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人間が生きることを肯定したい・23「屋久島にもらったふたつの場面」

『そうだ。人間の体には音がある。
その音を、母親の腹の中にいる間じゅう、
ずっと聞いているんだ。
肉体はひとつの宇宙だ。
ざあざあと力強い滝のように流れ落ちる大動脈。
石走るせせらぎのような大静脈。
そして、今、お前が聞いた太古のドラムのような心臓の鼓動。
それらの音が、こうして水音を聞いていると蘇ってくる。
命のリズムだ』 

「癒しの森 ひかりのあめふるしま屋久島」より
田口ランディ著 ダイヤモンド社


まったく、屋久島の木々には常識を覆される。
どんな常識か?
「木という植物は空に向かってまっすぐ伸びているものである」

私は今まで、なんと穏やかで素直な木々しか知らなかったことか。
それとも、ちゃんとした目で「木」を見たことがなかったのか。

今年もまた屋久島を旅した。
旅の2日目に散策した「白谷雲水峡」は、
一番身近に屋久島らしい自然が感じられる場所として人気がある。
多くの人が訪れるが、今なお原生林として守られている。

様々な植物が創り上げる森のハーモニー・・・
なんていう生易しいものではない。
全然違う。
森へ入った者が突きつけられるのは、熾烈な生存競争の有り様だ。
木々の細胞ひとつひとつが、
とにかく息できるスペースに向かって
何百年もの間ただもうがむしゃらに手を伸ばし・・・、
その結果こんなふうになっちゃいました、という感じの森である。
のたうっている、という表現が正しい。
大木は地面からだけでなく、
切り株から、
倒木から、
切立った斜面から、
あげくのはてには、岩の上からも突き出している。
生きている他の木に抱きつくように着生しているものもある。
1本の屋久杉に19種類もの他の植物が着生しているという、
「大家さん」状態の例もあるそうだ。

数人がかりで腕を伸ばしても抱えきれないような大木が、
さらに何本も絡まりあっている様を想像してほしい。

まっすぐ立っている他の木を網タイツのような根で締め上げ、
養分と水分を奪いながら生きている木を想像してほしい。

台風でなぎ倒された大木の上からさらに何本も木が生え、
いったいどこからどこまでが元の倒れた木なのか、
離れて眺めてみないと分からない様子を想像してみてほしい。

圧巻、だった。

「なんで岩から木が生えられるか不思議でしょう?
屋久島は水分量が豊富なので、
岩の上をふわふわの苔が覆います。
柔らかい絨毯のようです。
そこから水分を得ているんですね。
屋久島の木の切り株を見ると、
年輪がとても細かいです。
年輪が細かいということは、
1年に成長する度合が少ないということです。
その代わり、屋久島の木々は非常に長生きなんですね。
何千年なんて平気で生きる。
だから、成長は遅くても縄文杉のような巨木が存在するんです。
質素で長生き。
それが屋久島の木々です。
縄文杉は有名になってしまいましたが、
人が踏み込んでいない山の中には、
もっと大きな木がいっぱいありますよ」

ガイドさんがそう話してくれた。

時には他の生命まで奪って生きている森。
その森が、何故あんなにも清浄なのか。
その森が、何故あんなにも人を癒すのか。


話は少し飛ぶが、
屋久島から帰ってきて数日後に、
テレビで「平成狸合戦ぽんぽこ」という、
スタジオジブリのアニメ映画が放送されていた。
私はそれをなんの気なしに見ていた。
他事をやりながらであったし、
片手間に見ていたといってもいいだろう。
けれども、ある場面が目に入った瞬間、
私はまるで条件反射のように大粒の涙を流していた。
泣いていることに自分がびっくりした。
ストーリーに身を入れていたわけではないので、
その場面にのみ、その瞬間に、
衝撃的に心を打たれたと言える。

それは、タヌキたちが力を合わせて妖術をしかける場面。
タヌキたちが気合を入れると、
いくつもの木の芽が勢い良く空に向かい、
みるみる大樹となって森を作った。

そういえば、と思い出す。
同じくスタジオジブリの「となりのトトロ」でもそうだったのだ。

主人公のさつきと妹のメイとトトロと小トトロたちが、
小さな畑を回りながら一生懸命お祈りをし、
やがて小さな木の芽がぽこっと出る。
小さな木の芽たちはみんなの楽しげな気合とともにぐんぐん大きくなり、
みるみるうちに天まで届く大樹となる。
その伸びやかな勢いにつられるように、
何度見てもそのシーンでボロボロ涙がこぼれてしまうのだ。

圧倒されるからだ。
迷いのない純粋な生命力に。

もっともっと伸びたい。
もっともっと生きたい。

その姿に原始の圧倒的な生命力を感じるのだ。

そしてかつては人間もそれを持っていたことを思い、
現在それを失くして苦しむ人を思う。
そうすると感動を凌駕して、
とても切なくなる。

「そうだよね。それでいいんだよね」

私は木に向かって、
泣きながらつぶやいている。

暴力的なまでの生命力。
屋久島にあるのもそれだった。


さて、
白谷雲水峡を散策したその日の夜、
私は屋久島とは全然関係のないことで少し落ち込んでいた。
ささいではあるがモヤモヤと胸にひっかかる問題があり、
わりとくよくよした気持ちで床についた。
考えても良い答えは出ない、
でも考えずにはいられない・・・、
もんもんしているうちに、
いつのまにか寝入ってしまった。

何時間たっただろうか。
私は半分だけ目が覚めた。
夢現つの状態。
意識の半分はいまだ眠りの中で、
半分は目覚めて思考していた。

そのとき突然まぶたの奥に、
ふたつの場面が立ち現われた。

信じられないほど鮮やかに。
目の前で今それを見ているかのように。

ひとつは水が流れている場面。
森を歩いているとよく足元を流れている限りなく透明な水。
すべすべした黒い石が底に見える。

もうひとつは辺り一面を苔に覆われた森の中の場面。
苔というと、じめじめして陰気なイメージに思われることも多いが、
屋久島の森の中は苔が非常に美しい。
水分を豊富に含み、
木漏れ日があたってキラキラと深遠な緑だ。

私が見た場面は「苔の惑星」とでも言いたいくらい、
地面も大きな岩々も全て苔に覆われている。
そこを仲間たちと探検しているのだ。

どちらも、昼間、白谷雲水峡で見た景色に似てはいるが、
実際には見ていない場面だった。
きっと私の脳が実際見たものを加工処理して、
新しい場面を生み出したのだろう。

見たいと思えば、何度も何度も鮮やかに浮かんできた。
映画を巻き戻すように。

寝ている方の頭で、このふたつの場面を感じながら、
起きている方の頭は、寝入りばな考えていた悩み事を再び思い出していた。

そして、思った。

「ま、たいしたことじゃないか」

ぼんやりと「水に流す」ってこういう感じかなぁと思った。

事実は消えない、
特段の解決策もない、
だけどもう気にならない。

「たぶん大丈夫だ。なんとかなる」という根拠のない安心感。

正面から問題を見据えるための新しい力。

それらがいつのまにか自分の中に生まれているのを、
起きている方の頭が、
驚愕と感動とともに認識した。

正直言って実際に森を歩いているときには、
圧倒されはしたものの、
そこまで大きな衝撃を受けたわけではなかったのだ。
人生が変わるような衝撃を受けたわけではなかった。

しかし私は、東京に帰ってきてからも、
そうしようと思えばすぐに、
あのふたつの場面を、
あの時と同じ鮮やかさで心に蘇えらせることができる。

白谷雲水峡という場所の一部を、
私はもらったのだ。
あの景色の一部が、
私の一部となったのだ。

そして、水の流れる音を聞く。
私が東京で仕事をしているときも、
イヤなことがあって落ち込んでいるときも、
屋久島の森の中では絶えることなく水が流れ続けている。

いったんその場所を心にもらった私は、
いつでもその水の流れに自分の感情を流すことができる。

「ま、たいしたことじゃないか」と。

水が流れている、というのはそれだけで尊い感じがする。

人間の場合も「泣き喚ける」ことは心にとっては救いであって、
本当に危機的に落ち込んでいる人は、
むしろボーッとしているから。

水の流れは、
この世界の万物の流転をイメージさせる。

雨が降り、
山を潤し、
川の流れとなって、
海に帰り、
また空へ昇る・・・

その繰り返しは世界が生きる基本である。

生きている動物には血が巡っていること、
木が根を張り巡らせて水を吸い上げること、
全ての生命が死に向かって生きてまた産まれること、
そして人間が泣けること・・・、

流れていること・動いていることは、
生きていることと同義に感じる。

もしかしたら森は悩み多き人にとって、
とっておきの相談者かもしれない。

木々は圧倒的な生命力で「それどころじゃないよ!」と怒鳴り、
水はサラサラ流れて「たいしたことじゃないんじゃない?」と涼しい顔をする。

人の言うことには耳を貸せなくても、
木と水の言うことなら素直に聞けるのだ。

=====DEAR読者のみなさま=====


今年もまた屋久島に行くことができました。
しかし、1度や2度行ったくらいでは、
なかなかその懐の深さを味わい尽くすことはできません。
来年もまた行きたいなあと考えています。

さて、次回からは何回かに渡って、
山尾三省さんについて書きたいと思います。

山尾三省さんは屋久島とともに生涯をすごした詩人です。

その言葉を体に取り入れることと、
屋久島の空気を吸うことは、
まるで同義のようです。

屋久島の木々や水や空気が持つ清浄さが、
山尾さんの言葉には宿っています。
仙人みたい。

著書も多数で1回では書ききれないため、
テーマを分けて山尾さんの言葉や考え方に触れていきたいと思います。

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※これは20代の頃に発信したメールマガジンですが、noteにて再発行させていただきたく、UPしています。

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