倒れてからの経過。
私は自己分析大好きなので倒れてからこの3日間での経過というか、気になった点をあげていこうと思う。
体調自体は良くなってはきたものの、自分の意志に反して身体が著しく反応しない点だけは変わらない。
体力的にはいままでのような余力を感じるのに、いつものように歩こうとしても歩けない。
ヨボヨボフラフラとしか歩けない。ふらつきはするものの、バランスは取れていて転けることはない。
他に、ある特定の物が重く感じたりする事が多い。
お茶のポットやお皿等は特に重く感じる。たった2kgあるかないかの物体を持つだけで手が震える。
なんというか、身体にリミッターを掛けられたような感じである。
普通に歩くことを身体が拒絶している。
恐らくこれは長いことコンサータに頼りきって生活してきたツケではないだろうか、とふと思った。
私は今までは親を見返したい一心で必死だった。
もともとADHDで注意欠陥が酷い私はコンサータがないとまともに仕事できない人間だった。
おまけにコンサータは何かと身体の怠さを消してくれるような作用もあった。 だから私はコンサータに依存していたのかもしれない。 事実、医者からはそろそろコンサータを辞めるべきと言われていたが私は仕事が務まらなくなるという理由で拒絶していた。
しかし引っ越して暫くした後、コンサータが切れた。仕方ないので主治医の元に行ったのだが、毒親がその病院にも私の行方をと連絡をしていたらしい。
その件を知ってしまってから、私は恐怖のためか主治医のもとへと行けない日々が続いた。
そうこうするうちにコンサータが切れてしまった。 しかしこの時期というものは、自分を大切にしようと改めて思っていた時期でもあった。
だから、コンサータ無しで1ヶ月頑張った。
しかし、そんなすぐには人は変われない生き物で。
私は結局自分をどう大切にしていいかも解らずに右往左往しているうちに倒れてしまった。
確かにコンサータ無しでも仕事はできた。 しかし、仕事をしていない時以外は身体も頭もあまり働かない。 仕事している時以外は無気力だった。
しかしするべきことはしなければならないと奮起した矢先に倒れてしまったのだ。
恐らく私は相当な無理をしていたのではないだろうか。
コンサータに依存することによって、出来ない自分が出来る自分になって行く。
そこで満足しておけばまだ良かったのかもしれない。
ただ、実際の私はどんなに褒められても自己研鑽を欠かさない人間だった。
この程度で図に乗る訳にはいかないと、謙虚の面を被ってがむしゃらにやれること全てに手を出してきた。
本当は人付き合いが誰よりも苦手なのに、タクシー運転手になったりもした。 24問題で給料が減り、トラックに乗り続ける訳には行かないと収入が良い仕事を選びたかったというのは建前。
本当は、自分が色んな人と話すことでコミュニケーション能力を上げて今後の自分のキャリアに繋げたかったというのが一番の理由だ。
医者からは止められていたが、引きどころは自分で弁えられるからと強引に自分磨きを優先させた。
何の身の丈にも、合ってない癖に。
きっとこれは天罰だ、と言ったけれどまさにその通りだ。 身の丈に合わない努力なんかし続けたからこんな目に遭ったんだろう。
失敗は振り返っても仕方がない。
だからこの失敗をどう次に活かすかが大事だろう。
しかし、今は活かすことすらままならない。思考もあまり働かず身体も思うように動かせない不自由極まりない生活では何も出来ないのだ。
そしてもうひとつ気がかりなことが出来た。
それは物音に極端に過敏になっている。
前は音に対する過敏が出た時は精神的に弱ることが多かった。 物音にビクつき脅えることも多かった。
しかし今はちょっと違う。 物音にかなり吃驚するのはよくある事だが、精神的に不安にならない。
身体は反応する。 恐怖を感じた時に感じるゾクゾク感もある。 けれど、心が全く反応しない。
これはどういうことなのだろうか。
毎日自己嫌悪しているのだから、精神的にはかなり弱っているはずだ。 なのに、こういうことでは何も恐怖感情が沸かない。 身体が反応するだけなのだ。
これも主治医の言っていた『思い込み』なのだろうか。
そう思って気合いで身体を動かそうとしても動かない。
私は解離性同一性障害を患っているが、それとなにか関係しているのだろうか。
私の意志とは真逆にいる副人格が、自分を守ろうと必死に動いているのか。
私は医者じゃないから、その真相は解らない。
けれど、いくら私の意志に身体が反応しないのは本能的な物なのかどうかは疑問でもある。
私が自身の持つ負の感情を殺したあの時から私の解離性同一性障害の症状が発症している。
あの時殺した感情が2つの副人格となって宿っていることを考えれば、もしかしたら自分を守る自分も棄ててしまっていたのかも知れない。
親と縁を切った以降はいままでのような解離性同一性障害の前兆の起き方が変わって居ることも気がかりだ。
今迄は憎悪の感情が向く矛先は周囲にいる人間全てだった。一時、自分が最も大切にしている彼女にすら刃を向けかけたことがある。
しかし今では少なくとも私が大切な人だと思っている人には矛先を向けなくなった。 変わりに、私が敵と認識した相手にはより強い憎悪の感情を向けるようになっている。
その感情はあまりに強烈すぎる。ここに書くのもおぞましいほどのものだ。
いままでも暴力衝動や他殺衝動はあったが、最近のそれは明らかに度が過ぎている。端的に言うと快楽殺人のそれに該当する程である。
方やもう1人の副人格は只管に自分を甘やかす感情。 ダメな自分を捨てるために棄てた感情で、それ故になにかと理由をつけて自分に甘えのきっかけを作っている奴だ。 今迄はこの暴力衝動の塊とこの甘やかしの人格同士で上手く自分をいなしてきた感じがあったが、主人格たる自身の意思もあってある程度はコントロールが出来ていた。
しかし今となっては主人格の言うことをどちらも聞いてくれない。 もしかすると、甘やかしの副人格の方が暴走する方を全力で止めていてくれているのかもしれない。
現に、主人格たる私は人を傷つけることを好まない。 主治医は副人格との対話が大事なんて言っていたが、そういった所で私に同居する人格同士で牽制しあっているのかも知れないと思った。
しかしこれはあくまで仮定の話。
次に診察があるその日までは私はただじっとしていることしか出来ない。