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愛道 第十二章

性は生、聖


Whatever she undertakes, she does so with confidence, without regression, submissiveness or a feeling of inferiority to a patriarchal system. The woman who has come to know the presence of the masculine power within is her own authority and stands constant to her feminine nature.
― Nancy Qualls-Corbett, The Sacred Prostitute: Eternal Aspect of the Feminine

(神殿にやってきた旅人を受け入れ交わるにあたって)神聖娼婦はその未知なる男性をあるがまま受け入れ、自信を持って交わいの儀を行い、尻込みすることも、奴隷のように従属することも、父権的で男尊女卑的だと劣等感を抱くこともありません。彼女は男性的な力の存在を自分の中で認識できており、自らの権威でその存在を認め、その上で自らの女性性というものに忠実であり続けます。
- ナンシー・クォールズ=コルベット 「神聖娼婦:女性性の永遠の側面」

目愛(まぐあい)

前章では、全身全霊で愛そうというお話をしました。愛することほど、自分を成長させ、真の自分自身に気づき、魂に近づくことはありません。愛は愛(マナ)びなのです。

この章では、その愛と切っても切り離せない性について見ていきましょう。人は、子供を作るためにセックスします。これは人だけでなく、動物や鳥、一部の魚類においても、交尾無くして子供は生まれません。ただ、生殖の目的なしでセックスするのは(イルカを除いて)人間だけです。

人間だけが、自らの快よさと悦びの為にセックスするわけです。なぜでしょう?それは、人はその悦びがエクスタシーとなり、エネルギーが生まれる、気の流れが生じる、そしてそれによって幸せ感を味わうことができるからです。

セックスは目合ひ(まぐあい)と書いて、目と目を合わせ愛情を通わせることという意味があります。つまり目愛い(まぐあい)なんですね。男性の射精という子作りのためだけになされるものではない、ということです。

それは私たち人間の、動物とは大きく異なる点で、私はこの違いが、人という生き物がこの地球上に存在する意味の一つとしてとても重要だと思っています。この地球上に人として生まれたからには、私たちには人間にしかできないことをする使命があると思うのです。

セックスレス夫婦が全体の7割を超え、結婚相手にトキメキを感じないと答える人が半分以上という統計結果(2024年2月)が出ています。https://president.jp/articles/-/78216?page=1

家族として、子供の親として、生活を共にしているが、男女として肌を触れ合わせる性的な関係性は持ちたくない、というカップルが日本では7割もいるということです。

それがいけないことでしょうか、問題なのでしょうかと聞かれることもあります。それに対して私はまず、あなたの心はそれで満たされていますか?とお尋ねしたのです。あなたは、幸せですか?

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