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一の谷形兜(いちのたになりかぶと) 一の谷は、衣装のデザインになった世界唯一の土地?
一の谷形兜(いちのたになりかぶと)という兜がある。
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福岡市博物館の説明には
黒田長政所用の兜で、その形は源義経の故事で著名な一の谷の崖をあらわしています。
とある。
なんと、一の谷の地形は、
兜のデザインになっているのである。
銀箔押一の谷形兜の他にも、
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などがあり、
秀吉愛用の甲冑、
一の谷形馬藺後立付兜
(いちのたになりばりんうしろだてつきかぶと)
は特に有名である。
ドラマや映画の小道具として、
秀吉の背後に
飾ってあったりする。
いわば天下人秀吉を
象徴するものである。
これらの
兜の鉢の部分の形状(デザイン)を
一の谷形(いちのたになり)
という。
世界中を探しても、
これほど有名な衣装(甲冑の兜)の
デザインとなった地形はないだろう。
産地や地名が
ブランド名やデザイン名になった
程度のことはあるかも知れないが、
地形そのものが、
衣装(兜)のデザインになり、
その形状(デザイン)のものの
総称(一の谷形)になることが、
ほかにあるだろうか?
一の谷は、
衣装のデザインになった
世界唯一の土地と言って良いだろう、
たぶん。
WEB歴史街道には、
この「一の谷形兜」ですが、もともとは竹中半兵衛が考案したとされ、義経の一の谷での活躍にあやかって戦勝を祈願する意味合いが込められていたとされます。そして福島正則を経て、長政の所有となりました。
関ケ原合戦当日、長政と竹中重門は、合戦開始の烽火を上げる重要な位置である岡山(丸山)に陣取ります。
と書いてある。
長政と竹中重門が陣取った岡山(丸山)について検索すると、
標高164mの丘陵で、関ケ原が一望でき、戦況が見渡せる場所です。ここには東軍・黒田長政と竹中重門が、約5,000人の兵を率いて布陣しました。開戦すると攻撃の合図である烽火(のろし)を上げました。
という記事が見つかった。
一の谷形兜を考案した竹中半兵衛
の息子の重門と
半兵衛の一ノ谷形兜を受け継いだ
黒田長政が、
関ヶ原で烽火を上げたというのは、
興味深い話である。
まるで、
竹中半兵衛が一ノ谷の戦いでの
源義経の烽火を使った戦術(トリック)を
息子や黒田家に伝授していたかのようである。
一の谷形兜(いちのたになりかぶと)に
義経の一の谷での活躍にあやかって戦勝を祈願する意味合いが込められていた
と、
まるで運任せに
寡兵で大軍に突撃する
義経の武勇(匹夫の勇?)や
幸運にあやかろうとしたかのように解釈するより、
戦術や戦略における
烽火などの有視界通信の重要性を
常に自身に戒めるために
兜のデザインにした
と考えた方が合理的な解釈のような気がする。
一の谷を訪れれば、
一目瞭然だが、
一の谷形兜の形(デザイン)は
義経が「懸崖を一の谷へ逆落しした」
(喜田貞吉『鵯越と一の谷』)場所、
いわゆる鵯越の
逆落とし(内裏跡から鉄拐山に続く道)というより、
安徳帝内裏跡のある高台の三方にある
「屏風を立てたような絶壁」
(喜田貞吉『鵯越と一の谷』)である。
天下分け目の戦いの
山崎の戦い(天王山)や
関ヶ原の戦い(関ヶ原)以前は、
壬申の乱の瀬田唐橋の戦いや
源平合戦の一の谷の戦いが
天下分け目の戦いだったのだろうから、
現代人が思う一の谷と重みが違う気がする。
一の谷形兜というかぶり物を作って
地形コスプレしてしまうような、
天王山や関ヶ原以前の武士や源平合戦マニアは
いい加減な伝承をしないと思うのだが、
歴史学者にとっては、
伝承と言うだけで検証に値しないものなのだろうか?
後から気付いたのだが、
富士山をデザインした富士山形兜というのがあるらしい。
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富士山があるので、
一の谷は、
衣装のデザインになった世界唯一の地形
ではないようだ。
だが、
衣装のデザインになった世界唯一の
可住地の可能性は高そうだ。