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ヴァイオリン:藤田有希さん①
有希さんと私
有希さんに初めて会ったのは私がシベリウス音楽院に留学した2013年だった。
私の国立音大時代は弦の学生と関わることはほとんどなくて、特に私が専攻してたユーフォニアムはオーケストラに乗ることもほぼない楽器なので、ヴァイオリン奏者なんて私なんかとは一切ご縁がないと思っていた。
音楽院に入って間もない10月頃、当時仲良くしていた友人に誘われて一緒に飲みに行ったことが、確か初めましてだったと思う。
その時は確か連絡先を交換して…くらいの感じだったんだけど、その半年後何の前触れもなく彼女に突然飲みに行こうと呼び出されたのである。
高校を卒業してすぐにフィンランドに来た彼女は同年代だけど大先輩。
何だ何だと思いながら向かったKamppiのバーは今も健在で、あの脇を通ると今でもあの夜を思い出す。
こんなにいい友人に出会えて、本当に私は幸せだと思っている。
今回はそんなヴァイオリニスト藤田有希さんにインタヴューしました。
このプロジェクトを始めるにあたって、日頃から仲良くしていただいてる人からこのプロジェクトを始めたくて相談したところ、快く引き受けてくれました。
すごくいっぱい話してくれて(トータル1時間ちょっと)笑、有希さんの楽器を始めた頃から今に至るまでの半生を数回に分けて掲載します。
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ヴァイオリンとの出会い
「楽器を始めたきっかけは…覚えてないけど、一歳半くらいの時にはもうヴァイオリンに興味を持っていたらしいの。本当に覚えてないけど。
私の母は東麻布にあったミュージックレストラン「フロイデ」っていうところで歌っていた人なんだけど、私が生まれるギリギリまでそこで働いてオペラとかシャンソンとかを歌っていて、私はそこで育ったというかお腹の中にいる時から生まれてからもお世話になっていてね。
お店に連れて行ってもらって、隅っこに座っていた記憶がすごいあるの。
そこのレストランでアコーディオンとヴァイオリンとピアノのトリオでずっと演奏していて、そこに母や歌手の人がたまに入って歌って、たまにお客さんで歌いたい人がいたらステージに立って、大きいカーテンみたいな分厚い模造紙の歌詞カードをめくっていて…味があって大好きだったな。
今そのレストランはもうないんだけど、そんな環境で育ったって感じ。
だからヴァイオリンっていうのは身近な楽器だったっていうのがあった上で、一歳半で初めて行った東京ディズニーランドの「ミッキーマウスレヴュー」っていう屋内ショー(今はもうないけれど)で、ミッキーがオーケストラを指揮して色んなキャラクターが色んなメロディーを演奏するっていうショーがあってね。
そこで大好きなミニーちゃんが、父がいつも子守唄で歌ってくれていた「星に願いを」の冒頭4小節をヴァイオリンで弾いていて、他にも色々キャラクターが出てきて色んな曲を演奏したんだけど、その4小節だけミニーちゃんにバンってスポットライトが当たるの。
そのあとのメロディーはファゴットか何かが繋ぐんだけど、その4小節だけでもう「あの楽器!ミニーちゃんと同じあの楽器やる!!」って言ってきかなかったんだって。
その日、何回も何回も同じショーを観て「あの楽器!」と言い続けて、家に帰っても長い棒とピコピコハンマーを顎に挟んで弾いてる真似をして、それを毎日朝も昼も夜もやるもんだから、「音楽をやるなら本物の楽器を与えたい」と思っていた両親が楽器屋さんで楽器を買ってくれたの。
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そこからそのまま鈴木メソッド入って…本当に?!って思うけど、たまたま鈴木メソッドのチラシがあったんだって。笑
で、始めて2〜3ヶ月後の2歳の時に発表会出させてもらって。
普通は一年くらい弾かないと出させてもらえないんだけど、補助付きだけど弾けるようになったしって言って出させてもらって、ソロパートももらっちゃって…笑
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っていうのが、きっかけかな?」
3歳で著名な先生の生徒に
「3歳過ぎたくらいでミュージックレストランにいた一人に鈴木メソッド反対派の人がいたの。『あれは耳コピするだけ。楽譜が入ってこないのは音楽をやる人としてはどうなんだろう』っていう音楽家もいてね。
『そんなのいいから好きにやれよ〜』って言ってたのが、指揮者の山本直純さんで、私のことをすごくプッシュしてくれたの。
それで『紹介してやるよ〜、ヴァイオリニスト!』と言って、それで来てくれたヴァイオリニストが「2歳半〜3歳の子は流石に見たことがないから、自分の師匠に相談してどういう風にレッスンする聞いてみる!」って。
で、聞いた結果、その師匠が「2歳でヴァイオリンって…レッスンって何だ?!」みたいな。『「音出せるんだったら聴いてみたい」って師匠が言っているので、ちょっと行ってみてもらえませんか』って言われて行ったのが原田幸一郎先生で、そのまま「今日から僕がみる」って。
そこから高校卒業するまで原田先生にずっとお世話になりました。
最初、母は原田先生のことや東京カルテットとか全然知らないままレッスン始まっちゃって、後から原田先生にお世話になることになったっていう話を直純さん達にしたら『えっ!いきなり?!』ってすごく驚かれたんだって。笑
当時ネット検索とかできないから『そんなにすごい人なの?!』って母もびっくりして、後からCDショップとか行ったら原田先生とか東京カルテットのコーナーがあるくらいだからさらに驚いて、『そんな生半可な気持ちじゃやばいじゃん…!ちゃんとやらせなきゃ』って思ったんだって。
レッスン代も3歳といえど高かったし、まだそんなに音出てなくて「ちょうちょ」とか弾いてる段階なのに母が必死になった。笑」
幼稚園生で園歌を耳コピ
他の楽器もできるの?と聞いたところ、これまたなかなか面白い話をしてくれました。
「ピアノはねぇ、幼稚園くらいの頃から好きで…でも練習したことないんだよね。
幼稚園の先生が弾くのを聞いて耳コピして『先生より上手に弾ける!』って思ってた(本人大爆笑)。
嫌な幼稚園児だったんだよ、先生より上手に弾けるってずっと思ってたの。
幼稚園のピアノで練習して…で、そのうち幼稚園の園歌を弾けるようになって。
しかも先生が和音の1度と5度しか弾けない先生だったから「もうちょっとこういう音入れたらカッコよくなるのに」とか言って弾いてて、それを見て驚いた当時の担任の先生が園長呼んできて、それに気づいたら「ねえねえ聞いて聞いて!」って言ってその場で園歌全部弾いたの。笑
それからもピアノは好きでやってたんだけどね、母が「ヴァイオリンとの両立は無理。」って言ってね。
母は自分がピアノを教えると言っていたけれど、どっちかというとピアノを弾く時間をヴァイオリンに充ててほしかったみたいだから、母がスーパー行っている間とかに隠れて弾いてた。
でもそのおかげで中学の合唱コンクールとか卒業式では伴奏も弾いたよ。」
最初にピアノのレッスンに行ったのは、桐朋女子高等学校音楽科に入った後の副科ピアノからだそう。
「私、譜面読めなかったのね、高校2年生くらいまで。
全部耳コピして弾いてたの。
ショパンの幻想即興曲とか耳コピで弾いてた。
結構この話するんだけど:
副科ピアノの先生にね「この最初の音はこういうサウンドでね…」って言われた時に、gisから始まるのに「ああ、なるほどね、先生のasの音好きだわぁ」っていうテンションで話をしたら「ううん、これはgisだね、asじゃないね…」っていうわけ。「えええ?!シャープなの?!?!」ってその場で知るっていうね。「この曲シャープだったの?!」って…。
でしかも、その時耳コピしたCDで使われていた譜面が従来みんなが見てる譜面じゃなくて、アーティキュレーションがちょっと違うものだったんだけど、もちろんレッスンに持って行ったのは従来の譜面なわけで…。
「何が起きてるの?ここ段、違うよ?」って言われても、「段とは…?」って話が食い違うの。耳コピして弾いてるから。
楽譜に書いてあるアーティキュレーションで先生が弾いてくれても「えええ、でもあのピアニストはそんな風に弾いてなかった〜」みたいな…そういう問題じゃない!って今なら思うんだけどね。
「楽譜をちゃんと見なさい!」って言われたのが、その時初めて。
あのピアノの先生がいなかったら、未だに楽譜を読めていないかもしれない。」
トランペットも耳コピ
「トランペットを小学3年生から中学3年までやっていたんだけど、趣味でね。音色とかあんまり気にしないで、マイスタージンガーとか吹いてた。
だってさ、ヴァイオリンってさ、フォルテッシモでも力込めて爆音で弾けないじゃない?だけどトランペットってバーーーー!!って吹けるじゃない。
それが好きでさ、「うわあ、こんなに大きい音出る!」っていうのが嬉しくて、中3までやってた。
で、それも耳コピで吹いてたから、指揮者に「〇〇からやります」って言われてもどこかわかんないから、周りの子に「え、ちょっとその辺りのフレーズ吹いてみて」って言って、みんなが吹いたら「ああ、そこね。はーい」って言ってやるくらい楽譜読めなかった。
B管の楽譜だろうが、耳コピしてるから関係ないわけよ。笑
トランペットの講師の先生が来てくれた時に譜面全部通して吹いてくれて、印ちょっとだけつけて、「これは覚えとかなきゃ、うん、はい、OKです、ありがとうございましたー!」ってやってた。
私はいつの時代も嫌な生徒だったよ…(本人大爆笑)。」
あとがき
有希さん、興味深いお話をありがとう!
すごい人だと思っていたけど、幼少期からのお話を聞いてびっくりしました。
ヴァイオリンを手にしたことも、耳コピの話も
運命という言葉はここまで合う演奏家がいるだろうか。
仲が良くてもここまで話す機会ってあまりないと思うので、改めて今回のプロジェクトは貴重なものになると確信が持てました。
次回のお話はプロになろうと思った瞬間、そしてフィンランドへです。
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有希さんのSNS
有希さんのブログの留学初期のお話は腹抱えて笑えるほど面白いので、ぜひ読んでみてください。
次回もお楽しみに!