!!
冬休みも4日目、いや〜これはいくらでもぐだぐだできるな。1月2日から普通に出勤できるのか、不安しかないですがまあそこは考えないでおきましょう…!
とにかくソーシャル電池が空っぽなので、しばらくは引き篭もって自分と向き合う冬休みにしようと考えてます🫶
もう2024年も終わり。
年末になると「今年一年何やってたんだろう?!」と皆んな言いがちですが、自分のこの一年間は本当にみっちりで、あまりに沢山のことが起きすぎていたように思います。ざーっと振り返ってみたいと思います。
1月)年明けはまだゆっくりモード
ミュンヘンの仕事も任期終わりが見えてきたのにも関わらず歌が伸び悩んでいて、うっすら「これは任期終わりと同時に音楽界に戻るのは難しそうだな…」と気づき出していた、それでもどこか見てみぬふりをして現実逃避してたような記憶があります。それが動き出したのが中旬くらい。今の仕事の最終面接/体験入社が1月22・23日にありました。当時ちょっと気になっていて2023年年末からやり取りをしていた異性が北ドイツに住んでいたこともあり、面接と抱き合わせで彼に会いに行ったりもしていました。で内定が出たものの、色々現場で違和感を感じたりもしていたため、仕事を引き受けるかどうするか・また彼と今後進めていくかどうするか等悶々していた1月末。
2月)まじで落ちてた、最凶の月
2月はミュンヘン安全保障会議という国際会議が毎年開かれるので、ただでさえ多忙期なのですが、それに加え上述の彼とのことでショックな出来事が起き・自分の中で見ないようにしていたパンドラの箱を無理やり開かされたような感じで、一気に精神バランスを崩して結構鬱々としていました。歌の方は保育園コンサートなどをやらせていただくもやはり喉が全然安定せず、「こんなんでいつ歌業界に返り咲けるわけ?」と半ば自暴自棄。仕事も新しい上司との関係もうまくいかないし、振り回されまくるし。今の会社からも内定が出たのですが、いつから入社するか=ミュンヘンの職を早期退職し早くに北に移るか等を追求するも、早期退職をすると移転料が出なかったり・それでも退職手続きのために自費で日本には帰らないとならなかったり、どうしていいか分からなくなり。心がだいぶ荒れていて、職場でも結構アグレッシブな態度をとってしまっては自己嫌悪の繰り返し。「ダメだ、休みたい。どこかに消えていなくなりたい」となり、ある週末に急にチェスキークルムロフまでバスで旅行に行って、どうにか生き延びた月でした。
3月)内省を始めた月
3月は色々我慢していたものが一気に露発してしまい、また職場でも大風邪が大流行して類に漏れず貰ってしまい、1週間位ぐずぐずと不調だった。また先日の記事でも書いた「職場の大失敗」をしてしまい(よろしければこちらを↓)、2月に引き続き鬱々としていました。
それでも「2024年は改めて語学を頑張ろう。もっと積極的に自信を持って、外国語を使っていこう」と決めていたこともあり、また今の仕事のオファーを引き受けることも決めたので英語とドイツ語のタンデムを始めたのがこの頃。保育園コンサートももう一回やったりして、歌もとにかく浮上しようと足掻いていた時。結局ミュンヘンの仕事は任期終わりの9月までやること・今の職場には入社を10月まで待ってもらうことで話がまとまり、自分もあと半年ミュンヘンで頑張るしかない、とどこか覚悟が決まった時だった。そして月末はバーデンバーデン音楽祭にエレクトラを聴きに行った。バーデンバーデンには実は2020年2月頃に歌い手の元彼と一時滞在していたことがあり、当時はカールスルーエやフライブルク、シュトゥットガルトやマンハイムでオーディションを受けたり・声聞き行脚をしたりしていたのでした。彼との破局は、私がドイツに移住するきっかけを作ったといっても過言でもなかったのですが、あの過酷な2年の付き合いを今日の今日までどこかでエポケーして・消化はしてきていなかったことに、バーデンバーデンに行ったことで気づいてしまった。バーデンバーデン行きがきっかけになって、また自分の内面と深く向き合うことが始まった、非常に変化の大きい月でした。3月末は桜咲くオリンピック公園で着物モデルをやったのも色濃く記憶に残っています。
4月)歌いまくった!!!!そしてクレームを受け家で歌えなくなった
月末のバーデンバーデンが効いていて、それはもう内省的な始まり方をした4月は、全く外交的な気分にもなれなかった月。あとはいよいよ歌がやばいと焦り出していて、毎日毎日必死で練習していた一月。3回目の保育園コンサートも控えていたし、ほぼ毎日1・2時間練習していたことに対してついに苦情が寄せられるようになったのも4月。あと4月中旬に友人が家に遊びにきてくれたのですが、ちょっとモヤモヤする出来事もあり、2月からの鬱がずっと引きづられていたような1ヶ月。
5月)「春来ました💐」って感じ
Kleinanzeigeで月極の練習室を見つけることができて、ようやく気持ちが明るくなれた。5月は祝日も多いしリラックスモードで仕事も出来たし、4月必死で練習していたせいか歌も何か一つ頭が抜け出して。フランス語のタンデムも始めたのだけど、パートナーとめちゃくちゃ気が合ってとても楽しく毎週勉強ができていた。
6月)忙しくなりだす…
月初めに、現職の関係で単発の通訳アテンドの仕事依頼@ケルンが入り出張に行くついでにパリに遊びに行ったの思い出深い。
ミュンヘン勤務を始めて以来、おそらく一番お世話になっていた同僚が帰国したのもこの月。3月に大失敗をして彼にとにかく迷惑をかけた自分を恥じていたこともあり、「真摯に送り出したい」と心機一転で仕事も頑張っていた。また後任の人に変わったことで、一緒に働くチーム内三人の中で一番経験値がある立場にもなってしまったので、かなり責任感を感じて仕事を頑張っていた印象。この頃くらいから、出張などでなかなか前みたく毎日歌の練習をすることができなくなり出して、でも奇しくも「歌ってない方が喉の調子が良い」みたいな悲しいパラドクスにも気づき出し、歌に対する考え方が変わり出した。そして6月からCrossFitを週3ペースに切り替えた。週3にしてからはかなり体力向上・筋肉が増えてくのを感じました。その分体はきつかったけど…
7月)目がパキりだした多忙期
国会が終わり夏休みに入ると繁忙期。2023年7月も忙しさにやられて持病の自然気胸が再発しましたが、今年も同様に激動の7月でした。まず7月頭にはショルツ×岸田元総理の首脳会談inベルリンがあり、応援出張で駆り出される。出張の嫌なところは、出張中にも親元の仕事が遠隔で入ること。不在になるからといって、誰も代理をやってはくれないのだ…そんなこんなで、5時に起き6時には出勤〜23時まで働く、みたいな一週間を送ったらすっかり体がおかしくなってしまって、常に目がギンギンで夜中3時には目が覚める、みたいな休めない体になってまった。この頃から「離任が近いから悔いのないように遊び尽くそう!」モードが出始めて、遊び歩いていたので、余計に身体は変な感じ&疲れが溜まり始めた。
8月)夏休み謳歌!(相変わらず目はパキッっている)
頭にミュンヘン勤務中最も仲が良かった弟分が遂に離任。いよいよ次は自分の番だ、と言うことでちょっとずつ引越しの準備を開始。ハンブルク滞在用のビザを準備し出したり、退去の手筈を整えたり。後任の子に家を引き継いだため、そのやりとりを大家×後任と日々やったり、なかなか慌ただしい日々。そして夏季休暇は通常休暇とは別に付与されるので、それを使って南仏+マヨルカ島に行った!
前世はフランス人だったと信じてる。2025年、本腰入れてフランス語集中的に勉強したいな。2025年は休暇を使って1ヶ月パリに住むという計画も立てています。
休暇は移動し過ぎ・詰め込み過ぎて7月からの疲労負債は溜まる一方!
9月)地獄の忙しさ
某大臣がミュンヘンに来ることになってしまって、でも引き継ぎ・引っ越し・日本帰国の準備全てが並行してぐちゃぐちゃに進み、遂に気胸再発した白目。もはや記憶がない。所謂師走的Hochsaisonでした。予算の関係で、後任との引き継ぎは3日間のみ・10月にも大臣が来るから引き継ぎと並行して通常の仕事を捌かないとならず、最終勤務週は5時起き6時出勤〜23時まで動くみたいな生活アゲインになる。最終勤務日9月20日はボロボロになりながら、最後の歌のレッスンを受けに行ったのよく覚えてる。身体はボロボロだったけど、それでも「二年間完走した」っていう達成感一杯で、すごく良い歌が歌えたのも覚えてる笑。
9月21日の帰国日は、後任と上司に休日出勤を許してもらって最後まで空港で引き継ぎ。しんみりとした帰国モードになんか一切なる暇なく、最後まで仕事仕事で
倒れ込むように機内に乗り込んで。
気づいたら日本。2年間の激務がこんな1日で、あっという間に切り替わることに
驚きながらも、日本で遊びまくった!!!!!まずは美容を味わい尽くし、エステにマッサージに美容点滴、ヘッドスパ、温泉三昧。そして会いたい人と片っ端から会っていき、日光や沖縄にも旅行に行きました。
10月)再度渡独に向けて、今後の課題の棚卸しを
ということでジストニアの勉強&リハビリ的アプローチを試したり、脳科学の専門家から話を聞いたり、カウンセリングを開始。今思えば、この時に種蒔きをしたのは本当に良かった。10月以降の自分の生活をだいぶ助けてくれました。10月7日泣く泣く再度渡独。行きたくないって何回言いながら飛んだことか。10月8日、会社アパートに無事入居。近くのジムでCrossFitのレッスンがあることが分かり入会したり物件探しなどを始めつつ、初めの1週間はスローモードで新生活をのんびり楽しめていた。歌のレッスンはミュンヘンの先生とのオンラインを継続しているけど、何か一つ頭抜けてまた歌いやすくなってきた。新生活いい感じじゃん?!と思っていたが、10月14日頃から上司に対し壮大な違和感を覚えだす。この違和感、1月面接でも6月単発仕事でも感じたやつ…あれ私、やばいとこに就職した?いや、思い違いかもしれないし…いや、でもやっぱ変だな…で結局10月末、上司への不信感にプラスしてどこにも出かけられない工場地帯での会社暮らしやドイツ語しか話さない生活などに遂にストレス爆発で号泣。仕事以外は新生活を楽しめているのにどうしたものか、とアンビバレントな状況に。
11月)上司…ヤバない?
日本人サッカーチームに顔を出したりしたお陰で、またタンデムなどを開始して友達も出来始め、やっぱプライベートは充実しているのに、仕事に疑問符が止まらない…けどドイツ国内出張が入ったり、逆に日本から出張者が来たり、で結構な頻度で夜の会食が入ったり、でも歌のレッスンも、Cross Fit通いもあるし、11月はとにかく毎日頭で考える暇もなく過ぎていった印象。そして気胸がまた再発した号泣。会社内のアパートは暖房がうまく効かず激寒いし、かつ7月からの疲れも出たのか月末は風邪を引いてダウン。全然生きる気力を失っていた。
12月)勝訴!からの、親会社やばない…?
月頭に日本の親会社から社長が来、上司のあまりのやばさに社長から直々に帰任命令が降った!!!!!勝った!!!!!!!!10月・11月の私の苦しさが報われた!!!!!!やっぱ私間違ってなかった!!!!!けど、それに加えて今度は新しい問題浮上する。代わりの駐在員も送られてこないようだし、新体制をどうするか、等等…10月・11月と溜まっていたストレスで12月2週目くらいから思考停止に。冬至まではエネルギーが落ちるというしね…「引っ越しまではどうにか…」と耐え忍び、なう。
まとめ
こうやって振り返ると…本当に1年間カオスだったな!!!!!!本当に今日までよく頑張ったと、自分をなでなでしたい思いで一杯です。四柱推命で2024年は所謂天中殺だとも言われていましたが、本当それも納得の激動の一年でした。予想外のことしか起きず、自分の価値観は覆され、ただただ激流に押し流されてここまで生き延びてきたような感覚。でもそのおかげなのか、歌は本当に良くなってきています。何より、「焦るのはやめよう」と諦められたのが大きかったと感じています。テクニックが確立しないままに運よく受かって・職が見つかっても、このままだとまた将来喉を壊すことは見えているから、本腰入れて発声を直そうと覚悟を決めたことが良かったように思います。ジストニア的な、筋肉の不随運動もだいぶ制御できるようになってきました。ただ引っ越したので、近隣からまた苦情を言われないか、練習の声が迷惑がられていないか、が今は不安で不安で…明日以降、機会を見つけて直接尋ねてみようと思います。練習するたびにビクビクするのは不健全だからね。
この冬休みは、2024年頑張り続けた自分を労り・自分を大優先で、ゆっくり心と体をほぐしたいと思います❄️☃️