死は私達に平等に与えられている通過点
ここのところポッドキャストや動画を使っての発信が続いていたのですが、今日は久々のブログ、”書く”という媒体を使って表現してみようと思います。内面から出てくる言葉をゆっくり噛み砕いてから表に出す必要があるようです。
8月中盤というこの時節柄なのか、あるいはライオンズゲートだったからなのか。”死”がテーマです。
ここでも、キーワードは no-judgement。良いも悪いもない。それはいずれ必ず誰にも訪れる "死” に向ける目、姿勢においても言えること。
不治の病で余命数ヶ月と宣告されている友人がいます。金髪、ヘーゼルの瞳、眩しい笑顔が印象的なその容姿は、まさしく”天使のよう”で、美しい外見だけでなく、知的で裕福で、そして心優しいサラ。
容姿やステイタスやキャリアに恵まれていたサラ。でも、病で変わって行く姿、ステロイドの影響で10kg体重が増えた、脳の機能が変わって言葉がうまく出てこない、そんな姿を動画で見せることも気にしない。他人にどう思われるか、という意識を外したら私たちは新たな選択ができる、それを伝えたい、と。サラは、宣告されて以来、”死ぬことが恐いとはちっとも思わないのよ” といい、輪廻転成を信じていること、生きていることの素晴らしさ、思いをきちんと伝えることの大切さ、そして私たちは肉体ではない、ということ。そんな彼女が動画を通して見せる、自分の死を前向きに受け止める姿勢が多くの賞賛を得ています。
病にかかるまでは周りから、全てに恵まれているように思われていたサラですが、実は長年セラピストのもとに通っていたことを私は知っていました。病が発覚してから、ご主人と一緒にうちに遊びに来た時、サラは私に、”死を目前にしての思いを発信することで人の心に訴えることが初めてできる、それがとても嬉しい” と話してくれました。
死を真っ向から見据えることで、その生き様をみせることで初めて得られた ”人の心に響くメッセージを伝えることができる、人を助けることができる” という喜び、生きがい。
そんなサラの様子を側で見ていて、同じ病で他界した夫のことを思い出さずにはいられなくて、サラの生き様、そして目前に迫る死に接する彼女の姿勢をみせて、神様は一体私に何を伝えようとしているのだろう、と。
それは多分、一期一会ということ。また、全ての人にはそれぞれの生き方、死に方があるということ。同時に、それは私たちが時を超えて繋がっている、それぞれであって一つなんだ、ということ。この一瞬が永遠で、この出会いはかけがえのないもので、過去からも未来へも、そして出会う全ての人とも繋がっている。
だから、生き様も死に様も、愛し方も感じ方も、良いも悪いもない。No judgement. ただそのままで、有りのままでいること。真剣であると同時に寛容であること。
死は私たち皆んなに平等に与えられている通過点。そこを心穏やかに通過できるよう、今日もこの瞬間に生きよう。