私の週刊碁の思い出
8月28日発売の【9月4日号】で休刊となった週刊碁。
その最終号の「読者のみなさまの思い出」に投稿を採用していただきました。(ありがとうございます!)
高校を卒業した2009年から2019年の約10年間、年に数回程度ライターとして携わらせていただいた週刊碁。
投稿にも書いた一番印象に残ったお仕事「高校選手権(個人戦)」のエピソードを中心に週刊碁の思い出を綴らせていただこうと思います。
裏から見た高校選手権
秋田住まいのため、地元のイベントのレポートを中心に書いていた私ですが、3回だけ全国大会の記事も担当しました。
そのうちの一つが2012年の「高校選手権(個人戦)」です。
高校選手権は、自分が3年間ベスト8に入った思い入れ深い大会。
青春の思い出に浸りたくて(?)、卒業後、コロナ禍突入前まではほぼ毎年観戦に行っていました。
地方住まいの私が、東京で行われる全国大会のお仕事をいただけたのもそのおかげ(笑)
私の担当の方(日本棋院の出版部の方)から「どうせ来るなら、個人戦書いてみない?」というお誘いをいただいてやらせていただくことになりました。
「ビッグなお仕事!めっちゃ囲碁ライターっぽい!すごっ!」とハイテンションになった一方で、ライターもどき3年の自分に務まるか不安だったのも事実。
取材のポイントを担当記者さんに伺ったり、ベスト8に入りそうな選手をピックアップして実績などを調べたり、事前準備は念入りにしました。
取材ノートにはタイトルを書いていませんが、中はこんな感じ。
ぼかしを入れさせてもらいましたが、罫線の概念がないレベルで最後のページまでビッシリ書かれています。
ちなみにこのページは黒ですが、途中でインクがなくなったらしく、赤や青で書かれたページも(笑)
そういえばこの仕事以来、めちゃくちゃ替え芯を持ち歩くようになった気が……。
肝心のお仕事ですが、総合的にはとても楽しかったです。
あの見開きの記事はどうできていくのか。
その過程を自分が携わりながら知ることができたのは、囲碁ライターに憧れを抱いている身としては凄い収穫でした。
それに取材スキルも磨かれた気がします。
県内で取材する分には、相手が顔見知りであることも多いので気軽に話が聞けたんですが、全国大会だとそうはいかない。
人見知りの自分にとっては、かなりエネルギーを使う仕事でしたが、遂行しきった後は社交性が少し上がった気がします(笑)
一方で選手だった私にとっては、負けた選手への取材がとても辛い仕事でした。
私はどちらかというとベスト8陣では負けた側の選手だったので、その悔しさがよくわかるし、放っておいてほしいときがあることも知っています。
しかし仕事のためには、取材をしないといけません。
特に個人戦初日に取材した、決勝トーナメント1回戦で負けてベスト8を逃した男の子のことはよく覚えています。
半泣き状態でも一生懸命コメントをしてくれて、それをもらい泣きしかけながらメモしました。
頑張って答えてくれたんだからと思って、記事にコメントをねじ込んだ記憶があります。
ただ話を聞いた全員のコメントは当然採用できなくて「それぞれにドラマがあるのになぁ」と思いながら泣く泣く削ったりしました。
私も高校選手権では、コメントを使っていただいた記憶がないので、たぶんこんな感じだったんだろうなと思ったり(苦笑)
他にも関節リウマチの体で食事以外ほぼ一日中立ちっぱなしだったのはしんどかったなとか、夜行寝台で帰ってそのまま夜遅くまで原稿書いたのは死にかけたななど色々ありましたが、なんだかんだいって貴重すぎる経験が辛さや苦労を上回りました。
週刊碁も休刊となり、こんな大舞台を踏むことはもうないかもしれないけれど、いつかまたやってみたい仕事でもあります。
※ このお仕事では碁ワールドの高校選手権・個人戦欄も担当しました
選手に感謝・こぼれ話
真面目な思い出話に混ぜられないなぁという一風変わったエピソードもあるのでまとめてみました(笑)
高校選手権編
時は個人戦2日目。
今は選手すらないらしいですが、何故か報道陣(?)には昼食のお弁当がありませんでした。
早入りした団体戦の日は私の担当の方が外でご馳走してくださり、個人戦初日は昼からだったので何かを準備して行ったんだと思うのですが、選手時代の感覚が抜けていなかった私は、2日目はお弁当が出ると思っていました(苦笑)
選手がモグモグお昼を食べている中、立ち尽くしていた私。
そしたら男子の一人が「顧問の分が余ってるんで、よかったらどうぞ」とお弁当を差し出してくれたのです……!
「顧問の先生、いらないの?」と聞くと「どうせ会場にいないんで(笑)」と言う男子とその仲間たち。
ありがたーく頂戴して事なきを得ました(笑)
あの男子くんは元気だろうか。
たしか開〇高校の強豪だったと思うけれど。
もしこのnoteを見ていたら、改めてありがとうございました!!
学生本因坊戦編
3つ書いた全国大会の2つめは2015年の「学生本因坊戦・女子学生本因坊戦」でした。(最後の一つは2017年の「ねんりんピック」)
こちらはねんりんピックも含め、高校選手権とは違って秋田が開催地だったので私が担当することに。
ちなみに会場は、今や本因坊戦の対局場の一つとして定着している能代市の「金勇」でした。
このとき直面したのは、お昼ご飯ではなく決勝の解説文。
というのも高校選手権の決勝は石倉昇九段に話を聞いて、それを文章にすればよかったんですが、学本・女学は記者が対局者に話を聞きながら自力で考えないといけませんでした。(会場が東京のときはわかりませんが)
大学となれば女子もハイレベルだけれど、男子は超ハイレベル。
今よりも1.5子くらい弱かった私は、超ハイレベルなうえにハイスピードで進む男子の検討についていけず、かといって何回も同じことを聞くのは申し訳ないし、どうしたものかと思いながらペンだけ動かす感じでした(汗)
そんなときにやってきたのが東大の男子選手。
サラッと検討に加わると、自分も入賞するくらい強いというのに、さも自分がわからないような感じで対局者に質問し、返事をわかりやすくまとめていってくれたのです……!
心の中で「あなたが神か?」と叫びながらノートにそれを走り書きしていったのは言うまでもありません(笑)
もちろん終わった後にお礼を言ったんですが、そのときも「いえ」とサラッと言っていたあたりに謎の感動を覚えてました(笑)
noteは見ていないと思うけれど、あのときの東大男子くん、本当にありがとうございました!!
最後に(お世話になった方々へ)
長々と思い出話を綴ってしまいましたが、他にもエピソードは色々あります。(まだあるのか。笑)
しかし一番は、憧れの囲碁ライターとして仕事をさせていただけたことです。
正直、喋るのが苦手な私は、どちらかといえば得意な文章を書くほうで仕事したいと考えていました。
それが「囲碁ライター」だったんですよね。
それも書きたかったのは碁の内容というよりも、大会やイベントのレポート。
私がもっともやりたかった仕事を週刊碁でやらせていただけたわけです。
「高校選手権」はその最たるものでした。
地方住まい、高卒(週刊碁も正規の求人は大卒だったはず)でなれないだろうと思っていた囲碁ライターの夢を叶えてくださった週刊碁の関係者の皆さまには感謝しかありません。
特に私が囲碁ライターに興味があることを覚えていてくださり、たまたま私のブログを発見して連絡をくださった最初の担当の方、その方の後続となった担当の方には、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
週刊碁は休刊になりますが、引き続き「碁ワールド」や新たなメディア「棋道web」を楽しく拝見したいと思います。
週刊碁の関係者の皆さま、46年間お疲れ様でした&ありがとうございました!