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水に流さなくても、水に流れていくこともある

私は流れる水が大好きです。
金沢の街中を散歩していると、いつも水音が聞こえてくるような。
だから、大昔になってしまったけど、金沢に住んでいた3年間はとても幸せでした。
よく揉め事が解決した後とかに当事者同士で「水に流しましょう」なんて言いますが、これって私にとっては難しいスキルでした。どうしても水に流せなくて、苦しくて、悲しくて、怒りが収まらなくて。
それが、ふと嫌な思いも思い出も「水に流れていく瞬間」がありました。今日はそのお話をしたいと思います。


難しい嫁姑の関係が終わる時

正直なところ、義両親は苦手です。義父は他界しましたが、義母はターミナルケアの病院にお世話になっています。私に向けられた言葉だけでなく、子どもたちへの態度や言葉の一つ一つが気に入らず、積もり積もって心はシャットダウンしていました。そして、音信不通を選んだ嫁。義母とは義父の葬儀の前後に久しぶりに会い、その後また音信不通。
その後、施設ではケアできない状態になったため病院に入ったことを聞いて、夫とお見舞いに行きました。
最初は夫を見ていた義母でしたが、私を見て涙を浮かべて
「あー、あー」と話しかけてくれたんです。夫ではなく、私に向かって。
私は元々話好きで営業経験もあるため、嫌いでたまらなかった義母にもかかわらず、スイッチが入ってしまいました。

突然オンになったスイッチとは

金沢に住んでいた時に営業をしていたのですが、その時から「何このスキル?私に何が起きてるの?」と自分でも驚くようなスイッチがあることに気づきました。

相手が自分でも気づいていない考えや相手が私に言わせたい言葉が
私が考えることなく、私の口からつるんと出てしまうのです。

でも、意識的にやっていることではないので、本当にまれで。それを嫌がる人もいることに気づいてからは、できるだけ言葉を発する前に発するべきかどうかを考えるようにしました。それが礼儀であり優しさでもあると思ったからです。

話を戻しますね。義母のリアクションを見たときに、思わずミトンを被せられた義母の手を握りしめて
「お母さん、わかる?あやめだよ。元気になったらデパートにお買い物行こうね。私にいっぱい買ってね。約束だよ。」「子どもたちの誕生日に一緒にケーキを食べるって言ってたでしょ?元気になってね。」

え?私、すごいこと言ってない?
確かに、義母は孫たちとデパートにお買い物に行きたがってました。ケーキも食べたがってました。20年以上前の話ですが。

義母は「あー、あー」と言いながら私の手を離さずに泣き続けました。
きっと義母が私に言って欲しかった言葉だったのでしょう。でも、私が義母に言いたかった言葉だったのかもしれません。
そして、私の感じた義母の心の声は「ごめんね」でした。義母の言葉なのか、私が義母に言ってもらいたかった言葉なのか、今でもわかりません。

私のネガティブな思い出も感情も水に流れて

病院からの帰り道、大嫌いだった義母への思いがさらさらと水に流れていくのを感じました。自分の嫌な部分を義母に見出していたのも事実です。音信不通の状態でもふと思い出して、嫌な気持ちになっていたのも事実です。許せなかったのも事実です。
言葉を発することができなくなった義母は、彼女の意識を使って私の意識に自分の思いを伝えたのかもしれません。二人の意識が繋がった時間だったように感じています。
ネガティブな思い出や感情は「何回も水に流す努力をする」より「水に流れていくのを眺める」方が簡単で気持ちが良いものだなと思う経験でした。

自分の気持ちに気づいて相手に伝えることの大切さ

義母との不思議な出来事以来、私は自分の気持ちを大切にするようになりました。目の前の人の心を感じようと努めてもいます。私にとって自分の気持ちを自分で気づく、それを言語化して相手に伝えることは簡単ではありません。練習して少しずつできるようになってきたところです。でも、それができると、その時は多少言い合いになっても、分かり合えることが多くなる気がします。そして、自分でタイミングを決めてその出来事を水に置いてみると、流れていくことがあります。流そうとしなくても。そして、さらさらと水に流れていくのを感謝の気持ちで見送る。それで、いいのかな。

水に流れていくものを見送る幸せ

嫌な出来事って、その出来事だけでなく、その時の感情も覚えているから始末に負えないのかもしれません。だから、一日をできるだけ多くの「喜々楽々」な出来事と感情で埋め尽くすと、嫌な出来事を思い出す回数も減り、記憶も薄れていくと考えています。
よく聞く話ですが、波動を下げないとか、いつも機嫌よくいるとか、意外に難しくて。私は近い未来、明日とか今週中とかに、「〇〇になる」みたいな予定を未来日記として書いてますが、書くだけで考えるだけで楽しくなって、忘れたころにその未来が本当にやってきて。現実化するのが嬉しくて、ずっと続けてます。
叶うまでに辛すぎることもあるけれど、確かに叶うしテンションが上がって「喜々楽々」な状態になります。これが波動を下げないってことなのかなと
思っています。この状態だと、嫌な出来事を思い出す回数が減るし、どうでもよくなることもあるし。水に流れていくイメージを見つめている時は、「私、成長したわ。ステキ!」って嬉しくなってしまいます。

でもね、まだ練習中です。



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