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かわいいきれいかっこいい問題

なんてすてきな問題でしょう。楽しいです。こういうテーマを考えるのが。
自問自答ファッション講座でおなじみのあきやさんよりこんな問いかけがあったそうです。

かわいいと言われたら(自分に言ってあげたら)どんな気持ちですか?
きれいと言われたら(自分に言ってあげたら)どんな気持ちですか?
かっこいいと言われたら(自分に言ってあげたら)どんな気持ちですか?

わたし自身わたしのことをきちんと理解するために、これからお会いすることになるであろうたくさんの方がどういった方なのか、知りたいと思う気持ちを大事にできるように。

今のうちに文字にしておこうと思います。
そして考える前に一言だけ残しておきます。

「みんな違ってみんないい!!!!!!!」


ではいきましょう(気合)!!



かわいい


「まあひとまずみなさんかわいいって言うよね〜」
というのが正直な気持ちだ。

初手でわたしを見た人がかわいいきれいかっこいいのどの印象を抱くかといわれたら、多分大多数の人が「かわいい」と言うのではないかと思うし、実際「かわいい」を当てがわれていた。

小さめの身長に体の線が細く、ついでに目がやたらと丸いので、さらっとかわいい属に分類される。似ている動物は?とか小学生が好きそうお題には大体犬猫うさぎと言われた。
小動物担当だったと思う。

がしかし、かわいいの評価を受け取りすぎたせいか、かわいいと言われても特に心は動かない。

かわいいと言われて喜んだのは中学生くらいまでだったと思う。


大学の頃になると「かわいい=だからなんだ?」という概念が生まれ、かわいいと言われると
「わたし実は世界一かわいいんだよね」
「おっ、視力いいじゃん、メガネ変えなくていいよ」

などと適当なことを言ってあしらっていた。


知人「かわいいね!」
わたし「いやいやそんなことなくて…」
知人「本当だよ!だってかわいいもん!」
わたし「え〜そうですか…?でもあなたの方がかわいいよ」
知人「え〜〜っそんなことないよ〜〜…」

みたいなかわいいのラリーが続くのも面倒だった。

さて、無事幼少期をかわいいで埋め尽くされたわたしは、年を重ねるごとに「きれい」に憧れ、そして自分の「かわいい」に不信感を得るようになっていた。

わたし、本当にかわいいか??


かわいいってもっと橋本環奈みたいな、少女らしい無邪気さとか隙のある一面とかそういうものでは?わたしにそんな要素あるか?と内面の「かわいい」が自分に全くないことに気がついた。
ちなみにこんな内面のため、性格にかわいらしさを見出すのは至難の技だと思う。
キャラもののぬいぐるみは家に一つもない。あ、モルカーは好きかも。モフモフでかわいくて。愛でるのは好きだよ。でも自分の中にかわいいはないね。

結論:かわいいは無。



きれい


きれいと言われるのが嬉しいと思う。


そして抱く感想はまたも「そうだよね〜きれいって言いやすいよね〜」である。

自分のかわいいに不信感を得た後、「わたしはかわいいではなくきれいめ路線の方が性に合っているのでは」と少しずつきれいめを意識するようになった。

フレアスカートをタイトめにしたり、働くお姉さんブランドに足繁く通ったり。
するとなんということでしょう。

ただのきれいなお姉さんが誕生しました(拍手)。


まとまりすぎていてもはや笑ってしまった。このお姉さん向けブランドはわたしがターゲット層、もはやターゲットなんだろうなと確信するほどだった。
ちなみに以前受けた顔タイプ診断ではがっつり「ソフトエレガント」タイプにあてはまった。いわゆる「きれいめシンプルが似合うバランス美人のお姉さん」だそうで、そりゃ全方向に敵を作らないような好印象のきれいめルックがよく似合うよな、とほくそ笑んでしまった。

さて、外見のきれいめ路線は難なく手に入れたが、肝心の「内面のきれい」はどうかと言われるとう〜〜んと首を傾げてしまう。


う〜〜んと…きれい、か???


内面のきれいは「洗練された」「曇りのない」「まっさらな」「澄んだ」「完成された」美しさのことだと思っているのでごちゃごちゃと物事を考えるわたしにはまだ縁のない響きだと思う。


いつかわたしが歳を重ねて自分が何者かわかった頃、悟ったように内面がきれいにされたらいいなと思う。それまで、今は外見を「きれい」に固めただけの未完成なわたしでいたい。

結論:きれいは外見のわたし。経験を積んだその先に内面のきれいがある。


かっこいい


わたしの外見にかっこいいと感じる要素はほぼないと思っている。

その上でかっこいいと言われたら、「この人わかってんじゃ〜ん」と感じると思うんです(笑)。

「感じると思う」なのは、かっこいいと言われた経験が本当に少なすぎて想像でしか考えられないから。

じゃあわたしのどの部分を「かっこいい」と評価するのかといえば、内面くらいしか残されていないのです。

「かわいい」けれどそんなかっこいい一面もあるんだね「きれい」だけど実はかっこいいんだね、というように内面にフォーカスされない限りわたしに「かっこいい」を見出すのは不可能に近い。

記憶にある中で一番最近言われた「かっこいい」は、わたしが仕事の出先で使う資料(というかカンペ)を同僚がすっかり職場に忘れたとき。「まあそのくらいのハンデあった方が楽しいっすよ」的なことを言ったらかっこいいの評価をもらった。

わたしの中の「かっこいい」は「きれいという完璧さの中に混ざった少しのスパイス」だと思う。


ふと入った洋食のお店で頼んだパスタの美味しさにプラスして「付け合わせにそんなの合います!??イカしてんね!!」みたいな。姿勢良く会議に参加していると思ったらデスクの下であぐらかいてるみたいな…(笑)
完璧なんだけど、どこかに毒というか、意外性のような。

でも外見の評価が下った後じゃないと内面に触れてもらうことは難しいと思う。
内面に触れてもらえるくらいにまず相手から「きれい」をもらう必要がある。

結論:きれいをベースとした内面への評価



軽い総評


ほほ〜う、ここまでまとめて腑に落ちた。
外見の「かわいいきれいかっこいい」と内面の「かわいいきれいかっこいい」にこんなにも差が出ているとは。


わたしにとって「かわいい」はもはや無いに等しく、「かっこいい」を際立たせるための「きれい」だとしたら。
だとしたら「きれい」を追求することが「かっこいい」への最短ルートだと思う。

わたしの「かっこいい」に辿り着いてくれる人がいますように、

今日も「きれい」なわたしでいたい。



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