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人前で泣いたことありますか?

女の涙は男の脱糞

という記事を読んで、なるほどなと思った早乙女彩です。メンヘラヒステリックピエン女が天下取る時代は終わったよ。もう女は男の前で泣くんじゃない。女の武器は涙じゃない。男の前では、

ひたすら笑顔でいろ

四の五の言わずに笑っとけ。笑えないなら私を呼べ。腹から笑わせてあげるから。


そんな私が、かつて人前で泣いてしまった3つの話をしますね。って泣いたんかいw


① 新入社員で泣いた20歳のこと

自分に合わない短大から、自分に合わない古い体質の会社に入社した20歳の私は、世間とか常識とか組織とか社会とかを全く理解していない生意気な小娘だった。

入社したと同時に配属された部署は、

女は笑って座ってるだけでいい

という所だった。

毎日毎日朝から出社して、同じ部署の男性社員とにこやかにおしゃべりして、あとは適当に電話を取るだけのつまらない仕事だった。

これって私が居る意味あるの?

ムカついた私は、バラバラに散った同期9人の部署にパトロールと称して、毎日おしゃべりに行くのが日課になった。先輩方とも仲良くなり、飲み会にもよく呼ばれるようになった。

私はわざと自分の暇っぷりをアピールして、管理職の奴らに会社組織の低能さを示した。

ある日そんな私の暇っぷりに郷を煮やした上司から、

「平山、暇ならこの仕事やってくれ」

と言われたが、私は新入社員の分際で反論した。

「暇だからとかやめて下さい。どう考えてもその仕事って二度手間じゃないですか。その仕事を私がやる意味ってありますか。無意味な事はやりたくないのですみません」

ちなみに私は、新入社員だろうとなんだろうと、会社という組織に入ったなら、1会社員として意見を言うのが普通だと思っていた。

しかしそこで発せられた上司の一言が、

「生意気言うんじゃない!お前は俺の言う事を黙って聞いときゃいいんだよ!口応えするな!」

皆の前で頭ごなしに怒鳴られた瞬間だった。しかしながら、

「私、間違った事言ってません。二度手間になると思って言いました。無意味だと思って言いました。そうじゃない理由を教えてください」

すると横にいた40代の出向男性から小声で、

「わかるよ、平山さんの言いたい事はわかるけど、その言い方は、、、」

それを聞いた途端に、私はすぐさまトイレに駆け込んで泣いた。
涙が止まらなかった。
悔しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。


②  飲食店のパートで泣いた40歳のこと

関西系の飲食店でOPENスタッフとして働き始めたのは36歳の時のこと。接客を希望していたが、容姿か年齢か、その両方か分からないけど調理の方に回されてしまった。周りは飲食経験者のベテランパート勢ばかりだったけど、持ち前の明るさで皆と和気あいあい出来て、人間関係で悩む事は無かった。

ただ、壊滅的に仕事が性に合わなかった。

料理は嫌いじゃないし出来ない訳ではないと思ってたけど、ランチ時の殺人的な忙しさのスピードにいつも私はアタフタしていた。

持ち場担当がA~Dだとすると、全部出来る人は社員とパートリーダーで、それ以外は2、3個といった所だった。私は主にCとDの補助といった感じで、調理場の要となるA、Bをやる時はいつもタイムカードを打刻する1時間前に出勤していた。それ程私にとってはプレッシャーだった。

その日の私の持ち場はA、担当社員は関西弁の料理長だった。いつものように1時間早く出勤して仕込みを始めるが、やはり何度やっても間に合わない。

11時のOPENと同時に、一気に日替わりランチのオーダーが立て続けに入った。A場メインのメニューだったので負担が伸し掛った。
接客担当のネオミが「今日はアヤちゃんがA場なんやな、頑張れー」と言われたが、それがプレッシャーとなり、追い打ちをかけるように料理長がやって来て、私の頭がパニックになった。

そこから先はあまり覚えていないが、年下の料理長から関西弁の罵詈雑言を死ぬほど浴びせられ、気付いた時には私は洗い場で涙を堪えていた。

私はもう40歳だから泣く訳にはいかない。
そう思えば思う程涙が込み上げてきた。

これまで、あの料理長の関西弁の罵詈雑言で何人ものパートが泣かされて辞めてきている。私もその1人になるのか。料理長の罵詈雑言が引き金になったのは間違いなかったが、私はただただ悔しかった。仕事が出来ない自分が悔しかった。

洗い場で必死に涙を堪えていると、例のネオミが無言で肩をポンっと叩いてきて、それと同時に涙腺が決壊した。
悔しくて、情けなくて、涙が出た。

運ばれてくるお皿をひたすらウォッシャーに流し入れながら、必死に堪えようとしたけど、流れる涙は止まらなかった。

③  イベントの企画会議で泣いた46歳のこと

46歳って最近かよw

私は街の印刷屋の奥さんとして、それまで事務作業と軽い接客しかしてこなかったが、コロナを機に会社存続も厳しくなったので、私は持ち前の「屈強ほど燃える性格」を徐々に発揮するようになった。新しい事を考えて企画し実行する。従業員のM氏とKさんは私の人間性に惹かれたと言ってくれたので、無茶苦茶な企画でもノリノリで協力してくれた。(社長である夫は何も言わない)

その時、大型イベントの仕事が入った時も私はやる気満々で夫と一緒に企画会議に挑んだ。

Kさんというある地域の女性なるドン(推定年齢75歳)が企画した、私鉄会社までもスポンサーに備えた大型イベントだった。

前回の第1回もうちの会社がやったし、コロナ明けの第2回もさぞかし盛り上がることを予想した。私はウキウキワクワクで企画会議に出席した。

メンバーはKさんの他に5人ほどの70代くらいの男性と、私鉄スポンサー2人、40代が私たちを含めて3人といった所だった。
しかしながら、会議が進むにつれて私は疑問が出てきた。

Kさんばかりが喋っていて誰も発言しない

企画は進行するが何か腑に落ちない。私はモヤモヤが溜まり一言発言した。

「すみません。これではコロナ前の企画と同じだと思います。もう少し変化をつけた方がいいんじゃないですか?」

Kさんにギロりと睨まれた。

「ハァ?」

私は怯まず発言する。

「アナログ的なものばかりだと集客は見込めません。若者を取り込みたいなら、せめてもう少し電子化した方がいいと思います」

すると、私のこの「電子化」という言葉がKさんの琴線に触れたらしく、私はKさんから大声で怒鳴りつけられた。

「あなた黙ってなさいよ!たかが印刷屋なんだから、黙って私の言うこと聞いときなさいよ!」

私は呆気に取られた。
しかしながら、負けずに言い返した。

「たかが印刷屋かもしれませんが、今回の企画だって一度はうちを落としたじゃないですか。それでギリギリになってから、やっぱりお願いしますとか言い出して、デザイン案だってこちらで用意したものを使ってくれずに、1からやり直してるんですよ。こちらだって会議で意見くらい言う権利あると思うのですが」

すると、

「いいからあなたは黙りなさい!電子化とかこの企画には一切必要ないのよ!あなたこれ以上私の言うことに口を挟むようなら、ここから出て行きなさい!私の言うことが聞けないなら、今すぐここから出て行きなさい!」

私は思わずK氏に飛びかかりそうになったが、横の夫に止められた。

それから私は怒りで震えながらも、黙ってK氏の独壇場を聞いていた。

こんな理不尽な会議ってあるのか

私鉄の2人を含めた会議のメンバー達は、終始私に哀れな目を向けながらK氏のご機嫌取りをしていた。
こんなバカみたいな会議ってあるのか。
まるで茶番じゃねーかよ。

そして、会議が終わり外に出るとメンバー数人が私を呼び止めて、
「私達はあなたの味方ですから。あの人(K氏)がおかしいのはわかってますから」と声を掛けてくれた。

私は帰りの車の中で、怒りと悔しさでいっぱいになり、Kさんへの不満を汚い言葉で罵っていた。すると、

「あの人(K氏)はああいう人だから、今まで女王様できてるから、あなたみたいな態度を取ると一切仕事にならないんだよ。もう今後は会議には出なくていいから」

夫からそう言われて、私は自分の無能さを突きつけられた気がした。怒りと悔しさでそれまで必死で我慢してきた涙が吹き出した。
そして私は泣きながら夫に、

「そんな風に言わなくたっていいじゃない、、、たかが印刷屋ってバカにされて、私、悔しくて、悔しくて、、、」

それから家に着いても、暫く涙が止まらなかった。こんなに泣いたのは、40歳の時の飲食店でのパート以来だと思った。

そして、かつて20歳の時に上司から言われた、
「お前は俺の言うことを黙って聞いてればいい」
という、無能人間の烙印たるや発言を46歳にもなって言われてしまう自分を、心から情けなく思った。



以上、私が人前で泣いた3つのストーリーでした。3つとも「悔し泣き」でした。 

3500字超えを読んでくれて、ありがとうございます。








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