【作品】まだまだ先は長い
【まだまだ先は長い】
サイズ:F10号
素材:塩の廃材(硝酸カルシウム)、三陸海岸の石
三陸海岸の塩づくりは、海水を窯で炊いて結晶化させる伝統的な直煮製法で作られていました。
作られた塩は牛や馬の背に乗せ内陸まで運ばれ、お米と交換されました。
その沿岸部から内陸までの通り道は『塩の道』と呼ばれています。
当時は塩をのせた牛とともに歩いており
何日もかけて運送していたと伝わっています。
海水を汲み上げ
海水を煮るための窯を作り
長い時間炊き
出来上がった塩を運ぶための牛を育て
何日もかけて内陸へ歩く労力
どれほど手間ひまがかかる行程であっても人々は続けました。
それほど、塩は人々にとって必要不可欠なものでした。
このように海水を原料として天日で乾燥させたり釜で煮詰めたりして作られたもの、岩塩、湖塩などは「天然塩」と呼ばれ
精製塩に比べてミネラルが豊富に含まれています。
塩は特に太平洋側で作られました。
塩を多く作るためには海が近いことのほかに
燃料になる薪がとれる山が近い事、
塩釜を作るための鉄が取れることが条件となります。
リアス式海岸があり山と海の距離が近く、鉄の産地である岩手県はその条件を満たしていました。
塩を作るには多くの薪が必要ですので
ある時は禿山になるほど薪を買える資産を塩屋は持っていたと言われています。
◼︎塩作りの副産物
塩の道には豆腐屋が多くあります。
まだ水分を含んだ塩からポタポタと落ちる液体は『にがり』として内陸へ向かう間容器に溜められ、道の途中にある豆腐屋へと売られました。
豆腐作りに欠かせない『にがり』は、
塩作りの過程で生まれる副産物の一つです。
日本人の余すことなく資源を大事にしてきた姿が感じられます。
◼︎塩産業の衰退
終戦直後には多くの塩釜が作られました。
しかし、昭和24年に日本専売公社が発足され、
塩の生産や販売に大きく制限が加わると、一気に衰退しました。
栄えていた塩の道は使われなくなり、塩の道にあった集落も消滅しました。
◾️使用素材
海水の中の96.5%は水です。
残りの3.5%の中に、塩化ナトリウム(塩)、塩化マグネシウム、硝酸カルシウム等が含まれています。
海水を濃縮させ、結晶化させる際に出てきた白い粉を絵の具の素材としていただきました。
この粉には塩化ナトリウム以外の素材が白い粉となって沈澱したものです。
この素材はミネラル分になるので、窯によっては取り除かないところもあり
そういった塩は、よりしょっぱさがマイルドになります。
▪️100年後の未来
人類は月を拠点とし、さらなる宇宙へと進出し始めました。
月には資源の施設が作られ、宇宙の中継地点として、地球と他の惑星をつなぐ役割を果たします。
塩の道が豆腐屋を経由して内陸へと続いたように、宇宙にも月を経由して太陽系のさまざまな星々へと続いています。
塩作りの副産物を無駄にせず、すべての資源を大切にする考え方は
未来の宇宙生活にも欠かせないものとなっています。
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