まさかの風疹の抗体値〜妊娠初期後半から中期
妊娠4ヶ月目になると、今回は無事に出産まで辿り着けるのではないかという希望が生まれ、沢山予定されていた本番に向けても身体の不安が減り更に幸せな気持ちで音楽と向き合えるようになってきました。その時期は丁度徳島県で徳島交響楽団の皆さんとラフマニノフのピアノコンチェルト、“パガニーニの主題による狂詩曲”のコンサートがあった時期です。リハーサルと本番、2回ほど車とバスで向かうことになっていました。つわりの症状が全くなくなっていたわけではなかったので道中吐き気が起こらないか、もしそうなったら運転してくださる方にご迷惑をおかけしないか等不安がありましたが体調に問題なく順調に到着。帰り際に徳島ラーメンを食べる事も出来ました。この頃のマイナートラブルは段々とお手洗いが近くなってきた事。頻繁に「お手洗いに行きたいです」とは恥ずかしくて言えないのが小さな悩みでした。それから、眠気も定番ですが酷かったです。
それとコンサートの最中に足が攣る事が増えたので本番用の靴をペッタンコのシューズに変えました。
基本的には大きなトラブルもなく過ごしていたこの頃、テレビニュース等で“風疹が大流行”と報道されるようになりました。妊娠するまでは、“そうなんだ”くらいの感覚で見ていたと思います。学生時代や20代はニュースで“妊婦の方はかからないように気をつけましょう”と、色々なリスクについて書かれていても、その時点では妊娠とは縁がなかったので右から左だったのです。
私の場合、幼少時に一度接種していますが母にいつか妊娠した時慌てない様に念のために予防接種打っておきなさいよとしつこく言われていたので面倒くさいなあと思いながらも数年前に接種していました。ですから大丈夫だと思い込んで安心していたのですが、妊婦検診の血液検査で私には抗体が殆ど残っていない事が判明しました。抗体が32倍以上あれば安心らしいのですが私は8。8という数値は抗体がないとほぼ同じらしいのです。
そして時を同じくして風疹大流行のニュース。それからの生活は只々大きな不安を抱えて過ごしました。風疹は感染力が大変高い事、万が一妊娠中にかかってしまうと、先天性風疹症候群という赤ちゃんへの感染が起こり、難聴、心疾患、白内障、発達の遅れなどの障害を持って生まれてくる確率が高くなってしまう事が知られています。妊娠週数が早いほどその確率が高く、妊娠4−6週では100%、7−12週で80%、13−16週で約50%、20週以降で0%というデータがあるそうです。そしてコロナでも言われている事ですが、風疹には不顕性感染でも風疹症候群は発生するという事、これも怖かったです。仕事をしている以上家に篭っているわけにはいかないです。そして様々な職種でも言える事ですが、私の演奏家という仕事も決まった演奏会に関して代わりの効かない仕事です。ですから色々と覚悟をしました。出来る事は最大限努力しました。夫にもすぐにワクチンを打ってもらいました。この点、妊娠に関する色々な事に対し夫は非常に理解のある人だったので即座に接種してくれました。これが他人事と思われると非常に辛かったと思います。
移動する時にはそれこそマスクを二重にしたり必要な時以外は一切外さず手洗いうがいも神経質なくらい行いました。それでも防ぐのが簡単でない感染症ですからくしゃみや咳をしている方がそばにいただけで恐怖を感じました。
ここで忘れてはならないのは移動の多い私の職業を考えて最大限のアドバイスと励ましを送って下さった主治医。普通はやらない詳しい検査等もして下さり沢山支えて頂きました。
妊娠週数を重ねる度に、あー、あと何週間でリスクが減っていく、と指折り数えながらその時が来ることを願っていました。
風疹を患っても、それが一つの小さな命の生き方を左右してしまうものなのか、本人だけがちょっと一定期間辛いだけなのか。妊娠している方だけが非常に恐れを感じる状況である事を実感しました。毎年少なからず流行るものですが、私の妊娠時は近年稀に見る大流行だった為、なんで今。。とも思いました。
妊娠した時から自分が望んだ事なので子供がどのように生まれても愛する覚悟は出来ていましたが、自分が防げば守る事が出来るであろう子供の人生、全力で守りたい気持ちでいっぱいでした。
私のように予防接種を打っても打っても抗体がつかない方がたくさんいます。その場合周りの方達にも気をつけてもらう事の重要性を思い知りました。
忘れられない事があります。20代の主人の仕事仲間が私に感染させない為に風疹の予防接種をしてくれた、という事です。有り難くて泣きました。
今回のコロナ流行でもそうですが妊婦さんや基礎疾患を持っておられる方たちの不安は相当なもののはずです。この風疹の予防接種をしてくれた彼の様に一人一人が誰かの命を守る為に私に出来る事があるなら最大限の努力をしたい。風疹もそうですがコロナ禍の今、大変な不安を抱えておられる妊婦さん、基礎疾患を持った方々、様々な方の命を守る事に繋がるんだとあの時の感謝を思いつつ、そしてこれを機に人に対する思いやりも芽生え、今を過ごしています。
演奏会はどの演奏会も無事に幸せな気持ちで佳い演奏をする事ができ、とても充実していましたが、移動もとても多かった為、思いもよらない感染症への恐怖で辛い辛い日々を過ごす事になった。それが私の妊娠初期後半でした。
最終的に安心できたのは、妊娠後期の出産に近い頃、改めて抗体検査をした時に、相変わらず抗体が全くないことが分かった時です。抗体が付きにくい人でも風疹に感染していたらしばらくは数字として現れるとお医者様に言われていたので全く変化のない数字に逆に安心したのでした。
初期の終わりから妊娠中期は、東京浜離宮ホールでのラフマニノフリサイタル、サロンでのプレイエルを使ったショパンプログラムリサイタルを終え、その足で埼玉の秩父に移動して三日間ショパンアルバムのレコーディング(何とショパンエチュード12曲にバラード4曲)ともりもりもりもり盛り沢山のプログラムをこなしました。
無事に乗り切った時には(身体のことは全く関係なく単純に演奏が納得いくように出来るかとてもリスキーな超ハード月間だった)心から安堵しました。この1ヶ月は自分の身体どころではありませんでした。妊娠してから怠けてる、演奏よくないね、というような印象を持たれてしまうことだけは自分の中で許せなかったのでむしろ成長していなければならなかったのです。
残すは出産直前まで行われるショパンのエチュード&バラードのリサイタルツアーです。
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徳島での演奏会(コンチェルト)
浜離宮朝日ホールでのラフマニノフリサイタル終演後、恩師と、お世話になったお姉さんと。
タカギクラヴィアでプレイエルを使用したコンサート、リハーサル。
ショパンアルバム無事録り終えて高木社長と。