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”頑固”ではなくて”芯が強い”息子と私の第2の青春

こんにちは。
あやねです。

今日は私の息子について書きたいと思います。
最後までよろしくお願いいたします。

《息子からの告白》

息子は転校を期に小学4年からソフトボールをやっていました。

夏の甲子園出場の地区予選をテレビで観ていた息子が「この高校に行って良い?」と尋ねてきたんです。

私は『まだ4年生だから気持ちは変わるだろう』と思いながら
「良いよ!」と軽い気持ちで返事をしました。


《硬式野球の始まり》

中学校では外部の硬式野球部へ友人6名と入部し、送迎は6家族で担当を決めて行う毎日を送っていました。

硬式野球は慣れるまでに2~3ヶ月かかるそうです。

入部直後に息子は成長痛が始まり、心配しても「大丈夫!」と言うばかりで弱音は吐きませんでした。

チームは決勝まではいくものの優勝はできずに悔しい思いばかりの3年間となってしまいました。

私は『息子が野球をどれだけ習得するか!』を重要視して応援していました。



《高校進学を決める時》

甲子園で優勝した高校のオープンスクールへ行ってみるように勧めましたが全く行く気が無く聞く耳もたずで返事すらしなかった息子でした。

この時に『小学4年生の時に言った言葉は本気だったんだ』思いしらされ『頑固ではなく芯がブレい強さ』だと思いました。

息子は夢見る高校へ入学することを願いながら野球をしていたことに私は『まだ4年生だから気持ちは変わるであろう』と思ったことに罪悪感を覚え、息子を信じていなかったことを反省しました。


《息子の甲子園の夢に向かって》

息子が5年間も夢にみた高校へ入学し高校球児としての甲子園出場を目標としての日々の始まりです。

野球部は、
✔朝練は6時から始まる。
✔朝、昼の2食のお弁当は手作りをすることの決まりごとがありました。

私は、
・朝の4時起床。
・朝、昼用のお弁当を作る。
・5時30分に自宅を出発し学校へ送り届ける。
・帰宅後に1時間ほどの仮眠。
・出勤をする。
・部活が終わる時間に学校へ迎えへ行く。

というサポート生活が始まりました。

私は朝起きれない自信があり、私自身やっていけるのか不安もありました。

・5年間も目指す高校が芯がブレなかった息子。
・息子の甲子園を目指す夢のために。
・他の保護者の方も同様のことをされている。
と思うと苦には思わずにやり遂げる覚悟をもったのです。

保護者会で私が「甲子園へ行きたいです」と言った時には笑われてしまいました。

簡単に行けるものでは無い甲子園大会ですから笑われるのもわかりますが既に息子と一緒に甲子園へ行きたい!という夢を私は追いかけていました。

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《甲子園出場》

息子が高校2年生の時に夢に見た甲子園大会出場が決まりました。

この時私が笑われた意味が分かったのです。

甲子園出場する事も大変なことですが、資金をお願いする事も大変でした。

【甲子園の結果】
1回戦勝利!
2回戦は勝利はできませんでしたが、息子も甲子園でプレーをすることができました。

私の父も応援へ甲子園へ来てくれましたが、後で分かったことは殆ど目が見えない状態でした。

「見える見える」と言っていましたが、ぼんやりと見えて、周囲の雰囲気で息子の活躍を感じていたのだと思います。

甲子園は高校球児の聖地ですが、私にとっても聖地でした。

数年経った今でも甲子園の偉大さが思いだされます。


《高校野球部3年の出来事》

息子は他校から警戒されるまでに野球の技術も上達しました。

練習中に右指を骨折。
試合には出場せずにベンチ入りのみ。

監督は対戦相手に息子が骨折していることを隠し「いつでも試合にだせるよ!」と警戒させている。と仰いました。

心理的な駆け引きですね。

その後、春の甲子園大会選考となる大会はギリギリで医師から野球再開の許可を頂き鎮痛剤を飲みながら出場する事になりました。

息子のポジションへボールが行く度に私には痛みが心配でしたが、ボールをキャッチした息子の表情は変わらず平然としていました。

骨折での痛みを対戦相手に知られると負けにつながる思い、甲子園を目指す根性、信念からでしょう。



しかし、甲子園は夢に終わってしまいました。

夏も。

「もっと息子の野球を観ていたかった」と言いながら人前では泣かない私は泣きました。

私は最後の野球の全ての応援へ行きたいために仕事を辞めました。

私にとって息子の高校野球は "第二の青春” でした。

息子の反抗期は高校生まで続いていましたが卒業式の時は私への感謝の言葉を泣きながら話してくれました。

反抗期でも私の気持ちを理解していてくれたことが嬉しく思いました。



《高校卒業後も野球を続ける約束》

「高校卒業後も野球を続ける」と息子が言うため野球部推薦のプロテインを購入していました。

進路のための三者面談での息子の言葉が信じられませんでした。

「野球では生活ができないから就職します」と言ったんです。

現実的な考えです。
分かっています。

担任の前で息子に「野球を続けるからプロテインを購入したよね!」と言った私に担任からは「十分活躍しましたよ」と発言がありました。

プロテインに執着し納得いかない私。
三者面談終了。

数日後にある大学から「特待生として受け入れたい」との話がありました。

シングルマザーで卒業をさせてあげられるのか不安でした。

借金を覚悟した結果大学進学をさせました。

私の続・第二の青春の始まりです。


《大学野球》

親子丼を12杯も食べて体も益々大きくなり、結果も出してくれました。

大学の全国大会も出場し、新聞にもとり上げて頂き、DH出場で打点王となり、選抜選手に選ばれる活躍をしてくれました。

応援へ行けるときには応援へ行きました。

長打の時も対戦相手の気持ちを考えてガッツポーズをしなかった息子の初めてのガッツポーズの写真を新聞社から購入しました。

新聞も飾ってあります。

ハイ!親バカです!!

しかし、ホームランボールはお世話になったコーチへユニホームは後輩へ渡して私へは打点王のトロフィーを受けとりました。

私の本音は1個だけでもホームランボールも欲しかったですね。

息子の気持ちなので仕方ないと諦めました。



《大学野球終了》

息子に進路を聞くと「こんなにいいチームメイトに出会えてよかった!これ以上のチームメイトに出会えて自分がチームのために出来るのか自信がない。野球は辞める」と言いました。

息子はチームのために頑張っていたんだ!ということを知った言葉でした。


息子には第二の青春を過ごさせてもらい、息子の頑張りが励みとなり感謝しかありません。

『”頑固”ではなく”芯が強い”』小学4年から続いた息子の野球人生は終わりました。

今は社会人として元気に頑張ってくれてます。

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