社会と自分が嫌いすぎる話。

今日、私は市役所に出向いた。
これから私は自己破産の申請と生活保護の申請をしなければならない。

福祉課の担当にも予めこのことは伝えてあった。
しかし、10月になって思わぬ所で横槍が入った。

私は9月末にリハビリも兼ねて周3で仕事を始めたのだが、生活保護の申請が面倒なことになるからと社保の加入を拒否して勤務時間を絞ってもらっていた。
その直後に法改正が入り、社保に強制加入されてしまったこと。
そしてそれを担当に伝えると、担当はそれだと保護の申請は難しくなると伝えられた。

私は予め仕事をする上で生活保護に頼るのは一部条件だけだと決めていた。

それは転居指導が入ること。 何もかも奪われて財産も資産も持たない私には、最低限生活するほどの収入は得られても家賃を払えない今の家からは出ていかなければならない。

しかし引越しも新居探しも相応の金がかかるというもの。
最低限の支援さえ受けられ、転居さえ出来ればすぐに保護は抜けようと考えていた。

住む場所さえあれば、私は細々とながらも一から人生をやり直せるかと考えた末の判断だった。

と言うのに、この最悪のタイミングで法改正である。
見てみればその法改正だってまともと思えるものではなく、明らかに搾取が目的と思えるようなものである。




 正直いって私ももう限界だった。
確かに私は不出来だ。

それでも私はあがき続けた。
毒親のせいで私だけが悪者にされ、誰からも理解されず後ろ指を指され続ける。
それでも私はめげなかった。

必死に生きようともがいただけだった。

けれど、その頑張りは自分を壊した。

もともと解離性同一性障害まで患っている心がその頑張りに耐えられる訳もなく、いつしか私は理解されない社会に対して強大なほどの恨みという感情に支配されるようになった。


だけど私は元々、人を傷つけるのを良しとしない性格。
それどころか、何かとお節介を焼きたがるほどだ。

 アパートの管理かなんかで炎天下の中来ていた見知らぬ作業員にお水をあげたり、理不尽なクレームを浴びていたコンビニ店員にこっそりお布施したりもする。

もちろん見返りなんて求めない。
私みたいな不出来な人間でも、そうした小さい心遣いがきっと知らない誰かを一瞬でも幸せにできるのならそれで良いと思っていた。

けれど、ある人にこんな指摘をされた。
あなたのそれはただの自己犠牲であり、ありがた迷惑になる時もある、と。

確かにそれも一理あると思った。


いつしか全てが敵に見えるようになったあの時の私は、自身で敵が敵で無くなるためには何をすべきか考えた結果自分を犠牲にする選択をした。

毒親は小さな心遣いがそのうちきっと自分に返ってくるなんて言ってた。

けど、私にとってのその行いは償いだった。

不出来でごめんなさいと呪詛のように呟いていた日々を、せめて誰かの小さな幸せの為にと努めたいという一心だった。

なぜそう決断したかは自分でもわからない。
恨みだけの感情が日々巨大化していく中で、誰に対しても復讐をしたくないと思っての自己防衛だったのかもしれない。


事実、私はそういった行いをして受け取った人々の笑顔を見ることが自分の心を安らげる材料になっていた。

しかし何処かで理解していたはずだった。
そんなものは偽善だと。

しかしそれを受け入れることは出来なかった。

受け入れることで自分が復讐の鬼になることだけは、避けたかった。


けど、私は親との縁を切った。
目的は復讐ではない。不要な感情は、自身の成長の為にならないと思ったからだった。

事実、私の親は毒親ではあるが悪人では無い。
恐らく、私のことを心配している気持ちは本当だったと思う。だからこそ、私もその気持ちに応えたいという気持ちがあった。

けれど善意だけで成り立つものなど存在しない。
いくら心配してくれても、いくら金を出してくれても、不本意に出たその言葉一つで心というものはいとも簡単に破壊されてしまう。
いくら両親が私のためにと思ってやったことでも、モラハラまがいの教育やしたくないことを強要したり、自身の意見は通して貰えなかった。
いいかえればそれは支配だった。

両親はそのことについて一切自覚がなかった。
私のためを思ってやったことなのだろうが、その過ちは事実だ。 現に、それが事実でなければ私は解離性同一性障害なんて患わずに済んだんだ。

けれど、その現実を認められることはなかった。
理解はしようとしていたようだけど、理解されることはなく。
何度も私に言ってはいけない言葉を私にかけ続けた。


だから私は思ったのだ。
どんな善意があろうともそれは押し売りしてはいけないものだと。
受け取る人間がその愛情を受け取れないのならそれはただの偽善なのだと。


そうして親と縁を切った今、今迄の私のお人好しはそんな毒親と全く一緒の偽善であったことに気付かされた。

きっと見返りを求めない行動でも、きっとどこかに下心のようなものがあったのかもしれない。


そう思うと自責の念は計り知れない。
笑顔になってくれる人もいたけれど、迷惑に思った人だって多かっただろう。

あらためて冷静になって辺りを見渡せば、色んな人々が行き交う社会で私は腫れ物になっていた。


 私を責める人はいない。
けど、その逆を言えば私はいない人。
幽霊のようになっていた。


幽霊という例えはあながち間違いでもないのかも知れない。
思えば2度も私は自分の心を殺してきたのだ。

私は生きていても、私はこの世界に生きる人間ではなかった。


 私は運送会社に務めていた頃、現場と内勤を兼任していた。その時に、現場の声がわかるからこそ危険な箇所や時代遅れな箇所は変えていかなきゃならないって訴えていた。


あぁ、そうか。 私の声が届かないのはそういう所に原因あったんだ。

 確かに私は一線で闘えるだけの実力があった。
運転手としても内勤としてもまあまあ頼りにされていた。
けど、一番届けたかった声だけが届かないのは自分がもう自分自身に殺されていたからだった。


そして今自分は生き方に苦悩している。
平和主義な自分の裏の顔は、殺されるくらいならせめて道連れにして爆ぜてから死んでやるという意志を持っている。

故に死ぬという選択肢だけはないのだ。

生活保護ももしかしたら受けられないのも、きっと他人からすればそんな社会の役に立たないやつなんか死ねばいいって言う暗のメッセージなのかもしれない。

でも、世に目を向けてみればどうだ。
不法移民まがいの外国人ばかりに生活保護費をばら撒き、うつ病で働くこともままならなくなった本当に保護が必要な人には支給されない。

それで亡くなっていった人々が多いことも囁かれている。


冗談じゃないよ。

そんな偽善者の為に私は死ななければならないのか。

強くそう思った。

けれど、かといってどう生きていけば良いかもわからない。
事実、保護を断られたら私は犯罪に手を染めなければ生きていくことはままならない。

私が手を出さなくたって、家を追い出されればそれまで。
住所不定だって立派な犯罪なのだ。

そしてつい最近では幻聴や幻覚が私を苛むようになってきているのもまた事実。

もう頑張ったんだからいいじゃんって声が聞こえる。
なんごとも無い日常の一コマに黒い人影が見える。
寒い日にガタガタ震えながら帰宅すれば、憎い親の声で『寒かったね、痛かったよね、ごめんね』と囁かれるかのように聞こえてくる。


もう限界だった。

ならいっそ、自分から偽善者に成りきろうとすら思えるのだ。
 考えを改めて貰うことが出来ないなら、理解されることもないなら。
それによって、私と同じように苦しむ人がいるくらいなら。

消してしまえばいい。

そう思えている自分がいた。

私は理解されずに生きてきたことで、何度も恐怖と絶望を知った。 数え切れない程の絶望を味わってきた。

だからこそ思うのだ。
 私を理解せず苦しめてのうのうと生きてる連中の、絶望と恐怖に震える顔が見たい。
 私が味わってきた恐怖と絶望をそのまま返してやりたい。
私があのときどんな目をしていたのか、彼らに同じ絶望を自らの手で味あわせて見てみたい。

きっとそれって、物凄く快感を感じるのではと。


けれど、我に返ってそんな思いを馳せている自分に絶望した。

こんなの、ただの''無敵の人''じゃないか。

そんなテロリストみたいなことやって何になる。
どうせ快楽殺人鬼とバッシングされながら淘汰されるだけだ。


けれど、それがわかったところで何が正義なのかもわからない。

ビタ一文無しの私が政治家になんかなれるわけもなく、声が届かなきゃ有名になれることもない。
正当なやり方で不当な連中を駆逐したいと思っても私にはそれが敵わない。

どうすればいいんだ。


正義なんてものは糞だ。つくづくそう思った。
正義を御旗のもとに振りかざして好き勝手やってる連中なんて、正義という名の糞にたかるハエみたいなものなんだ。


けど、偽善のもとに暴力を振りかざそうとしてる自分も同じだった。
確かに、私と同じような思いをする人がこれ以上増えて欲しくないと思っている。
私よりも下の世代の子供たちは余計に今より苦しい思いをする可能性が高いこの世の中を変えたいとも思ってる。

けれど、そこに私がすすめる道なんて無くて。

私と同じように苦しんでいく人たちを指をくわえて見ているしかないこの現状。


そんな社会と。
そんなクソみたいな社会と全く同じことをやろうとしている自分が。


嫌いだ。

光には闇があるように。
闇にも光があるんだ。


成功者の裏では、蹴落とされた者がいる。
蹴落とされた屍の山には、成功者がいる。


成功体験というものがなく、かといって蹴落とされたままが嫌だった私は、徹底的に俯瞰を貫いて生きてきた。

だからこそ、私は成功者にもなれないし、これ以上蹴落とされることもない。

 
そんな私が出来ることって、なんだろう。



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