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自分であるだけでOKなんじゃない?(レンタルリバたんをレンタルしてみて気づいたこと)

みなさんは、レンタルおじさんって知ってますか?
おじさんをレンタルできるっていうアレです(説明になってない)

私は、この概念に、結構衝撃を受けたというか。
だって、『存在そのもの』 それが仕事になってるんだもん!!!

いやぁ、マジでびっくりした。
だって、今までの概念でいうお金を貰うことって、時間を切り売りして何か労働したりとか、勉強したりして何か技術を得て、その技術を提供することによって得られるとか、つまり、私たちは何か「お金をもらえる意味や理由」がないと、お金を貰っちゃいけないって、どこか思い込んでるじゃない?

彼は、違うんです。
彼という存在に対して、お支払いをするのです。

レンタル内容は結構なんでもよくて、思いついたものを相談でOK。お支払いは、「お気持ち」で、あげたいものをあげたいだけあげるって感じ。気持ちだから。

私は「素晴らしいサービスを提供したから、上手な歌を歌ったから、人の役に立って初めて、私って存在して良い!」って思いがちだった。逆をいうと、うまくできなかったら、存在しちゃいけないんだって、ずっと自分をうまくやろうとしてきた。その自分が自分に与えるプレッシャーが辛かった。

彼は、コミュニケーションのプロでイベンターとしても最高に有能だし、クリエイティヴな面もあって、フライヤーのデザインのお仕事とかも素晴らしい作品を作るし、価値を提供する「理由や技術」もあるんだけど、ちゃんと人間臭くて完璧じゃないところももちろんあって、色々あっても、ぜ〜〜〜んぶひっくるめて、OKって感じでレンタルリバたんしてるのが良いなって思った(伝われ)

彼がいる空間って、彼がいるだけで楽しい。なんだかアロマディフューザーみたいに楽しさを漂わせてるんだと思う。

あ、これが「与えない循環」なんだなって思った。

与えようとしなくていい。存在がすでに与えてる。
自分が何か「足りてない存在」だから、与えなきゃいけないんだって思い込んでいる人は多い!!!けど、、

良いの。あなたはあなたのままで与えちゃってるから。
何もしなくて良いの。
もちろん、何かしても良い。
好き勝手にやれば良い。

存在しているだけで、素晴らしいんだ。
欠けている、そんな風に思えるところですら、美しい。

そう自分に思えた時、私の中で、何かがパッカーンとなって、自分ってそもそも素晴らしいやんけ!!!それ忘れとっただけやんけ!!!ってなって、そこから私のパフォーマンスも劇的に良くなった。
だって、素晴らしい私が何やったって素晴らしいだもん。

裁縫が出来るあなたが素晴らしいのではなく、素晴らしいあなたが作る裁縫が素晴らしいのです。そして、それを誰かに与えようが与えまいが、既にこの世界にめちゃくちゃ貢献してるわけ。あなたという存在そのものが。

みんなそもそも自分をレンタルしてるのねって。
それを可視化してくれてるのが、レンタルリバたんなんだと思う。
実はみんな存在そのものを提供していたんだ!ということに気づかせてくれるのよね。

だから、みんな自分であるだけでOKなのよ。

きっと自分がいるだけでOKって自分に許可できた時に、肩の力が抜けて、いろいろなことが楽しくなっていくんだと思う。

まあ、とりあえず、リバたんに会ってみな?
飛ぶぞ?


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