落書きは日本ではストリートカルチャーになったのか
先日、娘と一緒に近所を歩いていた時に一人の男性とすれ違った。20代後半くらいの個性的な男性。
すれ違って少ししてから娘が、
「今の人アフロだったよね?」
「そうだね。なかなか個性的な髪形してたね。昔は結構流行ってたんだよ」
「え?そうなの?アフロ流行ってたの?お母さんの周りだけじゃないの?」
流行りましたよね?アフロヘア!
友人に2人いましたけど、流行ってましたよね?ボンバヘッド。
その昔、車で出かける際に後部座席にアフロな友人2人が乗って、
「平山ごめん。バックミラー見えないでしょ?」
って言われて笑った。確かに2人の頭がデカ過ぎてミラーが見えなかったわw
そんな昔のエピソードを娘に話しながら、
「リリーちゃん、彼氏がアフロにするって言ったらどうする?」
「全然オッケー!アフロどんと来い!」
流行は巡る。
母の時代にドカンと流行ったものが、また娘の時代にも波が来る。流行とはそういうもの。
それにしても・・・
最近、うちの近所で落書きが増えた気がする。
落書きと言えば、かつての渋谷の高架下を思い出す人も多いかもしれない。
最初は殴り書きのような文字だったのが、時を経ていくうちに、独特なモコモコとした書体と、イラストのようなものが描かれるようになった。
時代背景は90年代、ストリートでダンスやスケボーをしたり、街にはアムラー風のコギャルや丘サーファーと呼ばれた格好だけのサーファー野郎も出没し、頭にバンダナやニット帽を目のスレスレまで被り、人を威嚇するチーマーと呼ばれる輩まで現れた。音楽はHIPHOPが流行り、街の至る所にモコモコした落書きがそこらじゅうにあった。
ある意味、落書きはストリートカルチャーの象徴だった。
後に、モコモコの落書きはグラフィティアートと呼ばれるようになる。
社会的な問題や政治的なメッセージ・・・
なんかわかる気がするな。
そう考えると、日本で書かれていたものは、政治的な意味や芸術性の不明瞭なものが多かったから、グラフィティアートとは認められず、「ただの落書き」という認識のままで終わってしまった気がする。だから渋谷の高架下も、今はハートフルなものに塗り替えられてしまったし、それはやはり、上記のような強いメッセージが込められていなかったからだと思う。平和な国だからこそ、ストリートカルチャーにも清廉性を求められてしまうのかもしれない。
*
こんな話を、久々に揃った家族4人の夕飯時にしてたのだけど、元ストリートスケボー少年だった夫に聞いてみた。
「お父さんの友達で描いてた人いないの?」
すると、
「そんなセンスある人いない」
「確かに、アレはセンス無きゃ描けないよね」
かつて私がまだ女子高生だった頃、18歳の夏にK君という男子と知り合った。初めて会った合コンで、K君がバックパッカー並の大きなリュックを背負っていたので、何が入っているのか聞いた所、その中身は大量のスプレー缶だった。公園でみんなが花火をやっている中、K君は壁にスプレーでイラストを描きだした。「こんな所に描いていいの?」と戸惑う私に「水で消えるからいいんだよ。アヤもやってみなよ」と、いきなりの呼び捨てにビックリしたけど、あの日2人で公園の壁にスプレー缶で落書きした事は未だに忘れられない。あの後、本当に水で消えたのかどうかはわからないんだけど、、、汗
そんな昔話を心の中で思いながら、
「お兄ちゃんの知り合いとかはいないの?」
と息子に聞いてみると、
「いないね。ただ、夜中に描いている人は見たことがある」
「へー、どんな人だった?若者?輩系?」
「外国人だった」
・・・
最近増えた落書きが、皆がみんな外国人が描いたものとは限らないけど、でもなんかわかるなと思ってしまった。
彼らはただ単にイタズラ感覚で描いているのか?それとも何かのメッセージを込めているのか?
これまでの日本では、ストリートカルチャーであるグラフィティアートは根付かなかったけど、もしかしたらこれから先どんどん巷で落書きが増えていけば、グラフィティアートと呼ばれるようになるかもしれない。でもそれは皮肉にも、日本人が描いたものじゃないのかもしれないけど。