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フルート:本田歌音①
歌音ちゃんと私
あれは2020年の夏休み。
8月に入って学校や職場に皆んなが戻りだす頃。
当時やっていたTwitterに目を引く記事があがってきた。
「フィンランドに行ったうちの娘がトマトしか食べてないって言ってる!」
そう、今回の記事の主役、本田歌音ちゃんのお母さまの記事だった。
心配になった私はそのままお母さまにダイレクトメッセージをし、次の日歌音ちゃんをヘルシンキの駅前にあるちょっといいハンバーガーショップに連れて行った。
それから数年、今はシベリウス音楽院の大学院で勉強している歌音ちゃんにインタヴューしました。
今のシベリウス音楽院の貴重な話が聞けたので、もし受験を考えている方がいたらぜひ参考にして欲しいと思います。
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美味しいんだよね、また行こうね!
楽器を始めたきっかけ
「父はクラリネットを吹いていて、本当は音大に行きたかったけど行けなかった人です。
当時はそういう時代だったのか、音楽ではなくて普通の勉強をするように言われて、音大は諦めたけど音楽オタクのようになって、音楽に関することを何でも知っています。一聞いたら百で返ってくるくらい音楽に詳しい、そんな父と笛吹きの母の間に生まれました。
母は録音の仕事をしていた人で、フルートも吹くし、リコーダーも吹くし、篠笛なんかも吹くような本当の「笛吹き」で、実家には民族楽器もいっぱいあります。
そんな家でオカリナを齧りながら成長したのが私です。
赤ちゃんの胎教にモーツァルトじゃなくて、がっつり現代曲のメシアンの「トゥーランガリラ」だったんですよ。
それくらいクラシック音楽はすごく身近なものだったから「私もいつか楽器をやらねばいかんのだろう」って思っていました。
母としては「フルートとクラリネットと、ハープがいたらトリオができるじゃない!」という思惑で私にハープをやって欲しかったみたいですが、3ー4歳の時に銀座の十字屋さん(銀座にあるハープ専門店)でハープとフルートのコンサートがあるから実際にハープを見せてみようと連れていったら「私はキラキラのアレがいい」といってフルートを選んでしまいました。
母は「いつも聴いている音もするし、『あの大きい楽器は何だろう?』ってなるかな」と思って連れていってくれたんですが、そうはなりませんでしたね。
ちゃんとフルートを始めたのは4ー5歳の時で、ちょうどU字の頭部管が出た頃だったんですけど、少し重いので母が試しで自分の生徒に使ってみたくて、早生まれで体が小さかった私はその実験台になりました。
生徒さんに貸し出すのもあったんですけど、どれくらい小さい頃から吹けるんだろうって気になったみたいですね。
「やってみる?」って聞かれてそれで本格的に始めました。
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よく中学高校で会うフルートの人たちはピアノから始めてフルートに転向した人が多いので、誰かのピアノ伴奏したり副科ピアノを取っている人が多いイメージでした。
が、私はフルートから始めたので、楽譜も平仮名で「どれみふぁそ」って書いてくれた紙を読んでいました。
なので、その後楽譜というものをもらって、ト音記号とヘ音記号見ても「ふーん」くらいにしか思わなくて、どっちが私の吹くものなのかわかっていないくらいでした。
今も楽譜を目で追うのが大変で、初見とかも未だに難しいです。
シベリウス音楽院に入ってお世話になったペトリ・アランコ先生に「今吹いているところじゃなくて、2小節先を見て吹きなさい」と言われたんですが、読んでいるところを吹くのが精一杯で頭がゴチャゴチャになります。笑」
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何とも幼少期から面白い経歴を持っている歌音ちゃん。
ご実家のお父さまのスコアやCDコレクションはすごい量らしく、さらに来日する指揮者の先生のサインをもらい直接お話をするために、その指揮者の母国語をその度勉強している間に色んな言葉を理解できるようになられたのだとか!
そしてその影響でお母さまもドイツ語ができるようになったようです。
すごすぎる、本田家!
バレエと音楽
「元々、私は3歳からクラシックバレエをやっていて、本当はバレリーナになりたかったんです。でも膝を故障してしまって、バレエを踊れなくなってしまいました。
中2か中3くらいまでバレリーナになるために頑張っていたし、何ならワガノワメソッドでバレエ留学もしたかったんですができなくなってしまったので、何か別なことを探さなきゃいけないなって思った時に並行してやってきたフルートを見て「じゃあ、こっちかな」と思いました。
学校でも体育以外の勉強はあまり好きじゃなかったし、「よし、じゃあフルート頑張ろう」って本腰を入れることにしたんです。
中学は東邦音楽大学附属の音楽中学校に行っていました。
当時バレエは週に3ー4日通っていて、並行してやっていたフルートの練習時間を稼ぐために「音中に行けば、学校で吹くよね!」って思って進学しました。
で、ちょうどバレエを辞めたのと同じくらいと時に、全日本学生音楽コンクールの東京大会で1位を取って「これがリセットの時期かな」と…。
人生初めての挫折ってやつですかね。
でも当時の東京大会は激戦だったので、これで残れたのならフルートで頑張るのもいいのかなぁって思いました。
でも子供の頃から「踊って吹ける人」になりたかったんです。小学校との時に将来の夢を絵に描きましょうって言われて、トゥシューズを履いてフルートを吹いている人の絵を描いていました。いつかどっちかに決めなきゃいけない時期が来るだろうなって何となくは思っていたけど、できることなら両方やりたかったし、どっちもちゃんとやりたかった。
それくらいどっちも大事だったからこそ、バレエを辞めてフルート一本にするってなった時、あまり悲観な気持ちになることなくフルートを選ぶことができました。
と言っても、よくフルート奏者同士で「あのフルーティストいいよね」って話になるんですけど、正直あまり聴かないんでわからないんですよね。どちらかと言えばオーケストラを聴く方が好きです。
特にバレエ音楽を聴くと「きっと振り付けはこうするんだろうなあ」とか今もよく想像しています。」
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フィンランドに来た理由
「学校はお世話になりたい先生で選びました。
高校が東京音楽大学付属の音楽高校だったんですが、高校から大学に上がる時に色々あって、考えた末に「そのまま大学に行きたくないな」って思ったんです。高校在学中からコンクールとかで賞をいただいていたんですが、それゆえに学校行事などにあまり参加できなかったし、他の生徒と足並みを揃えることも難しくて…その他にも色々と思うことがあったので、他の大学に進学しようと決めました。
ただ当時音高で就いていた先生が日本で一番習いたかった先生だったことと、もう一人いらっしゃったフルートの先生が「歌音ちゃんは絶対外に出た方がいい」と後押ししてくださったことと、自分の気持ちと状況の間でどうしようかと考えていた時にプライベートレッスンで通っていた小山裕幾先生(フィンランド放送響)のところに行こうかな…って思いました。
高校3年生の10月に小山先生の公開レッスンを受けて、その時に「小山先生、どこかで教えていらっしゃいますか?もし教えていらっしゃるなら行きたいです!」って伺ったら、小山先生もちょうどシベリウス音楽院で教え始めた時期で「勉強したいならフルートの主任の先生に繋ぐよ」と言ってくださって、ペトリ・アランコ先生のお名前を初めて知りました。
しかも「ちょうどペトリがもうすぐ何十年かぶりに来日して、多分コンサートとか公開レッスンとか絶対やるからその時にみてもらえるか聞いてみるよ」って言ってくださって、本当に聞いてくださったんです。
そして一度プライベートレッスンでペトリに見てもらって「本当に受ける気があるなら(シベリウス音楽院の受験)においでよ!」って言ってくださったんです。その時に併せて「今の自分の実力のレベル」が世界基準で見たときにどうなのか知りたかったので伺いました。日本ではそこそこ吹けるレベルだって思っていたけど、世界基準で見たら今自分はどの辺にいるんだろう、井の中の蛙になりたくなかったし、視野を広く持っていたかったので。
そうしたらペトリは「すごくいいと思う。ちょうど高校を卒業する年齢だし、シベリウス音楽院の願書受付まであと一ヶ月あるから今から準備すれば大丈夫!」と言ってくださったんです。
で、願書を締め切りギリギリに出して、シベリウス音楽院を受験をすることになりました。
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今振り返ると一番の決め手は小山先生と、初めて教えてもらって演奏も聴いていい人だなって思ったペトリですね。
私は普段フルーティストであまり感動したりしないんですが、ペトリは本当にすごい人だなって思いました。
人柄もそうだし、私はそれこそ「音に人柄が出る」って思っていて、音楽がすごく心地よかったんです。
ペトリの音楽は「次はどうなるんだろう?」って考えさせてくれるし、ワクワクさせてくれる。
次は自分にないものを持っていそうだなと思える先生に就きたかったので、それがフィンランドにいる小山先生とペトリでした。」
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筆者も音楽院時代にペトリにものすごくお世話になりました。
当時ペトリは管楽器全体の主任をしていて、木管金管関わらず色んな生徒によくしてくれていました。
交換留学生の中にはあまり英語が得意ではなく、パニックになってしまう子もいるんですが、ペトリはいつも冷静沈着、解決策を導いてくれる先生でした。日本が大好きな先生です。
あとがき
ここまでは歌音ちゃんがシベリウス音楽院を目指すまでのお話を掲載しました。
次回は実際にシベリウス音楽院で学べることをお送りします。
どうぞお楽しみに!