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一の谷は、お正月の定番BGMの聖地⁉︎ 箏曲『春の海』の波の音、船の櫓を漕ぐ音、鳥の声について。

箏曲の『春の海』の作者
宮城道雄は神戸市の出身なのだそうだ。

明治27年に居留地で生まれて、
13歳まで神戸で育ったらしい。

『春の海』は、
昭和5(1930)年の宮中の歌会始の勅題
「海辺巌」にちなんで、
尺八と箏の二重奏として作曲されたそうだ。

宮城は、
明治40年に朝鮮に渡り、
大正6年に上京する際に、
瀬戸内海を船で旅して、
その体験を元に『春の海』を
作曲したという。

『春の海』の作曲過程について、
宮城は自らの随筆で

(前略)大体の気分は,私が瀬戸内海を旅行した際に,瀬戸内海の島々の綺麗な感じ,それを描いたもので,ここが波の音とか,ここが鳥の声と云ってしまうと面白くないが,大体は長閑な波の音とか,船の櫓を漕ぐ音とか,また鳥の声というようなものをおり込んだ。(後略)

(原田宏司・千葉潤之介『音楽鑑賞と様式理解-理論と実践をめぐって-』からの孫引き)

と述べている。

「長閑な波の音」で、
思い浮かぶのは、
やはり、蕪村の
春の海 終日のたり のたりかな
である。

宮城の『春の海』も、
須磨浦をモチーフにしているような
気がしてならない。

なぜなら、
宮城が朝鮮から上京する際に
瀬戸内海を旅した船は、
櫓を漕ぐような舟ではなかったと思われ、
その船から聞こえる波の音は、
舳先が波を切る音であったと思われるからだ。

「瀬戸内海の島々の綺麗な感じ」は、
確かに上京する際に瀬戸内海を旅した船からの
眺めを想像したものだったのかも知れないが、

宮城は、
いったい瀬戸内海のどの辺りで、
「長閑な波の音とか,船の櫓を漕ぐ音とか,また鳥の声」
を聞いたのだろうか?

箏組歌には『須磨』

http://afro.s268.xrea.com/cgi-bin/MusicConcept.cgi?mode=text&title=%E2%B5%91g%89%CC

や『須磨の嵐』などという題の曲があるようなので、
宮城が箏の修業時代(神戸に住んでいた頃)に、
『須磨』や『須磨の嵐』を練習した可能性がある。

宮城は神戸市の出身ということだから、
曲の舞台となっている須磨浦を訪れ、
須磨浦の波音を聞いたとしても不思議はない。

いや、熱心な奏者なら、
曲の舞台を訪れるに違いない。

もし、
宮城道雄が少年時代に
須磨浦を訪れていたとすれば、

「長閑な波の音とか,船の櫓を漕ぐ音とか,また鳥の声」
というのは、

須磨の浜(一の谷)で聞いた
波の音、
船の櫓を漕ぐ音、
鳥の声、
ではないだろうか?


昭和5(1930)年の宮中の歌会始の勅題
「海辺巌」にちなんで、『春の海』を作曲したそうだが、
「海辺巌」を浜辺の大きな石https://dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/%E5%B7%8C/という意味に解釈すると、

そのイメージは、
東映映画の波

で、
荒磯の波である。

箏曲『春の海』の印象とは全く異なる、
ような気がする。

ところが、
「海辺巌」を浜辺の崖
https://dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/%E5%B7%8C/
という意味に解釈すると、
まさに一の谷の海岸(須磨浦)の風景となり、

蕪村の
春の海 終日のたり のたりかな
の長閑な春の海になる。

宮城が言う
「長閑な波の音とか,船の櫓を漕ぐ音とか,また鳥の声」
というのは、
須磨の浜(一の谷)で聞いた
波の音、
船の櫓を漕ぐ音、
鳥の声、
ではないだろうか?

リートン画伯は傘を描くのが苦手のようだ。

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