『屋敷の拝み(敷地の神事)』について
みなさん、はじめまして渡具知綾子と申します。
私について少し紹介させて頂くと沖縄県今帰仁村の古宇利島で生まれ育ちました。
古宇利島はエメラルドグリーンの美しい海で有名ですが『恋島』と呼ばれアダムとイブ(ウミナイ・ウミキ)の人間発祥の伝説がある島です。恋愛成就や子宝祈願そして健康祈願、無用息災、事業繁栄の心願をする拝所が多い島でもあります。そのためか私は幼少の頃から古宇利島の神々からの声(方位の言葉、方言)が聞こえ周りの人々には理解されず思い悩むこともありました。しかし歳を重ねる事に神々に向き合い神の声を聞き、自分の務め(使命)に気付き役目を果たしていこうという強い気持ちになっていきました。
私は今年89歳になります。80年以上神々に仕え多くの事を学んできました。これまで私の元に日本全国から多くの方が訪れ生活のお悩みなどの問題点のアドバイス(判断)をしております。皆様が私からのアドバイス(判断)を受け、自然法則、神の神理に気付き感動し輝く顔でお帰りになるのをを私の喜びとしています。
そして皆様にこの場をお借りし神様(自然、宇宙)からの恩寵、祭祀(感謝)の方法や神々(人間発祥、知的生命ウミナイ・ウミキ)と人間の関係を伝えたいと思っています。
沖縄、琉球は自然を神とする自然崇拝が今も色濃く残る島です。いにしえの昔、知性を持ち始めた人類は自然の中に聖地を作り儀式(行事)を行い自然崇拝(感謝)が始まりました。山、海、森、川からの恩寵からの祭祀、気候天候の祈願、春の芽吹き豊潤の秋などの季節の恵にたいしての行事など大昔の人達はその時々自然の神々に感謝の気持ちを込め祭祀や行事を行い、または自然(神々)が不毛にならないよう、自然(神々)が暴れ災害などが起こらぬよう祈願しました。自然(神々)は私たち人間に多くの恵を与えてくれますが時折厳しい姿もお見せするからです。科学や文化が無かった大昔の人は自然と向き合い感謝することで、自然の調和を保ちながら共存していく智慧を神様からいただいたのです。それは私達の魂を豊かにし繁栄させてくれました。ところが科学、文化が発達するにつれ、人々は自分の知性(自我)のみ信じるようになり自然(神々)への感謝がおろそかになってきました。祈りの不足というのは自分の利益だけ考え様々な醜い争いが起こってしまうことです。それにより人々の心が荒み、憎しみ、悲しみなどが充満する場所、争いが多い地には神はいません。かつては聖地だったとしても神様は降りてきていらっしゃらないのです。自然(神々)を奉り心からの祈りを捧げてこそ、人々の心も調和がとれ生き生きとし感謝することで、さらに神様が光が届くのです。人は生きていくうえで誰しも悲しい事、辛い事は少なからずあるでしょう。しかし、私達は生まれた時から多くの恩寵を自然(神々)からいただいています。それは酸素だったり水だったり、、、自然の調和(バランス)が私達にかけがいのない命と生と生かしてくださる豊かな場所、地球を与えてくださったのです。その恩恵に感謝し祈る事によって命とは、生きるとは、私(個々の魂)とは、がとけていくのです。
これから数回に分けて、皆様に伝えたい『仏法の法則』『神界の神理』『陰陽の調和』などの古琉球における琉球精神文化(年中行事)について書き記していきたいと思います。
知性生命体の人間がすべき使命に皆さま一人一人が気付きますよう、思いが叶う事を願って。
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