宿題が浮き彫りにする教員疲弊
「宿題が終わらない」
5月28日から3日間にわたり、朝日新聞教育面で連載されたもののタイトルである。「子どもたちがやる気を出せばいい話ではないか?」という声もあるだろう。だが、そう簡単な話ではないようだ。
子どもたちにのしかかる宿題の負担は重く、その背景には、時代とともに変化する家族の形や教員の過酷な労働状況があった。
「大量・一律」宿題の在り方とは
「宿題が終わらない」と題した朝日新聞の連載は計3回。様々な学校で実際に取り入れられている現在の宿題を主軸に、各回違った視点から今後の宿題の在り方を模索する。
初回は、宿題の内容が「探求型」へとシフトしたことをテーマに、宿題の比重が重く、睡眠時間を削る子どもたちの悲痛な思いが書かれていた。朝日新聞の記事によると、小・中学校、高校で新たに導入された新学習指導要領では、自ら考える力を養う「探求的な学び」を重視するのが特徴だという。
記事に載っている東京都内の私立高校では、国語の授業で読んだ教材のあらすじを、5分程度の動画にするという宿題が出されている。動画の出来栄えが成績に反映されるという。アニメーションやBGMなどの工夫を凝らしているという男子生徒は、「1つひとつが重い。重なると全く時間が足りない」と記事の中で語っていた。
2回目は、宿題の「量」に着目。「定期テストの2週間前に5教科で問題集計500ページ近い量が出た」という中学生の話が記事にあり、子どもたちの負担は計り知れないものだと感じる。
「大量・一律」が一般化している現在の宿題の構造を指摘し、生徒1人ひとりの理解度に合わせた柔軟な宿題の在り方が求められると提言した。
また、この日の連載記事では一律の宿題を出すのをやめたという三重県立四日市高校の取り組みを紹介。記事によると、試験前や長期休み前に「学習計画シート」を生徒に作らせ、教員はその計画シートと実際のテストの成績を照らし合わせる。生徒によっては個別に課題を出すなどして習熟度に合った学習法を考えているという。
最終回である3回目は、宿題と親の関係性を、ひとり親家庭のエピソードから紐解いている。
両親が共働きであったり、ひとり親で夜遅くまで仕事をしている家庭など、近年では家族の形が様々だ。そんな中でも、学校で出る宿題には保護者にかかわりを求めるものが少なくない。「宿題に関わりたくても忙しすぎて関われない親の状況がわかっているからこそ、子も親に言い出せない現状がある」とスクールソーシャルワーカー経験のある桜幸恵さんは記事の中で指摘した。親子ともに気持ちの負債が溜まってしまう危険がある。子どもたちを追い込まないような宿題の在り方が求められる。
背景には教員の疲弊も
「大量・一律」の宿題スタイルには、教員の過酷な労働状況が垣間見える。前述の四日市高校のような、生徒1人ひとりに合わせた宿題の出し方は、学習状況に合わせたもので画期的だ。しかし、この方式は教員の負担も大きくなる。事務作業や会議、授業の準備に部活動の指導と、教員の疲弊は明らかだ。
第3回の連載で挙げられた「保護者にかかわりを求める宿題」には、宿題の丸つけや間違い直しといった事務的な作業も多い。教員の負担を保護者に分散させる狙いもあると推察する。宿題の柔軟さを出すにはまず、教員の労働状況を改善する必要がある。
教員の働き方改革の具体案として、自民党は今月、公立学校の教員の基本給に上乗せする「教員調整額」の支給比率を、4%から10%以上に引き上げる案を提示した。
だが、いわゆる残業代が上がったところで教員の長時間労働の解決に至るとは考えにくい。支給比率を引き上げること自体は賛成だが、教員が本当に欲しているのは「時間」ではないだろうか。職務の分担業務化で、教員が生徒1人ひとりに対応した宿題を検討できるような、心と時間の余裕を作れるように改革が求められる。