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日本に住むロヒンギャの人たち

2019年に帰国し、日本に住むロヒンギャの人々や支援について知りたいと思っていましたが、6月6日に、その機会がありました。「さぽうと21」で学習支援室のコーディネータをされている矢崎理恵さんからお話を伺いました。

日本在住のロヒンギャの人達は何人くらいいるのでしょうか。私もネットで調べてみたのですが、はっきりとはわかりにくいのです。法務省や国連の数字は出身国別になっていることが多いのですが、ミャンマー出身の難民・移民の人たちの中には、いくつかの民族的なバックグラウンド持つグループがいるので、出身国だけではロヒンギャの人たちの数がわかりません。また、ロヒンギャの人たちの中には、両親がバングラデシュなどに避難した後、庇護国で生まれた人もいて、やはり、出身国別の人数からはロヒンギャの人たちの人数を推定するのが難しいのです。

矢崎さんによると、ロヒンギャの人達は、現在日本に300人くらい在住しているそうです。その多くが馬県館林市在住ですが、他の地域にも住んでいる人たちもいます。

ミャンマーのブティドンからシットゥエに向かう船上から

学習支援

さぽうと21がロヒンギャの小中学生にオンラインで学習支援を始めたのは、今年2月。当初40名程度の参加を見込んでいたところ、今では60人近くの子どもたちがオンライン学習支援を受けているそうです。子どもたちの多くは日本生まれだけれど、両親は日本語が堪能なわけではありません。日本で生まれ育った人たちにとっては当たり前のことも、ロヒンギャ家族の両親や子どもにとっては知らないことも多くあります。子ども本人や親御さんがちょっとした「日本のこと」を知らないということが、子どもたちが小さな学習上の疑問を持った時、それを解消する機会を失うことにつながります。その例として、矢崎さんは、授業中でのたとえ話の使用を取り上げて、説明してくださいました。「例えば、昔話の浦島太郎で…」というようなことを学校の先生が言ったとしましょう。子どもが浦島太郎のお話を知らなければ、結局、例え話を使っての説明がわからない。浦島太郎の話って何?そういうちょっとした疑問の解消は、日本育ちの家庭では、家族の中の会話で解消される、でも、ロヒンギャの家族では、両親も浦島太郎を知らないだろうし、子どもの方は、このような小さな疑問が溜まっていくばかりというわけです。

それでも、難民の第二世代が社会で活躍しているようなグループでは、そのコミュニティの中での蓄積や第二世代自身の知識や経験があるのですが、ロヒンギャコミュニティはまだまだ第一世代が中心で、第二世代の多くは社会人になっていないようです。また、小学校の通知表の書き方も、ロヒンギャ家族のお母さん、お父さんなど、外国人の親御さんたちは、子どもの学習レベルがわかりにくい理由の一つになっているとのことです。

お母さんたち


現在の小学校の成績表は、「よくできる」「できる」「もう少し」の3段階。コメント欄には、概して、長所が書かれている事が多いらしいです。そうすると3段階評価で、「よくできる」と「もう少し」「できる」もあるとすると、平均すると中間の位置にはいるのだろうと思ってしまう親御さんも多いそうです。中には、3項目の該当箇所を示すときに○が使われているので、何となく〇が多いから大丈夫な気がしてしまうお母さんもいらっしゃるそうです。親御さんにしてみると、お子さんは両親よりも上手に日本語をしゃべってもいるし、3段階評価も全体として普通のように見えるし、コメントには良いことが強調されているので、お子さんが学習でつまずいていたとしても小学生の間は気づきにくく、中学生になって5段階評価をみてびっくりするということも少なくないそうです。

ロヒンギャ家族では、子どもの世話はお母さんの役割と決めているご家庭が多く、お母さんたちにとって、お子さんの教育は「大きな関心事」という以上に、教育をきちんと受けさせるのは母の「ミッション」くらいの重要さで受けとめられているそうです。ロヒンギャコミュニティの結びつきが強いということを矢崎さんから伺いましたが、お母さんたちの子どもへの思い、けれど、自分一人では子どもの勉強を支えるのは難しいという気持ちが、お母さん同士の固い結びつきにもつながっているのかなぁと思いながら聞いていました。

ネットワークが支援プログラムを作る


ロヒンギャの子どもへの学習支援プログラムには、それまでの難民支援の実績や矢崎さんのネットワークが確固な基礎を作っています。数年前に、ある団体がロヒンギャのニーズ調査をし、「母親は日本語を学びたいと願っている、その目的は子どもの学習の役にたちたいから。」という結果が出ていることが矢崎さんにも知らされていました。一方で、さぽうと21と明治学院大学、そしてファーストリテイリング財団とのネットワークによって、さぽうと21では、他の難民グループへの学習支援プログラムがあり、そこから学習支援の内容やプログラムの運営方法についての知見が得られていました。そして、ロヒンギャ女性であるカディザ・べゴムさんと矢崎さんが連絡を取り合い、ロヒンギャの子どもへの学習支援の必要性が再確認され、支援を希望する人数も把握された後に、このプログラムが立ち上がりました。計画段階では40名程度を想定してスタートした支援活動が、話を聞くひとに広がり、今は、60人近くになったのです。お話を伺いながら、一朝一夕で出来上がったものではないことが伝わってきました。

オンライン学習支援の方法にも工夫が凝らされています。学年によってグループ分けをし、そのグループがホームルームです。ホームルームには、学校の担任の先生のようなコーディネータとアシスタントがつきます。ズームを使って、子どもたちは、まず、ホームルームから始め、その後、ブレイクアウトルームで、子どもはボランティアと共に個々の学習をやっていきます。意図したわけではないものの、ズームだと少し家庭の様子を知ることができるということも、子どもの学習を支える上で役にたっているそうです。

お話を聞いて


私が直接支援をする現場を去って、ほぼ3年。前職を退職した直後は、現場での説明しきれないややこしさから自由になれてホッとする気持ちが強くありました。そんなわけで、大学で授業をしていて現場を恋しく思うということもなかったのです。けれど、コロナ感染の規制が緩和された最近、現場で働く方々のお話を聞く機会が続けてあり、支援って、やっぱり、現場の話こそ力があるなあと感じ、同時に、私自身の経験した現場の躍動感を思い出し懐かしくなりました。こうして、矢崎さんのお話を聴いて、エネルギーも伝わってきて、勉強にもなりました。さあ、私も働こう。

さらに知るために


さぽうと21については、こちらです。
https://support21.or.jp/

カディザ・べゴムさんについては、このリンクで知ることができます。https://www.uniqlo.com/jp/ja/contents/sustainability/power_of_clothing/01/


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