思と想
二つとも小学校で習う簡単な漢字ですが、「おもう」と読む場合、漢字は「思う」のみが「常用漢字」として認められています。
私は活字産業での勤務が長かったので「おもう」は「思う」一択でした。「想う」と書こうものなら漢字変換ソフトからアラートが出ますし、校閲担当に原稿が回る前に9割方赤字が入ります。
ただ、ウェブでは「想う」をかなり頻繁に見かけます。後で述べますが、「想う」に特別な意味を込めて使っているようです。どう違うのか改めて調べるため、物書堂アプリ版の『新字源』を購入してしまいました。引用してみます。
思う
くふう。思案する。また、思いしたう。なつかしく思う。
想う
おもいやる。思いうかべる。
なんだかよくわかりません。
漢字の成り立ちから考える
基本に立ち返って漢字の成り立ちを見ると、「想」は
形声。心と、音符相とから成る。こいねがう気持ち、ひいて、かんがえる意を表す。
とありました。
ソウという読み方を決めるのが「相」の部分、意味は「心」の部分から構成されているということですね。
一方、「思う」はどうでしょうか。
会意。心と、しん(子どもの頭のひよめき※。田は変わった形)とから成り、心と頭で考える意。
「会意」というのは、単独で意味のある文字をいくつか組み合わせて作られた文字のことです。
一方で、さきほど「想」には「形声」という説明がありました。少し触れたように、「相」という文字の「ソウ」という音を示し(音符)、意味としては別の文字(心)と組み合わせて作られています。
ちなみに「相」の字義はというと、
会意。目と木とから成り、ひいて「みる」意を表す。借りて、すがた、あいたがいの意に用いる。
です。
意図的な使い分け
昔「『想う』はだれか具体的な相手のことを考える時に使う、なぜなら『相手』の『相』が入っているから」と説明されたことがあります。
ネット上で見かける「今ここにないものを思い浮かべるのが『想う』」「心の中で対象をイメージするのが『想う』」といった説明も似たようなものでしょう。「相」の字義に触れたものも多いです。
なお、「思う」「想う」以外にもさまざまな「おもう」があります。
【意う】推量する
【以う】〜と思う
【惟う】思案分別しておもいはかる。「慮」の軽いもの。
【謂う】そうだと判断する。
【憶う】わすれない。
【懐う】人や場所などを思いしたう。
【顧う】反省する。
【念う】心の中にじっとありはなれない。
なぜこんなにたくさんの「おもう」表記があるのでしょうか。
心や頭の働きがそれだけ多様で、「思う」だけでは言い表せないからでしょう。ですが「意う」「以う」「顧う」「念う」あたりになると「おもう」と読める人がどれだけいるか、あやしくなってきます。だからこそ常用漢字としては「思う」に一本化されました。
「想う」は他の字に比べればルビがなくても読める人は多いでしょう。
ただ、「おもいやる、思い浮かべる」以外の意味の時にも多用されている気がしています。
筆者の場合、一般的でない訓読みの時は「なぜその字を当てたのか」を自分の中で明確に定義してから使うようにしています。
まとめ
思う=常用漢字。一般的。
想う=常用外の訓読み。「思い浮かべる(想像、想起の想)」意味を特に伝えたい時に使う。
※ひよめき=乳児の泉門(頭骨が閉じきっていない赤ちゃんの頭のぺこぺこ動く部分)