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うらやましくたっていい

先日友人と話していて、「あーわたしはうらやましいんだな」と思うことがあった。

それは、
今、子どもをどのタイミングで産んでも、3月までは子育てを楽しんで、4月からは復職します!みたいな流れがあるのだけど、そうやって、わたしの人生を生きるということとがとてもステキ!と思う反面、もっと、自分の子どもを自分で育ててもいいんじゃないかな?と思う二つの気持ちがわたしにはある。

わたしも大切
だけど
子どもも大切。

この二つは両天秤にかけることじゃないけど、でも、どっちに重きを置いてもそれでいいの?と思う自分がいる。
いや、恐れずに書くと、本音では「子ども」をもっと見なくていいの?と思っていた。

でも、そのわたしの気持ちも含めて、今、1歳をすぎた子どもと暮らす彼女にそれを伝えると、
「1歳は1歳なりにその場所で信頼関係を作る時間を過ごしているのを感じるんだよね。親子もいいけど、それだけではない人間関係の中で、育つ。そんな時間を保育園で過ごせていて、とても良かったと思っている」というようなことを言っていて、「それはそうなんだろうけど…」と思いつつ、「でもさ、親子の信頼関係もさ…」と思ったところで気がついた。

「わたしはうらやましいんだ」

わたしの時間のためにこどもを預けて、自分の時間を確保する。そして、その中で子どもが子どもの中で健やかに育っている。
それができる羨ましさを、「親子の時間の大切さ」にすり替えて、自分を正当化していた。

わたしは転勤族の妻で、たまたま出産してすぐに転勤になったし、そしてまた妊娠していた。
縁もゆかりもない土地で、まだ1歳の子と妊婦で働くとか考えられなかったし、働けたとしてもまたすぐ転勤が待っている。そうしたら、保育園に入れてもなー。とか、保育料、高いんだよなー、そこまでして、わたしが働く意味ある?なんのために?ってやめてしまった。

だけど、働かないことで、社会から取り残されている気持ちにはめちゃくちゃなったし、子育ては大変さもあったけど、楽しいこともたくさんあって、子どもといる時間の意味とか意義とか後付けで、いっぱい考えた。

でも、わたしには、預けて働くことのほうがいつも眩しく見えていて、それは子どもが大きくなった今でもそっちに対する羨望があるんだなーと、「わたし、うらやましいんだ!」っという気持ちを再発見した。

そして、なんだか、その「うらやましい」を思い出して口に出せたことで、モヤモヤがちょっと落ち着いた気がする。

「わたし、うらやましいよ」

いろんな選択肢があったとしても、自分にとってはそんなになかったりする。自分が取らなかったり、取れなかった選択肢はいつも眩しい。
眩しいからうらやましいんだな。

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