「扇のかなめのような集注点」 by夏目漱石
漱石の門弟であった寺田寅彦が漱石に「『俳句とはいったいどんなものですか』」と質問したところ、漱石は「『俳句はレトリックの煎じ詰めたものであ る。』『扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。』」(『夏目漱石先生の追憶』昭和七年)と答えた という。
漱石は、俳句を究極のレトリックと考えていたのである。
このことは、漱石が使うレトリック一般にも集注点があることを暗示している。つまり、漱石 が彼の作品の中で象徴的に使っている語をキーワードにたどっていけば、「扇のかなめのような集注点」に突き当たるはずなのである。
『吾輩は猫である』に登場する「カーライル」(第二話、第十一話)は講演を含む漱石作品にたびたび登場している。
漱石が、スコットランド出身の歴史家・ 評論家のカーライル(Thomas Carlyle, 1795年12月4日 ― 1881年2月5日)を好んだことは有名な話である。カーライルの著書では『英雄と英雄崇拝論』(On Heroes, Hero-Worship, and the. Heroic in History, 1841)が特に有名で、カーライルといえば「英雄論」、「英雄」といえばカーライルというほど彼を象徴する作品である。
この「カーライル」をキーワード に漱石の作品をたどって行くと、ショーペンハウアーに突き当たる。漱石は『カーライル博物館』(一九〇五年)で「カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対である。」と述べているのだ。
漱石が現在「ショーペンハウアー」(「ショーペンハウエル」とも)と表記されることが多いショーペンハウアーを「ショペンハウア」と書いていることから、訳語が定着する以前にショーペンハウアーの著書を日本語以外の言語で読んでカタカナ表記したと考えられる。
つまりこのことは、漱石が英語訳またはドイツ語でショーペンハウアーの著書を読んだということを示している。
実際に東北大学所蔵漱石文庫には「Essays of Schopenhauer」と「The Art of Literature」の二冊があり、漱石がショーペンハウアーの著書を所蔵していたことも確認できる。
たった二冊であるが、これはショーペンハウアーの 著作をかなり広範囲に読み込んでその思想体系を知っている者が、論文作成の際の参考にする目的で、必要な論稿が集録されている冊子を買い求めたように見え るのである。
また、漱石が学生時代の読書について「書物は大抵学校で貸し与えたから、格別その方には金も要らなかった。」(『私の経過した学生時代』)と 述べていることから、かなり早い時期にショーペンハウアーを読んでいる可能性がある。
「カーライル」だけではない。漱石が文学者になろうと決意した際に、漱石にアドバイスし たとされる親友の米山保三郎をキーワードにたどって行ってもショーペンハウアーに突き当たる。
「米山保三郎」は『吾輩は猫である』では、「天然居士」(第 三話、第四話、第六話)として登場する。「米山保三郎」も「カーライル」と同様に講演を含む漱石作品にたびたび登場している。
「天然居士」こと「米山保三郎」は、「『シオペンハワー』氏充足主義の四根を論ず」という論文を遺している。上田正行氏の「『哲学雑誌』と漱石」『金沢大学文 学部論集』(文学科篇, 8: 1-37、1988.02.18)によると、大学時代に漱石は米山とともに『哲学雑誌』の編集委員をしており、先の米山の論文はその『哲学雑誌』一二五 号、一二六号(明治三十年七月、八月、全六六頁)の論説欄に二回にわたって発表されたものであるという。
「充足主義の四根」というのは、現在は『充足根拠 律の4方向に分岐した根について』(Über die vierfache Wurzel des Satzes vom zureichenden Grunde, 1813)などと訳されているショーペンハウアーの学位論文のことである。
とくに注意しなければならないのは、米山が批判した『充足根拠律の4方向に分岐した根について』という論文は、ショーペンハウアーの主著の『意志と表象 としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung, 1819)を理解するために読む必要があるくらいで、それを目的にしない人はまず目もくれないという代物だということである。
このいわば特殊な論文を漱石 の親友米山が読んでいたという事実である。
このことから推理すると、漱石が『吾輩は猫である』で「天然居士」と米山を暗示したり、講演などで米山の名を繰り返し上げたりするのは、ただ友人を懐か しく思っただけでなく、日本で最も早い段階に『充足根拠律の4方向に分岐した根について』を漱石自身も読んでいたことを暗示しているのではないかと考えら れる。
米山は「『シオペンハワー』氏充足主義の四根を論ず」で唯物論的な立場からショーペンハウアーの表象論を否定しているが、漱石は『文芸の哲学的基礎』で ショーペンハウアー的な表象論を展開しており、漱石が『充足根拠律の4方向に分岐した根について』や『意志と表象としての世界』を読んでいた可能性は極め て高い。
実際に漱石は、『文芸の哲学的基礎』でショーペンハウアー的な表象論を展開した後に「ショペンハウワーと云う人は生欲の盲動的意志と云う語でこの傾向を あらわしております。まことに重宝な文句であります。私もちょっと拝借しようと思うのですが、前に述べた意識の連続以外にこんな変挺なものを建立すると、 意識の連続以外に何にもないと申した言質に対して申訳が立ちませんから、残念ながらやめに致して、この傾向は意識の内容を構成している一部分すなわち属性 と見做してしまいます。」と述べている。
このことから、漱石の立場が実体的な意志を認めない意識一元論、つまり実体的な意志を認めない表象一元論の立場であることがうかがえる。
これは当時 ショーペンハウアーを日本に紹介した哲学者の井上哲次郎(いのうえてつじろう:一八五六―一九四四、日本人初の哲学教授。東西の思想の融合統一をめざすと ともに、日本主義を唱えた。東京帝国大学名誉教授)や姉崎正治(あねさきまさはる:一八七三―一九四九、東京帝国大学哲学科卒業。宗教学者、評論家。一九一一年ショーペンハウアーの主著を『意志と現識としての世界』と題して翻訳出版)が、実体的な意志を認める意志一元論の立場でショーペンハウアーを解釈したのとは対照的である。
当時、井上哲次郎は『倫理と宗教との関係』(一九〇二年)で「現象即実在」との考えを示し、「日本民族は、仏教と基督教とを融合調和すべき天職を擔へる ものにして、―中略―日本民族は東西ニ種の文明を結婚せしむる媒介者なりといふべきなり」と述べているが、漱石は『文学評論』(一九〇三年九月~一九〇五 年六月までの講義が元)で「我々日本人が考えると何も神と云ふ事と哲学的思想とは関係のない者である。神は神、哲学は哲学でよからう様に考へられる」。 「基督教の根拠は神であつて此神から人間も天地も出来て居るのだからして、―中略―どうにか神の始末をつけねばならぬ。従つて欧州の哲学者は神のことを 云々せざるを得ない。我々日本人は違ふ。根本的にそんな影響を蒙つて居らんから神抔をどんなものだと考へる必要もない。西洋の哲学書にある神抔の受売りを する必要はない。」と述べている。
漱石は神や意志などを実体的な世界原因と考えない立場で、井上哲次郎、姉崎正治等は神や仏、意志などを実体的な世界原因と考える立場なのである。
まるで漱石が、大学講師時代の上司に当たる井上哲次郎や姉崎正治(学生時代は漱石の後輩)の哲学を否定しているかのようである。
以上のように「カーライル」と「天然居士(米山保三郎)」をキーワードにたどって行くと、ショーペンハウアーに突き当たるのである。