辛い人に「甘え」っていうの、もうやめませんか?
このnoteを見て、世の中大変な組織があり、書いた本人もすこし書くことですっきりしていたらいいなと思う気持ちでいっぱいになった。
私は人に共感するのがめちゃめちゃ強いので、目の前でこんなことを友達や兄弟に聞かされたら間違いなく抱きしめるし
一緒に泣いちゃうと思う。書いていいと思うよ、私は。
そんな中でTwitteの反応やコメントで「甘い」「慰められたいだけ」「よしよしされたいでしょ」というようなものも見かけた。
世の中辛いことも一生懸命かみしめて生きている人がたくさんいるという、そんな事実なのかもしれないな、と思った。
人はなぜかつらいときに「自分はもっと辛かった」とついつい口に出してしまう。まったく境遇の違う人に対しても。
それはその辛さを味わって苦しかったから、お前はましだよ、という励ましのつもりかもしれないけど
正直辛いことでマウンティング取り合う文化というのは確実にある。
辛いことを我慢して、乗り越えることが素晴らしいという
欲しがりません、勝つまでは文化はまだまだ根強いのかもしれない。
乗り越えられる人は素晴らしい。
でも乗り越えられなくてもいいときだってある。
私は前述したとおり共感力がやたら強いので、辛いといわれると
「辛いことを話してくれてありがとう」という気持ちになる。
辛いと言ってはいけないと思っている人も多いし、自分より辛い人もいるんじゃないか、と苦しむ人もいることを知っているから。
「辛いことってあるよね」でええやん。
なんでそこで「そんなの甘えだから」ってお前が言うねん。
むしろそこで「甘えって言ってあげないと」って受け入れられると思っていることがそもそも自分への甘えじゃないんか?
私は甘えはいけないものっていうのも疑問を感じている。辛いときに甘えられなければ、一生ずっと辛い。
甘えていいんだよ、どんどん甘えていい。
そして甘えさせてくれた人のように誰かを甘やかしてあげられるような人になるほうが私はずっと大事じゃないかと思うから。
みんなそれぞれ辛いことと戦っていて、それぞれの戦場がある。
その戦場に立った人に対して「あなたの戦場は大したことない」「みんなそんなもん」って、やっぱり違うんじゃないかなって気持ちになる。
辛いことは辛いんだよ。
私もそういうときあるし、noteやSNSで発信して落ち着いたこともある。
辛い人に「甘え」っていうの、もうやめませんか?
甘えかどうかは本人が決めたらよいのだから。
逆に辛いが言いやすい社会は、自分にもメリットがある。
辛いと言うことで回りがサポートしやすくなったりもする。
辛いことを我慢することを強要する人が2020年は少なくなっていくといいなと願って。