左派の後退は内なる矛盾が原因
混合経済から背を向けている
本来混合経済は西欧では「社民党のような左派政党」が進めるもの。ところが日本では社民党、共産党とも混合経済には否定的で緊縮財政路線を介して政府介入を斥ける方向に向いてしまっている。
特段共産党は混合経済を資本主義の延命として頑なに拒否しており、社会主義へと段階的に移行するなかでの中間体とは認めない点も問題。あくまで革命によって体制が一息に「ポン」と変わるものだと思っているので、段階的に移行するとは考えていないように見える。
こうして緊縮財政路線を介して間接的に新自由主義路線を指向しているために、本来の左派が担うべき資本主義下で展開される新自由主義の暴走にブレーキをかける役目を放棄していると言っても過言ではなく、それで失望を招いているのが原因ではないかと見る。
意識高い系が集い庶民感覚が欠落する
元々左派界隈にはインテリ層が多く存在し、これに追従できる人もまた意識高い系の人ばかりになる。そこまで意識の高さのない一般庶民は置いていかれる。つまりもはや「庶民の味方」ではないということになる。
あたしは他人の趣味には明白な違法性がない限りはどうこう言うつもりはないが、いちいち他人の趣味にケチを付けることには理解に苦しむ。インテリ層や意識高い系の人たちの中では成長のための自己研鑽がライフワークになっており、趣味らしいものがない事も少なくないから趣味に対する理解がないのかもしれない。
成長のために努力することはよいことだが、その代償として人生を楽しむ事から背を向けるべきだとしたり、成長に固執して脇目も振らず精進する姿勢をとる原動力が他人に勝つことという「勝利至上主義の人生観」は如何なものかとも思う。勝利至上主義は軍隊的な組織観が持ち込まれた体育会系の右派性ともつながっており、引きずり込まれている印象もある。
特に気にかかるのは萌え絵までも性的搾取だと騒ぎ出すもの。意識の低い愚民が群れる低俗文化だと思ったら排除せずにはいられないようで、高尚な文化しか存在してはいけないような認識がよりインテリ層の傲慢な態度として映る。
もちろん、漫画やアニメ、ゲームに対しても蔑んでいるようで、そんな低俗な文化に触れる暇があるなら勉強しろと言う、子どもの成績のことしか関心のない親御さんの説教みたいな話も飛び交う。
フェミニズムと宗教右派との合流で右傾化した
キリスト右派の影と保守思想の取り込み
近年のフェミニズムはポルノ、萌え絵に対する敵愾心が強く、背景にキリスト右派の「禁欲主義」があるのではないかと見る。現実としてキリスト右派団体の矯風会との連帯もあるようだ。女性差別の問題を禁欲主義で解決しようというのは短絡的で、世の中の乱れを「滅私奉公的な全体主義」で正そうとするような小林よしのりの「公の精神」論に通じるような短絡的なものを感じずにはいられない。
そもそもキリスト右派と連携している時点で右派色を抱えることになり、自己矛盾が出てくる。物事を考える規範を磨く上で保守思想を取り込むのは歓迎したいが、一方的に右派色に引きずり込まれるのは本末転倒。
(あたしも保守系の論壇誌である「クライテリオン」を購読している。思考のバランスを取る上で、保守系の論壇も読む必要があると認識しているからだ。)
焦燥感から右派の短絡性に乗ったか
右派の短絡性としたが、ここ30年余り、右派論壇が短絡的な論理展開をする傾向があり、その背景に大衆が1日でも早く問題解決をしてくれという意識を汲んでいるからそのような論調になったと見ている。大阪で一世風靡している維新もその傾向で、「スピード感」という言葉を多用するあたりは大阪人の気の短さをうまく取り込んでいるのも一因かと見る。
極右も極左も共通するところは、あるべき状態を性急に実現しようという「焦燥感の強さ」にあると思う。特段共産党がそのような性急な姿勢を見せ始めたのはやはり党勢の高齢化で先がないという焦りでもあるのだろう。そんな性急なやり方では過激な言動を好まないZ世代の青年層からドン引きされ、ますます青年層からの支持を得られなくなる。ドン引きされて青年党員を迎えにくくなるのだから必然的に高齢化が加速する。まさに「急いては事をし損じる。」
党勢の高齢化を考えると優先的に進める政策はジェンダーではなく青年の支持が集まるような青年対策の政策であろう。そのためには今置かれている青年がどういう状況なのかしっかり向き合う必要がある。韓国ほどではないが、青年層で男女間の対立が生じているという現実と向き合った方がいい。
その原因は青年層は社会の進歩によってある程度男女格差が改善された環境下にいるためで、上の世代から見た男女格差の見え方とはズレがある。そこに世代間のギャップが生まれていることに留意が必要となる。
余談:アイキャッチ画像からひとこと
下手したら左派の萌え絵叩きは警察以上に目くじらを立てる自警団のような意識の高さ。
警察でも刑法175条に抵触する犯罪とまでは認めないようなものまであたかも犯罪であるかのように騒ぎ立てる。女性の肖像は戦前の「御真影」のような存在ではない。
まるで性的搾取とする女性を象った表現物を男が見て自慰に耽るという思い込みがあたかも「御真影の前で裸になるような不敬」と言っているかのように聞こえる。女性を旧体制下の天皇以上の存在に祀り上げることは左派のやることではない。