『失恋ショコラティエ』第七話「……なんの、涙? 現実にしていいの?」 「なんじゃ、こりゃ!」はなしですか?
『失恋ショコラティエ』(2014年)というドラマの第七話「……なんの、涙? 現実にしていいの?」の15分23秒あたりに、
松本潤演じる主人公小動爽太(こゆるぎ そうた)の妄想の中で、オリヴィエ・トレルイエ(溝端淳平)が小動まつり(有村架純)の元カレのマンションにまつりの荷物を引き取りに行き、そこでナイフで刺されるという場面があった。
オリヴィエ・トレルイエの血の付いた掌が映り、その後、彼が崩れ落ちるように倒れるシーンなのだが…
オリヴィエが
「なんじゃ、こりゃ!」
と叫ばないのが奇異に感じられた。
※「なんじゃ、こりゃ!」は、1974年8月30日放送の『太陽にほえろ』第111話「ジーパン・シンコ その愛と死」 で、ジーパン刑事(松田優作)殉職の有名なシーンでの一言。
「なんじゃ、こりゃ!」で、『四国新聞』の記事を思い出した。
2008年6月2日の『四国新聞』のニュースサイトに『何だこりゃ』という記事があった。
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/column/article.aspx?id=20080602000096
と、香川県警の女性警察官の奇行を取り上げた記事だ。
なかなか面白い記事だが…
「何だこりゃ」じゃなくて、「そらそうやわな~、おまわりさんやもん」と感じるくらいにならなければ、現実が見えているとはいえないだろう。
警察宣伝によって、小動爽太以上に妄想(警察は正義である等々)にとらわれているのが犬党のヒトビトである。
むかしから、刑事ドラマが人気で『部長刑事』『太陽にほえろ』『Gメン75』『熱中時代・刑事編』『西部警察』『あぶない刑事』『踊る大捜査線』『相棒』等々、枚挙に暇がないほどだ。
アニメの『ひぐらしの鳴く頃に』と比べ物にならないくらい犯罪シーンが目白押しだ。
それなのに、なぜ、放送禁止にならないのだろうか?
と、疑問に思うモノはいない。
あまり気にする人間はいないと思うが、『太陽にほえろ』は、戦前の国民皆警察運動の一環のプロパガンダ映画『民衆の太陽』と題名がよく似ている。
このことに気付くことができれば、日本警察のプロパガンでに関して興味深い研究ができるはずである。
ここでは詳しく書かないが、じつは警察宣伝番組は、国民皆警察運動の系譜なのである。そのことは、『警察協会雑誌』のプロパガンダ映画『民衆の太陽』制作に関する記事を読めば、容易に理解できるはずである。
警察研究がタブーなのと同様、警察宣伝番組についての研究もタブーなのである。
警察研究の裾野は、予想以上に広い。
警察研究をタブー視して、警察に言及しない人文社会科学の研究は、STAP細胞の論文と変わりない。※STAP論文は仮説が検証されれば名誉回復の可能性がある点で優っている?
私を含めて、オリヴィエが「なんじゃ、こりゃ!」と叫ばないのを奇異に感じたヒトは、警察宣伝によって洗脳されている可能性が高いだろう。