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【ショートショート】やさしい海~落選供養~
あれよあれよという間に、うつ病になってしまった。
原因は簡潔明瞭、仕事のストレス。自他ともに認めるお人好しの私は、担当外の業務依頼を断れず、結局キャパオーバーでばたりと倒れた。
しばらく休職することになった私は、自宅療養を始めた。朝目覚めると「ああ、今日も頭が重いなぁ」と感じ、心療内科の薬を飲んだ後、また眠る。
家事を夫に頼りきり、食事・入浴・トイレ以外、床に臥す生活。3ヶ月ほど続けると、ある日「あれ、今日はなんだか調子がいいぞ」という日が少しずつ増えてきた。
ある日、たまたま週末で家にいた夫が、以前より明るい私の顔色を見て提案してきた。
「今日、ドライブに行かない?」
「いいね」
すぐに了承した。
車に乗り込んだものの、夫は「行き先は内緒」と言って、どこに向かっているのか皆目わからない。助手席と運転席で「ねぇ、まだ教えてくれないの?」「だから内緒だってば」の反復横跳びを繰り返しているうちに、どうやら目的地に着いたらしい。
「ここは……」
「見ての通り、海ですよ」
夫がいたずらっぽくにやりとする。
「ちょっと散歩してみようよ。久しぶりの外の世界をさ」
ふたりで車を降りて、歩き出す。海水浴にはまだ早い季節だが、そもそもこの海は10年以上前に起こった大災害の影響で、今は海水浴が禁止されているらしい。さっき見かけた看板に書いてあった。
海面がきらきらしている。深呼吸すると、都会とはぜんぜんちがうにおいがして、なんだか肺が喜んでいる。海に近づけるぎりぎりのところまで来て、水平線をふたりで眺める。
「凪海ちゃん、いつも僕に申し訳ないと思ってるでしょ?」
唐突な言葉に、私はぎくりとする。図星。
精神衛生上、過度に気にするのはよくないと思い、極力考えないようにしてきたつもりだが、顔に出ていたのだろう。私にできることはわずかな家事ぐらいで、生活のほとんどすべてを夫に頼っている現状を、心のすみっこでとても悔しく、みじめにすら感じていた。
「でもね凪海ちゃん、夫婦は助け合いだよ。君が苦しいとき僕が助ける。僕が苦しいときは、いつも君のあったかさに支えられてきたんだよ。それだけで十分なんだよ」
じわりと目が熱くなった。体の濁った空気も、すっかり外に出てしまった。清々しい。
いつまでも、ふたりで穏やかな海を眺めて暮らしたい。
「ここに住もうかな」
半分冗談、半分本気の言葉を発すると、夫がまた笑った。
「僕はどこまでもついていくよ」
「ひなた短編文学賞」落選作品をここに供養します。
いつか私の、もしくは誰かの糧となりますように。
こちらの作品が、秋ピリカグランプリ読者賞候補となっています。
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