じいちゃんが大好きだった。炭酸は嫌いだった。
じいちゃんへ。
なかなかお墓参りに行けず、ごめんなさい。
おかげさまで、私は大人になりました。
小さいころ、とても可愛がってもらったこと、今でも覚えています。
「おらの孫はめんこい、めんこい」と、いつも言ってくれましたね。
照れくさくて、いつもそっけなくしていましたが、本当は嬉しかったです。
私は、いっぱい遊んでくれるじいちゃんが大好きでした。
そして、今でも大好きです。
でも、大人になった今だから、正直に告白します。
私はじいちゃんのことが、一度大嫌いになってしまいました。
ばあちゃんか誰かが、「じいちゃんが競馬に通いつめて困っている」というようなことを口にしていたのが、たまたま耳に入りました。
まだ幼く、白黒思考の強かった私は、とにかく賭け事はダメだ!とかたくなに思い込み、それをきっかけにじいちゃんとは距離を置くようになりました。
今思えば、ギャンブルする人は全員借金を作っている、みたいな勝手なイメージがあり、じいちゃんもそうなのだと思い込んでしまいました。
じいちゃんは無理のない範囲で楽しんでいただけかもしれないのにね。
初夏のある日。
じいちゃんが、炭酸飲料を買ってきてくれて、「ほら、飲まいん」と言ってくれました(方言で「飲みなさい」の意味)。
でもそのときの私は、じいちゃんが嫌いになってしまっています。
おまけに、炭酸が苦手でした。
口の中でぱちぱちしゅわしゅわするのが、私にとって刺激が強すぎました。
私は意地になって、ひと口も飲みませんでした。
お母さんが「おじいちゃんごめんなさい、この子炭酸は飲めないんです。ねっ、〇〇ちゃん」とフォローを入れてくれましたよね。
ピンクのキティちゃんのコップの中で、所在なさげに浮かぶ液体のレモン色を、今でもありありと思い浮かべることができます。
私はそのことを、すぐに後悔することになります。
その晩、じいちゃんが突然、この世からいなくなってしまったからです。
じいちゃんがお風呂で溺れている、と、敷地内の隣の家に住むばあちゃんから電話が入りました。
じいちゃんはさぞ苦しかったことでしょう。
想像しただけで、胸が苦しいです。
すぐに救急車が来て、お父さんとお母さんが様子を見に行きましたが、夜も遅くのことで、私は子どもだからと連れて行ってもらえませんでした。
次にじいちゃんに会ったとき、じいちゃんはもう、息をしていませんでした。
幼い私は、お顔も見せてもらえなかったし、お骨も拾わせてもらえませんでした。
子どもであることが悔しかったです。
どうしてあのとき、せっかく買ってきてくれた炭酸飲料に、ひと口でも口をつけなかったのだろう。
どうしてじいちゃんにあからさまに嫌な態度をとってしまったのだろう。
じいちゃんは、ずっと私のことを大好きでいてくれたのに。
じいちゃん、ごめんなさい。
実は大人になってから、不思議と炭酸が飲めるようになりました。
きっかけは大学の飲み会で飲んだチューハイだと思います。
そこから、ビールってどの料理にも合うなー、とか、スパークリングワインって口当たりがいいなー、とか、いろいろなお酒を覚えていきました。
じいちゃんもお酒が大好きでしたよね?
血でしょうか。
今は持病の治療中で、アルコール厳禁なのですが、たまに気分転換したいときはノンアルコールのビールや梅酒を楽しんでいます。
それと、これまた不思議なのですが、大人になってから私も競馬が好きになりました。
でもおこづかいの範囲でGⅠの馬券をちょこちょこ買うぐらいだから、心配しないでくださいね。
馬ってかっこいいですね。
人馬が協力してレースに挑む姿は、とても美しいです。
こちらの世では今、競馬がモチーフのゲームが出てきて、私もハマって昔の馬の名前をたくさん覚えました。
たぶん、じいちゃんと話が合うと思います。
じいちゃん、ばあちゃん、ひいばあちゃん、お父さん、お母さん、夫、それから関わってくれたみんなのおかげで、私は生きています。
おかげさまで、そちらに行くのはまだまだ先になりそうです。
いつかまた会えたら、ビールで乾杯しましょう。
そして、競馬の話をふたりでしましょう。
じいちゃんが亡くなったあと、強い日本のお馬さんがたくさん生まれましたよ。
人生こんなに楽しかったよー、とかも、お互い話したいですね。
ばあちゃんとのなれそめも、こっそり教えてくださいね。
その日を楽しみに、私は今日も、一生懸命生きていきます。
2024.8.15
お盆に寄せて