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今、歌舞伎町について思う

最初に言っておきます。
私はただの主婦です。
普段から感覚でモノを言っている、たまにその辺で飲んだくれて転がっている主婦です。

ただ私は15年前に女の子を産んだ母親です

15年前、私はお腹の子が女の子だと知った時、嬉しさ反面戸惑いもありました。当時のママ友(女の子のママ)に、

「お腹の子女の子だって。どうしよう…私みたいになって欲しくないんだけど」

すると、

「そう?アヤみたいなら面白くていいじゃん」

その言葉に救われた気がしました。
それと同時に私はある決心をしました。

女の子は丁寧に育てなければいけない

放ったらかしてはいけない。だからと言って過保護になってもいけないし、過干渉になってもいけない。匙加減は難しいけど頑張るのだ。よし!


私はしばしば中3の娘とパパ活やトー横キッズの話をする。

私「家や学校に居場所が無い子が、どうしようもなくなってトー横に行く。そこには自分と同じような仲間がいるから、それを止める事は出来ないんじゃないかな」

娘「お母さん、私はさ、、、厳しい言い方かもしれないけど、トー横に集まるのはそういう子達ばかりじゃないと思うよ。好奇心、好奇心で行っちゃう子もいると思う。だからさ、あまり同情的に見るのもどうかなって思うよ」

娘の意見は厳しい。
確かに厳しいけど、西東京のぬるま湯で育った陽キャの甘い考えなのかもしれないけど、これも一理あるんじゃないかと思った。
娘もトー横キッズ達と同じ中学生。だからこそ、この娘の意見は無視できないものだと思った。

そして、私はいつものように自分の高校時代に思いを馳せる。そうだ、私もかつて歌舞伎町を彷徨う女子高生だったではないか。

・・・

平成初期、まだまだ規制が緩く、高校生が居酒屋に行っても咎められない変な時代だった。

巷ではアムラーと呼ばれるコギャルが流行り、若者は渋谷センター街にたむろするようになった。

ただ、皆が皆コギャルの恰好をして渋谷に行っていたわけではない。
私たちは、コギャルの恰好をせずに歌舞伎町にいた。
合コンといったら新宿集合だった。
いつからそんな事をやっていたかはわからないけど、高校1年生の後半には歌舞伎町で酒を飲み、夜な夜な街を彷徨い歩くようになっていった。

チカチカと眩しいくらいのネオンサイン、テレクラの勧誘や赤マムシの宣伝が繰り返し流れる中、酔って暴れる客、大声で呼び込む店員、ギャングやマフィアのようないかにも怪しい人達が沢山いても、私たちは何も怖いものがなかった。

女子は飲み食い自由の「お見合いパブ」と呼ばれる所に入った事もある。
指名されてオジサンと話をした。
「この後どっか行こうよ」「友達と一緒に来てるので行けません」「お小遣いあげるから」「お金に困ってませんので」「何しに来たんだよこのブス!」「うるせーよジジイ!」
お見合いパブは出禁になった。

それでも怖い物知らずだった。

私たちは私立の女子高に通う比較的裕福なお嬢さんだった。
お金に困っている訳でもない、家族のトラブルもない、温和な家庭に育ち、何不自由なく暮らしていた。学校生活も楽しかったし、友達もいっぱいいたし、勉強もそこそこ頑張っていた。
何も不満はなかった。

ただの好奇心だった。
私たちが歌舞伎町に行っていたのは好奇心一点のみだった。

・・・


当時よく歌舞伎町に行っていたS美とは未だに話をする。

「私たち異常だったよね。今自分の娘があんなことしてたら、私頭おかしくなっちゃうよ」

「確かに。何されるかわかんないのに、ナンパにもよくついて行ったよね」

「行った行った」

「よく何も無かったよね」

「ほんとだよ」


そう、私たちは幸運にも怖い思いをした事は一度も無かった。

時代もあったのだろうが、その決定的な理由は何だったのだろう。
たまたま運が良かっただけなのか、それとも「単独行動は禁止」にしたからだろうか。
あとは「親」というストッパーがあったからなのか。

多分全部だったのではなかろうか。

たまたま怖い人達に会わなかっただけで、常に3、4人で行動していたし、誰か1人でも離れる事は無かった。そして、頭の中には親にごめんなさいという気持ちがあった。

逆に考えると、単独では無理な事を友だちが一緒ならと踏み出してしまったのも事実だ。怖いものナシだったのも、友だちが一緒だったから出来たもの。もしそこに「親の存在」というストッパーが無ければどうなっていただろうか。

今の子達も一緒なんじゃないか?

最初の1歩はそれぞれのきっかけがあったかもしれない。
家や学校に居場所がない子、ただただ好奇心旺盛な子、その子達が集まって仲間を作り、みんなでやれば怖くない的な、みんなで居れば寂しくない的な。それを巧みに利用した大人たちが、彼ら彼女らに大麻や覚せい剤、売春行為を唆したのではないか。

令和の中学生も、平成の中学生も、昭和の中学生も、トー横の中学生も、西東京の中学生も、北海道から沖縄までの中学生も、たぶん頭の中は皆同じだと思う。
考えている事は、今も昔もどこに住んでいても変わらないと思う。



私のような何でもない主婦が、こんな事を書いても何も解決できないのはわかっている。
以前に「子持ちが偉そうに子育てを語るな」と言われた言葉が頭をよぎる。
今回もまた偉そうに語っているのはわかっている。
わかっていはいるけれど、それでも私は書かずにはいられない。
現在女の子の母親として、かつて歌舞伎町を彷徨っていた元女の子として、どうしても私は書かずにはいられない。


ここまで読んでくれた方、結局2000字を超えても、何が言いたいのかわからない文章になってしまいました。
すみません。

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心配だ心配だと言っても、いざ自分の家に女の子が転がり込んできたら、、、
私は何も出来ないくせに。

どうか良い週末をお過ごし下さい。





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