ポゴレリチのピアノリサイタルを聴いて
1月25日、君津市民文化ホールで開催されたイーヴォ・ポゴレリチのピアノリサイタルに行ってきました!
演奏曲目にショパンのピアノソナタ第二番『葬送行進曲付き』(略称『葬送』)があり、どうしても聴きたかったリサイタルでした。
ショパンの『葬送』はポゴレリチのファーストアルバム、オールショパンプログラムの冒頭を飾った曲で、独創的な解釈が鮮烈な名演で、録音を繰り返し聴き込んだものでした。ペダル使いが明らかに少なく、挑戦的で、硬い音質と緊密なテンポが斬新なショパン。
こんな弾き方があるのか、後にも先にもこんな『葬送』はポゴレリチ以外には聴けないのではないかと衝撃を受けた演奏でした。
今回の来日プログラムは、モーツァルトとショパン。
モーツァルトのハ短調の幻想曲は大好きなので拙作『論文を書くピアニスト』でも演奏描写を書いたのですが、不穏で重々しい出だしと、夢見るように清らかないくつもの間奏部が対比的な美しい曲です。
開演の30分ほど前に大ホールへ入ると、スタインウェイピアノに座り、何やらゆっくりと和音を続けて弾いている男性がいました。はじめは調律をしているのかな? と思いましたが、聞き流していると明らかに調律ではありません。ラフな柄シャツにカジュアルなパンツ、その辺に買い物に出るような格好ですが、いやこのひとはポゴレリチ本人だ、と気づきました。開演の15分ほど前に会場スタッフが声をかけに来て、ラフな格好のポゴレリチはステージ袖に戻りました。
プログラムによると、ポゴレリチはいちど長期休養をとって演奏活動から退き、復帰してからは譜面を見てのリサイタルとのこと。
プログラムに寄せられた音楽ライター小田島久恵氏のエッセイには、“ワルシャワで落第生の烙印を押されてから45年目の《葬送》を、今のポゴレリッチはどう弾くか…一音も聞き漏らすまい”とあり、ファーストアルバムを聴き込んだくだりも書かれており、共感しきりでした。
ポゴレリチは楽譜を広げると、間をおかずにさっと弾き始めました。
モーツァルトの幻想曲のそれぞれが醸し出す夢幻的な重々しさは、ポゴレリチの音色が絶妙に合っていました。どっしりと質量を感じる音色が、重苦しいモーツァルトの曲調を紐解いて空間へ表出していくようでした。
厳かなハ短調はもちろん、また異なる趣きをたたえるニ短調も、注意深く采配される美音の連なりがふっとなくなる無音の瞬間に、空気をぎゅっと引き締める緊張感を漂わせました。
休憩時間にCDを2枚購入。ブックレットには「ピアノで私は絶望を表現する」という文言も記されていました。
ショパンの葬送ソナタは歳を重ねた円熟味も感じさせました。第一楽章の第一主題をかたちづくる特徴的なモチーフが繰り返されるたび、ポゴレリチらしい躍動感が力強く宿って感じられ、分厚い和音がモチーフを彩り展開を深めると、聴衆の集中力と一体化するように緊迫の世界観があらわれて。
疾走の第四楽章では、音の間から哀しみの色香がたちのぼるように音色の変化が麗しく、重たい音色が碇をおろす一方で柔らかく溶ける音色がめまぐるしく動いて、若かりし頃のファーストアルバムとはまた違う、異彩を放つ演奏を聴かせてくれました。
ペダルが見える席だったので、ポゴレリチの細かいペダル遣いを見られたのも嬉しかったです。一音ごとに小刻みに足先を上下させる繊細なペダリングに、ポゴレリチが注意深く自身の演奏に耳を澄ませる空間を共有していることを目でも見られた実感をかみしめました。
後で使う楽譜をピアノ横にパラっと投げる仕草、アンコールでシベリウス『悲しきワルツ』を披露すると、暗に「もう弾きません」と示すようにピアノ椅子を足で押し込み、ピアノ下に収めてしまう仕草など、異端児としてスタートしたポゴレリチらしさを66歳の今も見せつけていました。
燕尾服姿で演奏したポゴレリチが終演後のサイン会(CD購入者限定)では開演前に見せたラフな柄シャツ姿に戻っており、堅苦しい格好を嫌っているのがうかがえました。