動物園の存在意義

最も壮大で、答えのないテーマをタイトルにしてしまいました。


「あんな動物を閉じ込めておくなんて動物園はよくない!」
なーんて飼育員として聞いてしまったら、
哀しいし、「そんなことない!やれることはやっているし、動物園には意味があるんだ!」と言いたくなるよね。(しかしこのやりとりでは変われない、成長できない、伝わらない。だから動物園はダメなんだとなる。まさに堂々巡り)
でも、動物園という場所があって伝わることがあったからこそ言われたことで、ある意味動物園としての役目を果たしているのかもしれないね。

そしてその言葉についてこうも思う。
そうだよ、動物たちは私たちが思っている以上に高度な知能をもっているし、社会があって、繊細で、権利があるんだよ。そこに気付いてくれてありがとう。

ただ、動物園がかわいそうなことをしていて良くないという捉え方をさせてしまっているのなら、飼育員として未熟である。
適切な飼育環境を整えて、どういう意味でやっているのか伝えていく必要はあるよね。
むしろそれができていなかったことを恥じるくらいだとも思う。

動物園はエゴかもしれないし、矛盾しているかもしれない。
だけど、私は必要だと思うし、面白いし好きなんだよなぁ。

外国にいる野生動物を見る経験なんてそうそうない。
動物園反対派の人たちだって動物園に行ったことがあると思うし、動物園で見たり考えたりした結果の動物像があってそれを元に発言しているんだと思う。

本やテレビで見る動物が、実際にどうだったか・実際はどうだったか、そんなことが体験できる場所って価値があると思う。

でもそれだけだと、人間だけのための場所になってしまうので、動物のために考えて行動できるきっかけになる場所になるべきだと思う。
まずは飼育動物たちに常に最善を尽くし続けること。
そしてその内容を伝えて、飼育動物の背景にある世界(種や環境や生命や地球)を知ったうえでひとびとに生きていってもらうことができたら最高。

飼育したからこそわかることもある。
研究データを野生にフィードバックしていくことができる。その種を守ることができる。
だけど守るだけなら、来園者がいない静かで見られない研究所のほうがいいに決まっている。
来園者に見せるということはつまり伝えるということがセット。

ここで飼育員の仕事はおのずと決まる。
飼育だけではない。教育や伝えることも仕事。エゴにならないためにも。


私は、「知らなかったことが知れた」と言われることが仕事をしていて最大級の褒め言葉だったしやりがいだった。
一生忘れないしいつまでも輝き続ける時間。


今日こんな風に思って書き始めたのは
NHKの地球ドラマチックで野生のビーバーを見ていて、夫が「こんな動物は動物園で飼うべきじゃないんだよね〜(経験も含めての談)」という話になり、でも私には多分現地でビーバーを見る機会なんてこないし、〝こんな〟は動物園があったからわかったこと。動物園があって欲しいよ!となったことからだった。

Twitterのつぎはぎだけど、だいたいいつもこんなことを思っている。
今度はnoteで書いたらどんな文章になるかな。

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