エッセイ「祖母のマフラー」
大学進学で実家を離れるまで、両親と妹、そして母方の祖母と暮らしていた。
祖母はその年の人には珍しいシングル・マザーである。家に居るときも化粧を欠かさず、定年後も自分の葬式代を自分で稼いでいる。
私は、祖母のそういう強さが好きだ。幼い頃から「私はこんなおばあちゃんになるんだ!」という憧れだった。
故郷を離れて四年が経つ。祖母は、私が帰省する度に「あーちゃんは大変だから」と、いろんなものをくれる。歯ブラシとか、カミソリとか、化粧水とか。
同時に、時間というものの残酷さを感じる。去年喜寿を迎えた祖母のからだや皮膚は、会う度に少しずつしぼんでいく。
一緒に暮らしている他の家族はきっと、その、スーパースローカメラで撮られた映像のような、ゆるやかな変化に気づかない。私だけがそれを知っている。
帰省中のある日、祖母と二人きりになったときに、ぽつりぽつりと、自分の身の上話を始めた。
戦後すぐに中国から引き揚げてきたこと。家庭科の先生をしたこと。祖母の母に言われて結婚した相手(つまり私の祖父だ)が、人生で一番そりの会わない人間だったこと。二人の子どもを育て上げるまで、辛抱して夫婦生活を続けたこと。
相づちをうちながら、私は本棚に並んだ『ジョジョの奇妙な冒険』を眺めた。祖母の話は、そういう漫画の回想シーンみたいだなあ、と思った。
下宿に帰る日になると、祖母はいつも小遣いの入った封筒をくれる。いつもは懐紙にくるまった諭吉しかいない封筒の中に、小さな手紙が入っていた。
インクでぐずぐずに滲んだボールペンの、その筆跡の弱々しさが痛くて、私はそれを文箱の一番奥にしまいこんでいる。
年末年始に帰省した際、祖母は私にマフラーと、手袋をくれた。若草色のマフラーと、黒い革の手袋。祖母の匂いがした。十八年間嗅いできた、祖母の箪笥の匂いだ。他のどんなものよりも、実家の匂いを纏っていた。
「ありがとう」と私は言って、下宿から引っ張ってきたキャリーケースの上にたたんでおいた。
何時間か経って、祖母が彼女の愛犬を散歩に連れ出すときに、先ほど私にくれたばかりの、若草色のマフラーを、いとおしそうに巻き付けているのを見た。
祖母は、数時間前にそれを私にくれたことさえも、もう、思い出すことが出来ないのだ。
この時、老いるということがどんなことなのか、そして、祖母を私から遠くに奪ってしまうものが、すぐ近くまで来ていることを感じた。
「かーちゃんの死んだすぐあと、歯医者さんで抜歯すっとき泣いたと。親からもろたもん、こい以上取られてしまうんの、こわあてさ。」
と、思い出したように祖母が言った。
祖母は、自分にその時が来るのを見越して、孫の私に、自分のものを少しずつ分け与えているのではないかと思った。
「老い」というのは、そのためにある時間なのかもしれない。私は、あの人は、そろそろ遠くへ言ってしまうかもしれない、ということに気づく時間。
それに向けての覚悟や準備を、おのおのがすすめるための時間。
祖母が散歩に出かけた後、私は炬燵につっぷして泣いた。