あの日途中で返却した、スカイ・クロラの続きを見たい
わたしは温厚である。
あっ、のっけから嘘をついてしまった。
正確には温厚なわけではない。
怒りが遅れて到着するのである。
その場では「ふんふんあははー」と相槌を打ち、
家に帰ってから、
「はぁ!?やっぱあれは失礼なんじゃない???」
と思うことが多い。
かといって後から
「あの時のあれ!!!失礼なんですけど!!!」
と言えることもなく。
だから結構舐められてしまうことも多い。
常々怒りの瞬発力が欲しいな、と思っている。
そんなわたしが、珍しく一瞬でキレてしまったことがある。
大学生だったわたしは、同じ大学のとある男性とご飯を食べに行くことになった。
今となっては完全に名前が思い出せないのでN(null)とする。
えっ、ていうか名前だけじゃなくてどっからどうなってご飯を食べに行くことになったのか、完全に覚えてないわ。やべー。
まぁいいか。
そのNはわたしより5つくらい上の歳であったが、同じ学年であった。
一度社会人になってから、大学に入り直したパターンの人であった。
わたしが通っていた大学は結構こういう人が多かったように思う。
異性と二人でご飯を食べにいくということは、
もし良い雰囲気になった場合、その後なにかしらのことが起こることも想定しうる。
そう思ったわたしはめちゃくちゃ家を片付けて、
あらゆる場所の毛を剃り、
念入りに風呂で体を洗い、
下着を上下お揃いにし、
同衾に必要な小物を準備していた。
はっきり言ってやる気満々であった。
その後付き合うにせよ付き合わないにせよ、
当日の同衾の可能性は限りなく高いな、と思っていた。
その日は大学の近くのバーに行くことになった。
Nとカウンターで横並びに座った。
バーだと会話が弾まなくても楽だなぁ、と思っていたのだが、
思っていたよりも会話が弾んだ。
5つも上だとは思えなかったが、まぁそれなりに年上だなぁと思えたし、
会話も特に違和感はなかった。
これは、同衾コースだな?
付き合うかどうかは同衾の感想によるな、
そう思った。
そうしてNと話していると、見たい映画の話になった。
だいたいそういう時は、
「じゃあそれ、今からTSUTAYA行って借りて見ようぜ!」
となってどちらかの家で鑑賞が始まり、
いつのまにかあんなことやそんなことになる流れだな、とわたしは思った。
事実、本当にそういう流れになろうとしていた。
Nの提案でバーを出てTSUTAYAに行くことになった。
あれが見たい、前に見たこれが良かった、などと言いながら歩いていくとTSUTAYAにはすぐ着いた。
TSUTAYAに着いた頃、Nはなんだかテンションが少し下がっているように見えた。
わかる、わかるぞ。
もうこの後明らかにどうにかなりそうな雰囲気だからして、
はっきり言ってDVDなどどうでも良いのだ。
だがしかし、絶対にDVDは選ばせてもらう。
DVDを見ずとも同衾するまでは良い。
が、付き合うかどうかの判断は、
DVDのチョイスや、一緒に見た映画の感想などで測りたい。
好みが合わないやつとは同衾ならしても良いが、
うっかり付き合ってたまるか!
そういう気持ちだった。
選ぶDVDは面白すぎても雰囲気を壊して良くないし、
かといってラブストーリーを選ぶのもベタすぎて狙っているようだし…
色々見ていると、わたしも疲れてきた。
NはもはやDVDを選ぶつもりもなさそうに見えた。
いやお前がTSUTAYA行こうって言ったじゃん一応。
誠意を見せろよ!ハッフルパフにマイナス10点!!
トチ狂ってアニメ映画の棚に来た時、
気になっていたDVDが目についた。
森博嗣原作で押井守監督作品である「スカイ・クロラ」というアニメ映画だった。
原作を読んだことはなかったが、
ハードカバーの本の装丁がとても素敵で
いつか絶対に買おうと思っていたのだった。
「これでいい?」
わたしが聞くと、Nは言った。
「あぁ!す、スカイ・クロラ!俺も見たかったんだ!!」
嘘つけよ!!!!!!!
絶対知らんかったやろ!!!!!
だがしかし、Nは空気は読める男だということがわかった。
3点くらい加点しておこう。
こうして借りるDVDが決まり、Nがお金を出し、
わたしの家で見ることになった。
その日猛烈に片付けたばかりの、一人暮らしの部屋にNを案内した。
ぶっちゃけもうこのタイミングでさっさと試合を開始しても良かったのだが、
NはDVDを楽しみにしているようにも見えた。
わたしから切り出すのもなんだし、一旦DVD見るか。
とりあえずDVDを再生した。
DVDを見ている途中で、Nは飽きだしたのか、
登場人物の真似をして、
「ユーイチ!」
などと言い出した。
(※ユーイチは主人公の名前だった。)
はっきり言ってむちゃクソうざい。
もう帰ってほしいな、と思っていた。
めちゃくちゃ無視した。
しばらくしてもNはそのモノマネをやめなかった。
それどころか、わたしに向かってとんでもないことを言い放った。
「ユーイチ、セッ久しよう」
は!?!?!?!?
なにこいつ、殴りてぇ。
そう思った瞬間、土下座をされた。
「お願いします!!!!やらせてください!!!!」
はああああああああああああ!?
謎のコンボをキメられてしまった。
思わず、
「DVD止めろ!!!!!」
そう叫んだが、そういえばここはわたしの家である。
彼はあたふたしながら慣れないリモコンを操作していた。
その動きさえ、イライラした。
「お前!!!
わたしより5年も長く生きててなんでわからんのや!!!!!」
わたしはめちゃくちゃキレてしまった。
「めちゃくちゃいい雰囲気だったのに、
このままいくと普通にやれただろ!!!!」
「なんで土下座なんかしたんだ!!!!!!」
「懇願せずともイケる感じだっただろ今!!!!!!」
「土下座してやらせてもらったことがあるのか!?!?!?」
「っていうかやりたいならもうTSUTAYA行かずに家に来ればよかっただろ!!!」
「DVD見る気ないなら再生する前に手を出してこいよ!!!!!!!」
「土下座しなかったらいけた雰囲気だったのに、どうして土下座なんかしたんだ!!!!!!」
わたしはめちゃくちゃキレていたが、
その間中ずっとNは土下座終わりの正座状態だった。
そして、Nは
「えっいけた雰囲気だったの?」
「ならワンチャン今でもいける?」
って顔に書いてあった。
なぜか期待に満ち溢れた顔をしていた。
完全に人に怒られている時の顔じゃなかった。
Nは、猛烈にアホだった。
Nは「そこをなんとか!」とでも言いそうな顔で、
もう一度土下座ムーブに入りそうになったので、
わたしはもう一度キレることになった。
そのあとの内容は長くなるので箇条書きにしていく。
(それでも長くなってしまったが)
・なんでいい大人なのにおとなしくDVDも見れないのか
・内容がわからないからといって映画を茶化すような真似はやめろ
・自分が飽きたからといって人が真剣に見ているものを邪魔すんな
・DVDに飽きたのなら手を握るでも顔を近づけるでもなんだって手はあったのに、どうして似てないモノマネなどし始めたのか
・わたしの名前はユーイチではない
・そもそもDVDを借りに行こうと言い出したのはお前のくせに、
なぜ借りるDVDの候補も出さないのか
・無策でTSUTAYA行くな。雰囲気のいい映画は事前に調べておけ
・そもそもバーでいい雰囲気だったし、DVDさえ終わればやれる状態であるのになぜ我慢ができないのか
・ていうか別にTSUTAYAに行かなくてもよかったじゃん絶対
・土下座をすればやらせてもらえると思うな、知恵を絞れ、雰囲気を作れ
・結構いい雰囲気だったのに土下座で壊すな
・ていうかそれはなんの土下座なのか
・土下座をホイホイするやつの土下座になんの意味があると思うのか
・そもそも土下座でやれる確率は上がるのか
・土下座をなんだと思っているんだ
・やらせてくれって土下座する話、フィクションかと思ってたわ
・お前とセッ久なんか絶対にしないからな
こんなやつのために色々と準備をしたかと思うと、
自分が恥ずかしくなってしまった。
わたしと、わたしの上下お揃いの下着に謝って欲しかった。
同衾に使用する物品に関しては、絶対Nよりいいやつと使うからな!!!!!
そのままNをDVDと一緒に追い出した。
長く正座状態だったせいで足が痺れて靴がうまく履けなくなっていたようだが、構わず部屋から出し、鍵をかけた。
しばらくインターホンが鳴ったりしていたが、
「何時だと思ってるんだ!迷惑だから帰れ!」
とインターホン越しに一喝したら居なくなった。
連絡先はすみやかにブロックした。
数ヶ月後、友人から
「Nって人知ってる?」
と聞かれたので猛烈に驚いた。
土下座行脚が友人のところまで回ってきたのか、
はたまたわたしの悪口でも言っていたのか…。
とりあえず、初めて聞いたふりをして、
「うーん?知らないかも?」
と白々しく答えておいた。
こういう時の演技力には自信がある。
「〇ちゃんの彼氏なんだって〜」
と言われた。
「へぇ〜」
とだけ返事をした。
〇ちゃんと付き合うにあたって、
Nは土下座をしたのか、それともしなかったのか…。
ちょっとだけ気になったが、〇ちゃんとはそんなに仲良くなかったのでついに聞くことはできなかった。
※文章中では雰囲気さえ良ければセッ久しても良いというような表現がありますが、これは誤りです。
きちんと相手の性的同意を取りましょう。