性被害に思う、被害者の「乗り越える」と「許す」は違う話
今回のnoteは怒りであふれている珍しいnoteです。
いつものあやにーっぽさは全くありません。ずっと暗い話です。
でもここで書いておきたくて、止まらない気持ちになりnoteに思いを綴っています。
先日Abemaニュースの中で流れた、この話題がTwitterで流れてきた。
あまり過去公表してきていないが、私は小学1年生の頃近所の児童館に来た男性にトイレに連れ込まれ執拗に体を触られた経験がある。
正直なところ、今大人になってだいぶ記憶が薄くなったとはいえ、人生に大きな恐怖を与えられたのは事実で。
番組の中で加害者の男性は強姦はしていないようですが、実刑判決を受けて服役を終えているとのこと、さらに被害者と会って話がしたい、というような胸の内をSNSでも公開していました。
正直なことがいいことか悪いことかは、私には判断しかねますが「(小児性愛への)欲求や感情がなくなった訳ではない」と公表しているのをみて
とても複雑な気持ちになり、今回思いをnoteにぶつけようと思います。
あまり気分のいいものではないかもしれません。
また同じようなトラウマを抱えた方にはフラッシュバックさせることも懸念しています。そうした気持ちもありつつ、私の過去をここにおいていくためにも書いておきたいと思います。
大丈夫であれば、続きを読んでください。
自分の欲求を満たすために、良心を被害に変えた人
私は自分がそうした被害にあったときにまずは「大変なことになってしまった」と思ったことを覚えています。
当時児童館で遊んでいた私と友人に声をかけ「トイレの場所がわからないから一緒に行こう」と連れて行かれ
「一人じゃ怖いんだよ〜一緒に入ってくれる?」と言われ正直何をされているかわからず「パンツ見せて」「触らせて」と言われ、そのまま長い間体を執拗に触られ「おじさんとの秘密にしてね」「お父さんやお母さんには話しちゃダメだからね」と去って行きました。
その日は児童館へ母が弟を連れて遊びに来ており「怪しい男性がいる」ということや私の様子がおかしいことから問い詰められ、正直に全てを話すと
母は激怒、1時間ほど強く叱られたことを覚えています。
児童館や学校でもその話から問題になったのですが結局犯人は捕まることなく、記憶の一部として残っており、個室のトイレで人がいないところは未だに入りたくない気持ちがいつも心にあります。
(この時に児童館の関係者は何も動くことがなく、被害があったことを公表しないで運営を続行すると言う話になったことも私は許すことができていません)
番組内では「小児性愛」で過ちを犯した加害者が自分の胸のうちを語っていました。自分自身に恐怖を感じて自主をしたことなどを始め「なぜそうした行動を起こしてしまったのか」ということも取り上げられていた。
正直なところ「どうして」であっても許せないものは許せない。
被害者がいる事件は、服役して罪を悔いたら許されるべきなのか。許すべきなのか。私は番組の特集を見ながら、どんどん苦しい思いになったように感じる。
なぜか「許すこと」を求められる被害者側
私は正直その時の加害者の顔を覚えていない。
でももし相手が「あの時の女の子と対話したい」と言われたらゾッとするし
許すつもりは全くない。そこに服役があろうがなかろうが関係ない。
今回SNSで「罪を償ったのだから社会復帰を支援すべき」という意見も見られたが、残念ながら全くそんな気持ちにはなれない。
心が狭いのかもしれない。人としてダメなのかもしれない。
でも被害を受けた側は服役をしてもしなくても被害の記憶から逃れることはできない。
加害者の再発防止プログラムはあれど、被害者が「許さなくてもいい」「我慢して辛かったよね」とお互いが支え合うプログラムは多くない。
それでも「加害者にだってこれからの人生がある」と言われてしまうと、被害を受けた人はただただ心にずっと背負いながら、カミングアウトすることもなく生きていくこともあるのではないか。
そう思うとなんだか正直バカらしくなってくる。
私は確かに過去の記憶を乗り越えたと自分で思うし、強くなるきっかけをありがとう、自分の防犯能力を鍛えてくれてありがとう、みたいな気持ちになる反面
加害者がどれだけ反省していたとしても許すことはできないし、同様の事件を起こした人に関しても「そうですか」とは思えない。
謝罪されて幸せになるのは加害者だけで、被害者ではない。
「そうか反省してよかった」なんて絶対に思えないだろう。
再発防止プログラムにせよ、病の改善にせよ、被害者の見えないところで行って欲しいし、終わったから全部クリアになりました!みたいなものではないのだと今回あたらめて感じた。
自分の欲求がどんなものであれ、自分を満たすために誰かを傷つけたり、トラウマを与える人がする謝罪は被害者には無価値であり
謝るくらいならやらないで欲しい。
衝動で、病気で、などどんな理由があったにせよ加害したことには変わりはない。
処罰を受けたから、心が入れ替わったから。そうした「月日の移り変わり」を全く信用できないし、被害者に寄り添いたいということを言う人は全員滅んで欲しいなって気持ちにしかならない。
もう私の場合は加害者は捕まらない。
けれど被害を受けた側がいる問題は「気分が悪くなるどうこう」ではなく、本当に取り扱いを注意してほしい。
謝られたら許さなくてはいけない、なんてことはない。
いつまでも怒っていいし、乗り越えるのが辛ければ乗り越えなくてもいい。
メディアに出ると言うことは、そうした被害者の多くが苦しむ「許す」を押し付けられるような、そんな気持ちに私はなってしまった。
そこでnoteに書くことに決めた。「許さなくてもいいんだよ」と伝えたくて。
許すなんて到底できることではないのだから。
どこかにいる加害者に苦しむ存在はいったいどうしたら良いのだろうね。
皆さんはどう思いますか?
明日は普通のあやにーに戻ります。