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もやし男

 もうもうと白い煙がテーブルから立ち上り、肉が焼ける音と人々の笑い声が充満する店の片隅で、ゴンは山盛りのゆでもやしを前に手を合わせた。
「いただきます」
 塩とごま油がかかったもやしは、しんなりと艶やかな表面をしているが、箸で持ち上げると、先っぽの豆からひげまでシャキっとしている。
「やっぱり、ここの太もやしが最高だよな」
 にやりと笑い、ゴンはもやしを束でつかみ、口に放り込んだ。
「よくそんなにもやしばっかりおいしそうに食べられるわね。私はお肉の方がいいわあ。見てこの分厚いタン塩! ホッピー頼んじゃおうかしら」
 ゴンのはす向かいに座ったハルカは、タン塩を口にいれ「ん~」とうなった。
 目の前に並ぶ肉に目もくれず、ゴンはもやしだけを夢中で頬張る。
 二人は焼肉屋の向かいにあるトレーニングジムでトレーナーとして働く同僚で、今日はハルカに「会って欲しい人がいる」と言われて、仕事終わりに夜遅くまでやっているこの焼き肉屋にやってきた。ここはゴンが外食にいける数少ない店の一つだった。

 かつてはボディビルの大会で上位入賞を総なめにしたこともあるゴンは、屈強な肉体の持ち主で、肩の筋肉は盛り上がり、腿は小学生の頭位ほどあり、腹はもちろん引き絞られた上で昆虫の胴体のように六つに割れている。鍛え抜かれた肉体は一線を退いた今でも健在で、ジムの他のトレーナーと比べると仕上がりが違う。
 しかし、彼が有名なのは、その身体を構成する食品が、ほぼ「もやし」だけ、ということだった。
 もやしとプロティン以外は口にしないゴンのことを、いつしか周囲は「もやし男」と呼び始めていた。
「で、誰がくるんだ?」
二杯目のもやしのおかわりを注文してから、ゴンは肉を頬張り続けるハルカに尋ねた。
「トレーニーよ」
「客か。どうして客が」
 そう言って、ゴンは少し戸惑った。客であれば、仕事終わりに外でわざわざ会わなくても、ジムで話せばいいんじゃなかったのか。
 ハルカは、一年前にボクシングエクササイズの講師から、初心者向けのパーソナルトレーナーに部署替わりをした。黒のトレーニングウェアを纏い、濃い目のメイクで飴と鞭を使い分けながら多額のパーソナルレッスン費用を払う利用者たちを指導するハルカは、いつしか「女王様」と呼ばれるようになった。わざわざ焼き肉屋の目の前にあるトレーニングジムに来るマゾヒストたちの噂が噂を呼び、今では指名ナンバーワンの人気トレーナーだ。
 そんなハルカが、わざわざプライベートな時間を使い同席させるとは、どういうことだろう。
「あ、きた」
 ハルカが入り口に向かって、手を振る。ゴンはその方向を確認するために振り返った。
 そこにいたのは、チェックの青シャツに眼鏡をかけたヒョロヒョロで体の厚みがまるでない若い男だった。
「ど、どうも。すみません、今日はお時間いただいてしまって」
 もごもごとこもった声で、男はしきりに会釈をする。
「富田さん。システムの会社?に勤める会社員の方。ゴンさんにね、聞きたいことがあるんだって」
 ハルカに座るように促されて、富田はおずおずとゴンの前に座る。
 緊張しているのか、ちらちらとゴンの手元を見ているが、何も話さない。
「どういったご用件ですか?」
 相手が客と知り、ゴンはなるべく丁寧に、優しい声色を心がけて富田に尋ねた。
「あ、あのもやし……もやししか食べないって本当ですか?」
「はは、そうですね。もやしが好きなので」
「いつからですか? その、病気とかならないんですか?」
 ゴンは、ハルカを見た。これはなにかのインタビューなのか? 好奇心で自分の嗜好を詮索されるのは気持ちがいいものではない。
ハルカは、牛ハラミを頬張りながら言った。
「富田さんもゴンちゃんと一緒なんだって」
「一緒?」
「ある食材しか食べられないらしいの。色々試したけど駄目で、それでゴンちゃんの噂をきいて、うちのジムに来たんだって」
 ゴンが富田を見ると、富田は思いつめたように強張った表情で、小さく頷いた。
 
  二年前、ゴンはいつだって腹が減っていた。
「くそ、今日もこれくらいしか食えねえか」
 スーパーの野菜売り場で、マッチョの男が手にしているのは三八円のもやしの袋だった。筋肉のことを思えば、高たんぱくで低脂肪のささ身や鶏肉を食べたほうがいいと分かってはいるが、財布の中身は小銭が数枚、入っているだけだった。
 自分が情けなくなり、ため息をつく。
 貯金をためてようやくチャレンジしたアメリカのマッスルコンテストで、末端の賞にもひっかかることなく、あっさりと敗退した。日本ではそこそこ知られていたのに、アジア人だと体のつくりがまるで違う。ハンデキャップを背負っていることは承知の上だ。しかし、あわよくば特別賞くらいもらえたんじゃないかと思っている。
 残ったのは、わずかな資金と自分史上、最高に鍛え上げた肉体だけだった。

つづく
https://note.com/ayako_kanda/n/n232236a28a23
 

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