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有益なことよりも等身大な自分らしさを
SNSのフォロワーってどうやったら増えるんだろう。
そんなことをずっと考えてきたからか、今朝こんなnoteが目に留まった。
このnoteでは「アスリートの方がTwitterをする」ということを前提に書かれているのだけれど、これはアスリートに限らず、全ての人に学びになるnoteだなぁと感じた。
私は現在Twitterのフォロワーが5.8万人くらいいるのだが、初期のごく一時期を除いて、「Twitterを頑張ろう」と思ったことがなかった。ただ、ある時期にあることを意識し始めてからフォロワーが増え始めた。
1つは以前書いたように140文字いっぱいでツイートするということ、もう1つは私自身のファン(=自分をよく知り理解してくれる人)を50人作るということを意識し始めたことだった。
フォロワーが何人になろうが、私はありのままの私自身をよく知ってくれていて肯定的に捉えてくれる人が50人いればいいと思っており、今もその50人に向かって発信している
読めば読むほど「なるほどなぁ」と思ってしまう。
SNSって、誰かの目に留まるようなことを発信しなきゃ!とか、有益なことを言わなきゃ!って思いがち。でもそうやって肩肘張って発信したものって、見る側にすごくその姿勢が伝わってしまう。「あぁ、有益なことをつぶやこうとしてるんだなぁ」って分かる。
よく考えてみれば、わたしはそういう情報はあまりSNSでは見ない。毎日頑張っているのに、ふとした時に見るSNSですら「有益!」「有益!」「有益!」みたいな情報で溢れていたらしんどくなってしまうから。世の中にはたくさんのライフハックが溢れているけれど、四六時中ライフハックを浴びたいわけではないもん。
どちらかと言えば、興味のある人の何気ない日常だったりとか、どんなことに何を感じたのかとか、その人の人となりみたいなのが見える発信の方が好き。肩肘張らずに等身大でされている発信が。
それなのに、自分のこととなると「何か良いことを発信しなきゃ!」「それっぽいことを発信しなきゃ!」みたいな気持ちになってしまっていた。どうしてなんだろう。
わたしのSNSって、なんだかんだで色んなことを考えて発信していることが多かったのだけれど、唯一そんなことを何も考えずにだらだらと自分の思考や感情を垂れ流していたアカウントがひとつ存在していたことを思い出した。
それがまぎれもない、このnoteだった。
他のSNSはフォロワー数とか、インプレッション数とかめっちゃ見て分析して、どういう発信をしたらどれくらいの反応があるのかとかをかなり気にしていたりする。だけど、このnoteに関してはびっくりするくらいそんなことを気にしていない。なんか気づいたら現在地に居たって感じ。
そうか。こんな感じでいいのか。やり方とかテクニックとかってたくさんあるとは思うけれど、結局のところ大切なのは等身大で自分らしく発信し続けることなんだろうな。
どんなことにおいても、肩肘張らず、楽しくやっていこう。
そんなわけで、今日もおつかれさまでした。
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