シェアハウス暮らしと新型コロナで問われる「距離」
私は、2018年から今年2020年3月まで2年間、板橋の大山にあるシェアハウスに住んでいました。
この記事は内田勉さん主催のブログリレー「 #新型コロナ時代のシェアハウス 」の19日目の記事です。
https://d-t-v.com/pages/blogrelay-covid19
シェアハウスに住んで出るまで、シェアハウスについて書く機会がなかったので、この機会に書きたいと思い、今回参加させていただきました。
■業者管理のシェアハウスに住んでみた
今回のリレーブログはコンセプトやコミュニティ色が強いシェアハウスに住んでいる方が多いように感じました。自分の場合は、不動産管理業者の物件であり、まったく知り合いもいなくてコンセプトがあるわけでない、単純に「住むため」のシェアハウスに住んでいました。もともとは自分と友人でシェアハウスを立ち上げようと思っていたものの、物件契約が部屋の更新期限に間に合わなかったからと、職場が池袋で地域に関わる仕事をしていたので、池袋まで自転車で10分の立地と設備で選んだのが大きな理由なのですが。。
知人の住むいくつかのシェアハウスに出入りしたり短期的に住んだことはあったものの、「まったく共通項のない他人と住めるのか」を実験してみようという気持ちでした。
私の住んでいたシェアハウスは、元工場をリノベーションした建物で、天井が高く、リビングとキッチンが40畳と広いので、池袋から自転車で10分という立地や設備の割に安い、お得な物件だったと思います。もともと複数のシェアハウスを個人会社で運営していた人が自己破産して、不動産管理会社に引き継がれた形だそうです。
もともとの運営会社の人は、ルーズであるもののよく住人とコミュニケーションを取っていたようですが、新しい管理会社では途中から変わった担当があまり仕事をせず、深刻なトラブルが起きてもまともに対応をしないなど頼りなかったため、共用部の備品の発注など最低限以上はみんなあてにしていませんでした。そういう事情ゆえに実際は住人の自治で成り立っている部分が大きかったです。
実際入ってみたら、ほとんどの住人とはFacebookで共通の知人が存在しない程度にはまったくコミュニティは被っていませんでした。入居している弁護士さんが人権弁護士で、少し界隈が近かったくらい。
IT会社の営業、事務、窓口勤務、気象庁公務員、雑誌編集者、ショップ店員、UBER EAT、バーテンダー、ディズニーランド職員、女子プロレスラー、ホスト、タクシー運転手、お笑い芸人など、かなりバラエティ豊かな職業の人が集まっていたと思います。
シェアハウスのメンバーは住んでる期間が最低でも半年以上で数年住んでいる人も多く、仲が良いと事前に聞いていたので、馴染めるかうまく距離を取れるか内心不安でしたが、生活時間帯が人によって違うので、基本はみんな独立した生活をしていました。自分と全く持っている前提が違う人の暮らしを知れたのが面白かったです。
よくリビングにいる人が話しかけてくれて、それからは夜にみんなで映画を見たり、たまに夜中にお酒を飲みながら話したりもしていました。それぞれに個室のあるシェアハウスで、私は夜に自室で仕事をしていたので部屋に戻ることが多かったのですが、「家で仕事している人」として認識されていた分、無理やり引き止められることもなかったのはあります。
私は働きすぎる人やアクティブに人と交流し飛び回る人が多い環境で過ごしてきたので、感覚が麻痺していた部分があり、仕事にせよ人間関係や趣味にせよ、もっといろんな暮らし方があるんだと改めて実感しました。
私は性暴力をはじめとし、社会問題について考える機会の多い仕事や活動をしていますが、仕事の話はときどきしかしませんでした。もともと共通認識があって集まった場でないがゆえに、たまに話すと持っている関心や前提が違うので感覚が共有しにくかったり、話がうまく通じないときもありました。一緒に住むと面倒なことや合わない部分や考えの違いはやはり見えてきます。シェアハウスのLINEで生活の注意が流れるたびに不安になったりもしました。共通項もない人が住んでいるが故に、合わない人はしがらみもなく比較的早く出ていくのだと思います。
それでも一緒にいる時間が長いと愛着が生まれてきたり、その人の良さが見えて来るのが面白いと思いました。仕事中心の人間関係や話題から離れることもできましたし、ごくたまに真面目な話をするときも「よくわからない誰か」ではなく、一緒に暮らしている人だから耳を傾けてもらえる話もあると思いました。
■シェアハウス暮らしの終わりとコロナで問われる「距離」
シェアハウス暮らしは気に入っていたのですが、大阪に単身赴任をしていた結婚しているパートナーが、東京に急遽帰ってくることになり、パートナーの強い希望により、2人暮らしをすることになりました。
ちょうどコロナが本格的になるのと同じくらいのタイミングでした。緊急事態宣言を受けて、シェアハウスでは、管理会社から共用部の使用を禁止されてダイニングテーブルが撤去されたりしたようです。自粛で在宅勤務になったり、お店が閉じたりしている人もいて家にいる人が多かったみたいで、今までのようにみんなで映画を見たりお酒を飲んだりはしていたようです。
結果的には私はこの時期にシェアハウスを出て2人暮らしに移行したことは良かったと思います。
それは私は新型コロナウィルスに感染してはいけない事情があったからです。
前提として、私は「自粛」を求められることにはずっと強い抵抗感を感じています。補償もされていないのに行動を制限され、民間の善意に丸投げすることに対して、ポジティブに「ステイホーム」と言って素直に乗る気持ちにはとてもなれません。それにおとなしく従って「成功した」なんて例にはされたくないと思います。
しかし、それでも「自粛」やリスク管理をできる限りしなければならない事情がありました。
自分は、みらい館大明という廃校小学校を使った生涯学習施設内にある、みらい館大明ブックカフェという若者支援スペースで働いています。ここの建物は、とても微妙なバランスで運営されています。豊島区から「暫定利用」として借りている建物を、地域のNPOが教室貸し出しの利益で自主運営している場所です。自主運営といえどある程度は区の判断に合わせる必要があり閉館していましたが、雇用を維持しているため、税金で運営が賄われている他の施設と違って閉館が続けば運営できなくなります。
高齢者も多く利用する施設でもあり、暫定利用という状態であるがために、ミーティングでは「感染者が一人でも出たら9割方大明は二度と利用できなくなる」と言われています。
「感染を起こさないだけでなく、スタッフ全員絶対に感染しないように」「病気の家族や高齢者の母がいるから感染するわけにはいかない」深刻な話が共有され、感染リスクを減らす対策を厳しく行っています。
このような状況なので、消毒や人との接触などを自分で管理しやすく、孤独も感じにくい二人暮らしに移行して、結果的に良かったと思います。シェアハウスに住んでいる人の多くは、感染リスクよりもつながりを重視する人が多いと思います。共同生活を志向する人は、自分自身もですが、基本的に生活に大雑把なところのある人が多いでしょう。しかし業者管理のシェアハウスだと、感染対策に不満を感じる人がいる場合、管理側に伝えれば管理体制が強くなるでしょう。柔軟な対応が難しく、対応しても対応しなくてもかえって分断が生まれてしまうかもしれません。他の人の行動を制限するわけにもいきませんし、この不安感を理解してもらうのは難しかったと思います。
もともとPTSDを抱えてひきこもりだった期間が長かった自分は、耐性があるため自粛生活自体はまったく辛くありません。むしろ、自分が「外に出たくても出られない状況」の苦しさを訴えてもあまり理解されなかったのに、「自粛がつらい」と言っている人が多いことや、コロナに感染して死ぬことだけが特別扱いされ、それらに様々な対策が講じられることに、羨ましさと悔しさも感じたりもします。「それまで追い込まれてきた人や死んできた人は、ずっと置き去りだったのに。」と。
そして、「自粛で人に会えないことがつらい人」「経済的に追い込まれている人」「DVや虐待を受けている人」など、新型コロナウィルス渦での困難さの種類や切実さが人によって違いすぎるがために、分断が生まれ、苦しい思いをする人が増えていると感じます。
自分自身は収入が大幅に減っており、また、自分が感染することで、自分の職場であり、「居場所」として機能している場がなくなってしまうかもしれない状態です。自分にとってはそれが大事な「つながり」のひとつが絶たれる状態になるのです。個人の権利の問題でもあるので、「自粛警察」は問題だと感じますし、人の行動を制限することは基本的にしません。しかし、「早く収束してほしい」と自粛や対策をすることや、感染対策がされてないことを不安に思う気持ちを「そんなに死にたくないのか」「そんなに気にしなくていいじゃん」と言われることは苦しく感じます。状況の違いで心の距離が離れてしまうことがあります。
人間関係においては適切な距離が必要です。新型コロナウィルスの影響で、物理的に距離感の調整が難しくなり、精神的な距離もまた近すぎたり遠すぎたり、適切に保てなくなりがちです。
「新型コロナ時代」では今まで置き去りにされてきたこと、そして置き去りにしてきたことに改めて向き合わされているのではないかと思っています。だからこそ、これから「居場所」や「つながり」を考えるときは、きっとただ単純に物理的に近い距離で「一緒にいる」かどうかだけでなく、それぞれの望む「距離」を考えるために「素直な気持ちを共有すること」「自分と違う立場の人がいることを考えること」が必要なのだと思っています。私も情勢が落ち着いたら、池袋近辺で場を開きたいと考えています。そのときどきで、自分や相手にとって心地の良い人との距離を考えていきたいと思います。