ナイル川で沐浴
人が一生のうちに流す涙の量はおよそ65リットルだという。
エジプト人が“女神イシスの涙”と称えるナイル川。アフリカ大陸の内地から10カ国を通って南から流れ果ては北の地中海に流れ込む、世界で一番長い川。その水量は果たして何人分の涙の量にあたるのだろう。
カイロから南へ航路1時間足らずのラクソーまでやってきた。ホテルはナイル川沿いにある。カイロで砂漠の土埃を見慣れた目に、ナイル川の水はハッとするほど青い。宿の管理人に手配してもらい、ボートでナイル川を下る。船着場から30分ほど行くとちょっとした砂地の島があり、ボートをそこに停めてもらう。イスラム圏のエジプトでは女性が公共の場で肌を露出することはあり得ないタブーだ。現地の女性たちはみな足先まですっぽり隠れるゆったりした長袖の服で頭はすっぽりスカーフで覆っていて、黒づくめで目だけしか見えない女性の姿もあった。外国人の私達も、30度を超える気温でも腕と脚をカバーする日々が身に付いてきていた。その私たち女性9人がナイル川で泳ごうというのだから、人目につかない場所まで行く必要があった。
水着をスーツケースに入れ忘れてきた私は、エジプト入りしてすぐに水着を買おうと試みたがこの国で女性用水着は極めて入手困難だと気づき、ナイル川には服のまま入ることにした。その場に着くと、その方がずっと自然な感じがした。何より、川が迎え入れてくれている感覚があって静かで穏やかな嬉しさがふつふつと湧いてきた。この水に入りたい。砂地から一歩一歩ゆっくり水に入っていく。聖なる存在とつながる瞬間。水は予想よりもずっと冷たい。それでも、体を浸し感じたくて流れる水にゆっくり委ねていく。水は柔らかく、全身の細胞と会話しているように染みていく。そのまま頭まで浸る。周りは静かなのに私の内面の魂は賑やかに水と会話しているようなダンスしているような高揚感とも言える感覚を、私は夢中で味わっていた。忘れまいとするように、でも実は知っている懐かしい感覚が湧き上がってくるのをマインドでは処理できずにお手上げ状態でいるかのように、ただ水と共に、ナイルと共にいた。
どれほど時が経ったのか時間の感覚はなく、気づいたら砂地に上がっていた。陽は西に傾き夕暮れの燃えるようなオレンジに空気も風景も水も染まり、ただただもう本当に美しかった。語彙の限界と言葉やマインドのチッポケさに誰もが気づいたように呆然として皆な無言だった。ずぶ濡れで上がった体に砂漠の熱風がもうもうと吹き付け、濡れた体はすぐに乾いてしまった。
帰りのボートの中、浮かんでくる気持ちは感謝しかなかった。ここまで来られたという幸運に。聖なる水に、温かな大地に、母なる地球に。女神イシスの涙、これまで流された全ての私達の涙に。この涙を、私たちはみんな覚えてる。細胞と魂は覚えてる。涙は喜びの涙に変えることができる、と。