志だけでは経営も出来ないし、ご飯も食べられない
ネイルサロンを立ち上げて、今年で起業し10年。
正直なにも残せていないような、そして10年も本当に仕事をしてきたのだろうかと思うような、そんな気持ちで10年目をまもなく迎える。
私はここ最近SNSから距離をとった理由のひとつに「自分の内面への向き合う時間のなさ」を解消したい、このままではいけないと思えたのは、そうした思いでもある。
私含め経営者の多くはビジョンがあり
「もっとこうしていこう」「世の中を変えていこう」「ないものを作ろう」
そうやってビジネスを起こしていく。
そして、その志はサービスや商品を生み、お金を生み、雇用を生む。
それがビジネスであり、起業なのではないかと思う。
ストーリーに隠されたハリボテ
私たちはSNSで自分のことを発信できるようになって、ここ数年は「ストーリーのあるもの」が売れるようになった。
こんなストーリーでものを作った、お店を作った、自分はこういう思いで立ち上げた、などストーリーが消費者の心を掴むポイントの一つになったと思う。
ストーリーはパッケージとなり、商品やサービスの顔になっていく。
そしてストーリーが上手に語れる人に人はついていくようにもなった。
(それが悪いということではなく)
そうした「ストーリー重視」な消費が増えたことにより、実はふたを開けてみたら「あれれ?」というものも増えたように感じる。
自分が尊敬する志の高いAさんが作ったものだから良いに違いない!というものも、その外側にいる人からすると「え?」という物であることも増えているような、そんな気がするのだ。
結局映画フォレストガンプの印象的な台詞である「人生はチョコレートの箱と同じ。開けてみるまでは分からない」なのかもしれない。
ストーリーは大きくなればなるほど、人を引き寄せる。
「世界を狙っている」「日本を変えていく」
強いまなざしで見つめる目線の先は、本当にそこにあるのか?
その人はハリボテではないのか?
本当においしいチョコレートなのだろうか。
志だけではビジネスは成り立たない
志は生きていく中でとても大切だと思っている。
世の中を変えたい、世界を狙っていく。志がなければ、成し遂げるまでの困難を乗り越えられないときもあるから。
でも私は正直10年小さく自分のサイズでとても退屈にビジネスをやってきたように感じられるかもしれない。
「そんな会社聞いたことがない」そういわれるかもしれない。
でも中身のないまま「ストーリーだけ語れる人」になりたくない、というのが私の志のひとつだ。私の仕事には「ハッタリ」は必要ない。
箱を開けてみてがっかりさせたくない。
ゆっくりのペースでも、求められることを地道に地道にやっていきたい。
だって志だけではビジネスは成り立たないし
志だけでご飯は食べられないから。
世界を変えたいなら、世の中を変えたいなら、その責任を背負って
自分のできることを日々こつこつ、切々とやることだって
派手に大きな風呂敷を広げなくてもできるのだ。
そして志を本当に形にする人は「行動」と「思考」「チーム」によってお金を生み、雇用を生み、サービスや商品を生み出す。
そしてその「生み出すもの」において、起こるたくさんの困難と闘うときに「志」を思い出すのではないか。
今、結果を出さなくてもいい。
本当に守りたい家族や従業員を幸せにするところからで良い。
しかるべきタイミングで答えあわせをするときが必ず来る。
私も多くの失敗をして、たくさんの人を失望させてきた。
資金調達もしたことはなく、ずっと自分が最初に借り入れしたお金をまわしながらやってきた。
志は確かに大切だ。でももっともっと大切なことがたくさんある。
大切にすべきものを見失ったビジネスでうまくいったものは
ほとんど私はみたことがないな、と思う。
経営者として、起業家として私は決して誇れるような結果は出していないけど。
志だけで人を納得させ、我慢させたり、操るようには絶対になってはいけないと思う。
私の尊敬するキッズラインの経沢社長の言葉を最後に紹介しておきたい。
「正しいことを、正しい方法で続けていれば、必ず結果は出る」
中身の詰まったチョコレートの箱になれるように、私も精進していきたい所存である。