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自分には「人徳がない」とは

画像は、AIアートでできたイラストですが、なんとなく今回のテーマに合う気がしています。

統一地方選挙

統一地方選挙が昨日行われて、私の住むまちでは女性市長が誕生し、市議選には新しい顔ぶれの候補がたくさん出馬。昔の知り合いなども出ていて、驚きました。

私のオフィスは選挙カーがたくさん通るので、いろいろなPRも聞き、選挙カーで良い印象を残すスピーチとはどういったものだろうなと思っていました。私が応援したくなったのは、旧知の、ふとしたときにアドバイスをくれた人とか、「こういうもの、市の子育てママのためにつくれませんかね…」と相談しに事務所にいらした方とかで、日常的な行動が思い起こされましたね。

私の場合は仕事柄、市議会議員さんと知り合うことが多いのでそうなるのかもしれませんが。とにかく、いろいろとこの街にも変化があるのだなと感慨深い統一地方選挙でした。

さて、タイトル「自分には人徳がない」というのは、私が言ったわけではなくて、たまにこういうことを言われるので、不思議に思っているという話です。

人徳とは何か

何かを取りまとめてくれという要望が私にあって、「あなたがやればいいじゃないですか」と返すと、それへの返答が、「自分には人徳がない」(あるいはそれに類する発言)。

「人徳」って、何でしょうね?

「経歴」とか「実績」だと、何のことだか明確じゃないですか。そして、立派な経歴や実績がある人達が、「自分には人徳がない」とかおっしゃるのです。

おそらく、人が集まってくるとか、人が付いてくる、場の中心になれるような人間性であるとか、リーダーシップといった意味なのだと思います。

それというのは何から生まれているんでしょう。

人徳は履歴書に書けない

履歴書とか、WEBに書ける学歴とか社歴ではないわけです。学者さんもそう言うので、知識の豊富さでもないです。

すると、「頼りになる感じ」? 「包容力」でしょうか。

「判断力」ではなくて、「決断力」ではないかという気もします。

みんなが尻込みしてしまうことを「いいからやってみよう」と一歩踏み出す力というか、ある意味鈍感に走り出す力。

人に好かれて、前向きで、思い切ってやってみる人。

「中身がない」という言い方をする人もいましたので、それというのはこれまでの人生で困難を乗り越えたストーリーを持ち、かつそれで人間的厚みと他人に対する包容力を増した、言葉に説得力がある人、ということのように思います。

人徳があると票も集まる

考えてみれば先述の統一地方選挙で私が選挙カーでの演説で良い印象を持った人というのは、上記の

「人に好かれて、前向きで、思い切ってやってみる人」で、たままた居合わせた私にずっと忘れられないアドバイスをくれたり、前向きな相談をしてくださったりした「言葉に説得力がある人」ですね。

イコール人徳があると私が思う人達でありました。

一方、スピーチを聞いたり、選挙活動を見ていて「うーん」と思ったのは、過去、私にいじわるをしてきた人(これは当たり前ですが)であったり、初めてお目に掛かった人では、良い主張をしているように見えて、人を傷つける話をしている人ですね。

「人徳」には、人を傷つけない態度も含まれるかもしれません。

仕事をする上で重要なのは人間性だと常々思っていますけれども、そこで重要になる人間性の上質なものを「人徳」といい、経営でも地域活動でも、それを推進させるリーダーの人間性の表現なのでしょうね。

リーダーシップに人徳が含まれる

すると自分には人徳がないという人は、自分にはリーダーたるには人間の性質が良くないというか、性質のうちの何かが足りていないとおっしゃっている。それが足りていないことを憂えている。

果たして自分はどうか? 多分、コンパクトな包容力であったり、言葉の説得力であったりは、あるように思います。それは、いちから子どもや事業を育ててきたことから生まれたかもしれない。

でも、ゼロではないにせよ、それが小さくて、小さくて、まだいろいろなことをダイナミックに変えるには足りないのですよね。だから、人徳が高いとは言わない。それが、もっともっと大きく高くなりたいなあと、最近思うのですよね。

人徳はどう高くなるのか

だからといって、「さあ、人徳が高くなるぞ!」と思って高くなるものでもないと思うんですよ。

周りの人のことを傷つけないように、、事業を恐れず推進していくという試みを繰り返した先に、人徳が高い状態があるのですかね。

そうなったときに、本当にたくさんの人を幸せにできるような、大きな事業が待っているのかなと思っています。

原田あやめ




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