「書くこと」は自分探しの旅なのか
休みの間に中村うさぎにハマった。
エッセイを一気に5冊は読んだかな。
読んだ感想として、「この人は私と同じ種類の人だ」と思った。一言一句全てに共感する事は無いけど、何の共感も持たない人のエッセイを一気に5冊も読めるものではない。
◇ 私は昔から「承認欲求」の塊だった
私には生まれてこのかた誇れるものは何一つない。綺麗な容姿に恵まれた訳でもないし、勉強が出来る訳でもない、類まれな芸術の才能も無いし、だからと言って何かに向かって必死に努力した事も無い。こんな無い無い尽くしのオンパレードのくせして、一丁前に承認欲求だけは携えていた。
この自分の面倒くさい性格に気付いたのは、中学生くらいだったと思う。
「目立つ」という事で承認欲求を満たそうとした私は、自分の身を道化に投じることにした。可愛くなければ頭も良くない、運動が飛びぬけてる訳でもないが、目立つ事はできた。私は誰もが言わないような突拍子もない発言を、まさか「女」から発せられるとは思わないような言葉をズバリと言って、周りを笑わせる事が出来た。
高校から女子高に通うようになって、私は自分で言うのもなんだけど人気者になった。
「人気者」という称号は、私の承認欲求が十分に満たされたことに違いなかった。
◇ 人との付き合いが濃くなりがち
高校から女子高に通うようになって、それは顕著に表れるようになった。私はとにかく一人の友人ととことん付き合う事を好むようになった。一人一人の友人がその人にとっての「親友」レベルになるまで。
私は昔から男と付き合っても長く続かないから、その穴埋めを「女友達」で埋めていたのかもしれない。(いや、その穴は実際に塞いでないけどw)
しかしながら、この「濃い付き合い」はなかなか厄介なもので、私自身がその子のナンバーワンになりたいがために、しばしば嫉妬も生まれてきた。それは自分だけではなく相手もまたそうだった。
恐らく私は自分の承認欲求を、その相手に満たして貰いたかったのかもしれない。「私の事をもっと知って欲しい。だからあなたの事ももっと教えて欲しい」という感じで。
◇ 私は一人で外食をしない
極端に言うと、私は常に食事は誰かとしたい人間である。
以前こんな事を人前で言った際に、
「幼稚な人」
と言われたことがあった。
幼稚で結構。
私の楽しみは、ただ美味しいものを食べることではなく、誰かと一緒に美味しいものを食べることにあるので、そこは幼稚と言われて結構です。(そこまでは言わなかったけどw)
それでは、私は一人では何も出来ない人間なのか?悪いけど、私は人からそんな風に言われる筋合いはない。
18歳の時に一人でアメリカに行ったこともあるし、20歳でイギリスに行った際に、殺人事件の重要参考人になって事情聴取を受けたこともある(ほんとかよw)。
元来、私は一人で何でもできる人間なのだ。
ただ、歳を取るにつれて気付いた事がある。
一人だとあまり楽しくないな、と。
◇ 他者を知ることは自分を知ること
私は26歳で結婚して27歳で子どもを産んだ。
必然的に「他者」と関わり合いながら生きる事を余儀なくされた。「他者」とは、夫であったり、自分の子どもであったり、更に親や親せき、近所に住む人達、職場の同僚などに見守られながらこれまで20年以上過ごしてきた。
私の中の承認欲求「ナンバーワンになりたい」は、夫の配偶者になった事で夫のナンバーワンになり、2人の子どもの母親になった事で唯一無二のナンバーワンになった。
ただ、それでも自分の中で満たされない「何かが」あった。
その何かは未だにわからないが、自分の中にある「欲深い何か」であることには違いない。
ここで、中村うさぎの著書による一文を引用する。
人間は様々な顔を持つプリズムのような多面体。自分の全体像を把握したいと願うなら、その面の数だけ他者が必要となる。
自分の中で腑に落ちた一文だった。
私は以前から「人には多面性がある」という事を書いてきた。
どの面を見て好きになるか、どの面を見て嫌いになるか、だったら見たいものだけを見て、見たくないものを見ないで、見せたいものだけを見せればいいと。
ただ、自分の見せたい面を見せるには、自分を知らないといけない。
しかしながら、自分の事を自ら正確にジャッジすることはできない。ついつい甘く見てしまうし、ひいき目にもなってしまうし、逆に厳しくもなってしまう。
結局は「他者」という鏡があってこそ、自分自身を見ることができると私は思っている。
◇ 人を知り、自分を知る
(ちょっとわかりずらい文章です。頑張って読んで下さいw)
私は自分自信の承認欲求のために書いている。それは、書くことで自分を知って欲しいと思っているからに他ならない。自分のことを、もっともっと知って欲しいと思うから、私は書く。
だからそのためには、私も人を知らなければならない。
私はこれからも人を知っていきたい。
知りたくないことも知りたいし、知られたくないことも知られたい。(言ってることが前と違うぞw)
恐らく、読んでくれている人が私を知ってくれることで、私が私という人間がどういう人間であることがわかると思うから。
私はまだ、私という人間がイマイチわかっていない。
だから書くことは自分探しの旅なのかもしれない。私はまだ、自分の根底にある何かを見つけられていない。