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皆既月食を一生懸命撮る
昨日は300~400年に一度の皆既月食…だということはすっかり忘れて急ぎの仕事に没頭していましたら、夫から「皆既月食は撮影するの?」とLINEでリマインドが届いて思い出しました。
それならば、三脚を持って帰らねばならない、と準備。
(望遠でかなりズームするので三脚で固定、リモコンでシャッターを押さねばブレます)
ちょうど原稿の確認を出すタイミングだったのでメールを送ったあと、三脚を背負って帰宅しながら月を見ると、もう欠けはじめているではありませんか。
あわてて帰って、家の横で撮影を開始。そう高いレンズは一つも持っていませんが仕事で使うので家庭用という感じではなく、近所の皆さんの間で目立ちます。気合いが入っている人風で恥ずかしい。しかし撮りたい欲が勝って、人見知り全開ながら頑張って撮りました。
「やっぱりカメラすごいですね」と近所の人に言われて内心「やっぱり…? 身バレしてた! 恥ずかしい!」と思いながら、
「いやあ、すごいのはカバーのとこだけで…」とかおずおず言いつつ、しばらく外で撮影。なんとかこのくらいは撮れました。天体用のも欲しいのですが、レンズはきりがないですからね。
インスタでも喜んでもらえましたし、夫LINE経由で夫父母に撮影したものを送ったら、「すごい! あやめさんにお礼を言ってくれ!」と喜んでくれたそうです。
高齢になると、月食ははっきり見えないですよね。大きく撮ったものがうれしいのか、なるほどと思いました。
私の父母も、先日撮った阿蘇の写真をスクロールする電子フォトフレームに入れてあげたら寝る前にずっと見ているそうで。
私の写真でいろいろな人が喜んでくれて、こういう仕事でよかったなと思いました。
カメラマンではなくて編集ライターですが。
ちなみに編集ライターの撮る写真がいいのは、ある意味当然ではあります。意図を持って撮りますしね。機材がある程度そろっていることは必要ですが、感じ方や、撮る人が何を表現したいのか、写真には如実に表れます。電子機器なのに、不思議ですよね。それは構図やシャッターを押す瞬間に表れるのでしょうか。
中学生のときはカメラマンになりたいと思っていたので、カメラの学校に行ったらよかったかもなあとたまに思います。
最近カメラマンに転身しようかと思うくらい写真を褒められるのですが、書いたストーも喜びの電話が来まして。だからすごいでしょ、ではなくて、じゃあそれで、どんなチームで何をつくるべきなのだろう?という課題に直面しています。
ストーリーなどなどについては、また書きたいと思います。
原田あやめ