#32 ママとは呼ばない
学年末に近づいたある日。帰宅すると待ち構えていたかのように私の顔を見て泣き出した母。あぁまた何か面倒くさいことが起きそうだと、声をかけずにすり抜けようとしたら呼び止められた。
「ごめんね、ごめんね」
と謝る。担任から電話がありいじめの事実を知らされたのだという。そして母らしい発言をした。
「卯月をいじめるような子が居るろくでもない学校に通う必要はありません。すぐに転校手続きを取りますって担任にも言ってやったわ。もう一年生も終わるし、明日から学校へ行かなくていいわ」
口を挟む間もなく畳みかける。
「ママを心配させまいとずっとひとりで耐えてきたんでしょう?卯月はママ思いのいい子に成長したのね。小学校の頃は反抗してばかりで手を焼かせる子供だったけど、優しい子に生まれ変わってくれてママ安心した」
と満面の笑みである。本当にびっくりするほど観点がズレている。いじめられていることを知って安堵する親はきっとこの母だけだろう。にこにこしている母に向かって私は言った。
「あの...転校なんてしないよ。それに明日も学校に行く」
鳩が豆鉄砲を食らったような表情になった母を残し、部屋に入った。おかしくて笑いがこみ上げてきそうだ。なんだあの顔?
問題が起きればしっぽを巻いて一目散に逃げ出せばはい解決!と考えている母。悪いのは私じゃない。責任は周囲の誰かが取ればよいと信じきっている母。いつだって自分は可哀想な被害者なのだと思い込んでいる母。私はそういうズルいあなたが大っ嫌いなんだってば。辛い現実から目を背けずに体当たりしてでも乗り越えたい。だから私は絶対にどんなことからも逃げない。
これが私の根幹にある。大人になってから『卯月ってわざわざ困難にぶちあたっていく性格だよね、うまく交わすことを知らない』としばしば指摘を受ける。そう、私に交わす選択肢はないのだ。どんな事態も受け止めて頑張る。それは面倒から逃げ続けた母へのあてつけかも知れない。
母は小学校の同級生の半数が進んだもう一つの中学へ越境通学させようと考えていたらしい。学区外からいきなり通い始めたらどう思われるかなど想像に難くない。『いじめられたからこっちに逃げてきたんだな』と注目されるだろう。誰でも考え着くようなことを何故母は想像できないのか。同級生とは離れる機会が必ず訪れる。いじめなんてあと2年我慢すれば終わるのだ。でも母との縁は死ぬまで切れない。私にはそのほうがよっぽど地獄。
この日を機に私はママと呼ぶのをきっぱりやめた。甘ったれたその響きが昔から大嫌いだった。他に呼びようがないから仕方なくお母さんに変えたけど、本当はそれすら嫌でたまらない。いつだって偉そうなあなたは『殿』とか『姫』がお似合いなのに。
親身に私を思って助言してくれた千春は三学期終了と共に転校してしまった。私にはいつもこういうことが起こるんだな。せっかく仲良くなってもまたひとりに戻る。でも前とは違うから大丈夫。思えば担任にいじめを告発したのは千春だったかもしれない。自分が去ったあとの私を案じてくれたのではないか。そんな彼女の気持ちを考えればあと2年ひとりぼっちでも大丈夫。私は頑張れる。