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親愛なるジュンコへ 6/8話

6 純子の病気

前回の話はコチラ↓


純子から「子供が出来たから結婚する」というメールが来てから数か月が過ぎた。

私が知ってる限り、4回も堕胎した純子はこれ以上子どもを堕すわけにはいかない。
年齢も35歳を過ぎていたから尚更のことだった。

私は純子の様子が気になっていた。
結婚すると決めたのに、全く明るい兆しがない。

「おめでとう!遊びに行くよ」

とメールをしても返信が来ることは無い。
純子は大丈夫だろうか?
持病のバセドウ病もあるし、妊娠報告から何か月も経っているけど、母子共に順調なのだろうか?

私はしつこくメールをしてみると、
「アヤPありがとう。今度遊びに来て」
と言われたので、私は当時2歳の娘を連れて埼玉県の某所にある純子の嫁ぎ先の農家へ行った。

私にとってこの訪問は生涯忘れられないものになる。
それ程衝撃的なものだった。
この文章を書く上で一番辛い場面なので、なかなか筆が進まなかったが、ここまできたら書くしかない。
純子の名誉の為にも書くのは渋っていたが、私は決めた。ありのままの、見たままの、感じたものを書く。

純子の嫁ぎ先は埼玉の南、私の家からは車で1時間半ほどの場所だった。地理的には何度も訪れた事があったので、車のナビに住所を入れると迷わず行けた。2歳の娘も車の中で大人しくしていた。

その日、純子と何度かメールのやり取りをしていて気になったのが「病院に行ってきます」という文面だった。私は単純に産婦人科の定期検診だと思っていたので「それなら病院に迎えに行くから病院名を教えて」と言った。純子は「〇〇病院」と告げた。私は指定された病院まで車を走らせ純子が出てくるのを待った。総合病院だと思っていたが看板を見ると「精神病院」と書いてあった。

病院の駐車場で待っていると、大柄な中年女性が目の前に現れた。

え・・・
誰・・・
純子なの・・・

「アヤP、ひさしぶり」

80キロより更に太った純子、
明らかに目の焦点は合っていない、
髪は何週間も洗っていないであろう長い髪が束になっていて、
服はどれだけ変えていないのか、ヨレヨレでシミや汚れがいくつもついている

「ここからすぐだから車に乗るね」

純子は車に乗ってきた。
車中に一気に鼻をつくような異臭が漂った。恐らく純子は何日もお風呂に入っていない、そんな臭いだった。
11月の寒い時期だったが私は窓を全開にした。
純子は助手席に乗ってきたが、後部座席のチャイルドシートにいる私の娘には一切話しかけることもなく、見向きもしなかった。

「じゅ、ジュンちゃん、コレ、ベビーシート持ってきたから、使ってね」

戸惑いながら声をかけるが純子からの返答はない。私の言葉などまるで聞いていないかのようだった。

「じゅ、ジュンちゃん、病院通ってるの?ど、どこか悪いの?」

そう聞くと、

「あー、統合失調症だって。精神病。薬飲んでる。」


この時はまだ、統合失調症と言われても、その病気の主な症状や、どれだけ厳しい精神病だということは、私の中ではわかっていなかった。

10分ほど車を走らせた後、純子の嫁ぎ先の農場に着いた。
見渡す限り何ヘクタールもの広大な畑が広がっていた。私が見とれていると、純子は車を降りて畑に向かってスタスタと歩き出した。
そして一心不乱に長ネギと人参を何本も引っこ抜き出した。純子はレジ袋いっぱいにそれらを詰めると私に「ハイ」と渡してきた。純子の顔は無表情のままだった。

家は昭和の初期に建てられたような古い造りの家だった。私の母の実家が農家だったので、昔はよく行った事を思い出した。「上がって」という言葉も無かったが、純子がスタスタと無言で家に入っていくので、私は2歳の娘の手を繋ぎ、純子につづき家の中に入った。ちょうど家族は休憩時間中だった。
腰が90度に曲がったお姑さんと、舅さん、そして旦那さんがいた。(この時一瞬しか見ていないが旦那さんはとてもイケメンだった。)

純子が一言家族に向かって「アヤP。来た」と告げると、3人は無表情でこちらを一瞬向いただけで何も言わず、そのままお昼ご飯を食べ続けていた。私は「は、はじめまして。お、お邪魔します」と言ったが、誰一人として私の顔は見てくれなかった。純子は、それをさも当たり前の光景だと察知したかのようで「向こうの部屋でご飯を食べるから」と告げた。私が持ってきたお土産の和菓子は適当にその辺に置かれてしまった。

奥の普段使っていないような埃っぽい和室に招かれ、ちゃぶ台の上には白いご飯と味噌汁が置かれた。私と娘はそこに正座をして「いただきます」と言って、白いご飯と味噌汁を食べた。食べものの好き嫌いの無い2歳の娘が、野菜が沢山入っている味噌汁を一口飲み、ポツリと「美味しい」と言った。それ以外私たちは終始無言だった。純子の目は相変わらず虚ろだった。

食べ終わると純子は「母屋に行ってくるから」と90度に腰が曲がったお姑さんに告げた。お姑さんは「あなた、あんな所に・・・」と言っていたような気がしたが、私はスタスタと歩く純子につづいていった。

「母屋」と呼ばれる建物に入ると、1階は農作物の貯蔵庫のような所だった。私は2歳の娘の手をにぎり、純子につづき、2階へと簡易階段を上っていった。傾斜角度は75°ほどのとても急な階段だった。2歳の娘には危ないと思ったが、純子は気にすることなく上って行ったから私と娘もそれに続いた。

そして扉を開くと、そこには見たこともない光景が広がっていた。

ゴミ屋敷だった。



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