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秘密の戯言30

こんばんは。ご無沙汰しております。最です。あやなちゃんです。いかがお過ごしでしょうか?

「誰しもに未来を選択し幸せに生きる権利が与えられることを僕は望む。」

 2022年からその年に観た映画を全てメモ帳につけている。大晦日に今年は何本映画を観たのか数えて「この映画よかったな。」と浸るのが好きなのだ。どうしても観てる途中に飽きてしまったりするもんだからその映画はカウントしてなくて、自分のなかに残ったものだけを記録している。

 映画が好きだと人に話すと「どんな映画が好きなの?」という話題に必ずなるけど、だいたい私が答えるのは「結局人が一番怖いよね。」系の映画。サイコホラー?とでも言うのかな。あとはファンタジー系。ディズニーやピクサーもティムバートンも大好き。逆に苦手なのは恋愛もの。エロ系も苦手。どんなに気になっている作品でも濃厚なキスシーンになった途端に早送りしてしまう。

 今日はアルバイトが休みになったのでまたNetflixを漁って前々から気になっていた映画を観た。あえてタイトルは最後に記すとして感想から述べさせてもらうと、本気のくそド鬱映画。ひさしぶりにこんなド鬱映画を観た。誰も知らないぶりだろうか。

誰も知らない』(だれもしらない、英題:Nobody Knows)は、育児放棄の実話を基にして2004年に公開された是枝裕和監督の日本映画。 映画のキャッチコピーは、「生きているのは、おとなだけですか。

Wikipediaより

 こういう家族って身近にいるよね。小学校や中学校の頃に子どもながらに「あれ?」と感じるような子が学年に一人はいた気がする。犯罪にまでは発展しなくとも一歩間違えたらこうなっちゃうような家族って全然いると思う。「行政がー!社会がー!」とか言う気は全くないけどなんとも救いようがない。差し伸ばされた手を振り払って叫んで暴れて手がつけられない。こんな家庭が大なり小なり溢れているんだろう。もう本当にどうしたらいいんだろう、という気持ちでいてもたってもいられなくなってこの記事を書いてる。

 この手の話でいつも心を痛めてしまうのが"子どもは何があっても親が好き"というところ。他所から見てると「こんなくそ親捨てればいいじゃん!」と思うけどそうはいかないんだよね。「こんなお父さん、お母さんだけど僕のことをきっと愛してくれているし、これも全部僕のためなんだ!」とか「僕がいないと生きていけないから。」みたいな思い込みとか。(思い込みっていうと言葉が強いかもしれない。でもあえてここではこう言わせてもらうね。)昨今よく聞くようになったヤングケアラーっていうのもある種の虐待になるんだろうな。そのことに本人(子ども)が気付いてもどうしようもできない。誰も助けてくれない。生活にかかる費用を何らかの理由で捻出できない。「今はなんとかやれてるんだからもう放っておいてくれよ!」と思うんだろう。その何とかってあと何日続くんだろう。わかっていても学校の先生や友達にバレたら恥ずかしいと思っちゃうよね。それが当たり前だと思う。恥ずかしいことなんて何もないのに。家族愛って一種の洗脳なのかな。

 「今思えばあの時ってそうだったかも。」とか、大人にならなきゃわからない部分もあるだろうけど、違和感を感じた時点で周りの大人に相談してほしい。その相談した大人がクソだったとしてもまた他の大人に相談してほしい。助けを求めることをやめてほしくない。親もまた然り。僕は子どもがいないからわからないけど、苦しむようなことがあったら家庭内だけで解決するんじゃなくてぜひ他人に頼ってみてほしい。行政でも職場の同僚でも友人でも親戚にでも苦しいってことを主張し続けてほしい。個人でできることは少なくても一緒に考えることはできると思うんだ。僕でもいいよ。今はまだ子どもでもひとりの人間であって、いずれ君は大人になる。

 将来に夢を見て、好きなことを探究して、友達とくだらない遊びをして、勉強して、熱中して。誰しもに未来を選択し幸せに生きる権利が与えられることを僕は望む。

 正直これが良い映画かどうかはわからない。でも気になる人はぜひ。

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■あやなちゃん
最という名で活動中の音楽家。
10.19神戸市出身。現在は東京在住。
主にギターか鍵盤を用いての弾き語り。
最近DTMも始めました。(詳しいプロフィールはこちら
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